第8話
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涼子は仕事があるからと言って、洋画研究所を出た。
後は二人と猫が残っている。
猫は部屋をうろうろしながら行ったり来たりをしている。
まるで揺れる静子の心の様だった。
瀬戸は静子に言った。
「そうですね、モデルとしてせめて一週間、こちらに来ていただきたいです。できれば明日にでも始めたい」
「明日?」
「そうです。ただ・・」
「ただ?」
「裸婦になれますか?」
その言葉が静子の心に動揺を起こしたのだ。それが不安になって、白猫を自分の不安で焦る心のように部屋をうろうろさせている。
――裸婦・・
考えてしまう、正直なところ。
静子は顎に手を引いて考えている。勿論、裸婦の絵があるのは分かる。それを美術館で鑑賞したこともある。
しかしながらも、まさか自分がそのモデルになるとは思わなかったのが正直な感想だ。
目の前の瀬戸をちらりと見る。
誠実な若者であるというのは分かる。自分が裸婦になったとしても何かが起きるとは思わない。ただ人前での自分の裸をさらすのは羞恥がある。
娘としての当然の羞恥だ。
困惑する静子の表情に瀬戸はしっかりとその悩みを理解した。
(確かに・・裸婦にはなりたくはないな・・)
鼻を掻いた。
それから部屋を少し歩いて本棚から画集を取り出した。そこでそれを手にすると数ページをめくり、ある場所を見開いて戻って来た。
「小川さん・・これルノワールの作品ですが・・」
静子が覗き込む。
思わず声を出した。
(えっ・・これ)
初めてルノワールという画家の作品を見た。黒髪の裸婦が微睡みながら肘を立てている。体の輪郭は線でなぞられていて、全体が美しく仕上がってる。
(美しい・・)
率直にこの作品に美を感じた。
「これ、邦題が『まどろむ裸婦』,Odalisque dormant というものです。このような感じで僕は・・まぁ小川さんを描きたいのです」
照れるように頭を掻き、恥ずかしそうに静子を見る。
この若者ならきっとこのように描けるだろう、静子は思った。
この部屋に入ってすぐに彼の作品の数点を既にみた。
その腕に間違いはない、と思える
不思議だがこのルノワールを見て、自分が持っていた羞恥が消えてしまった。何故だか分からないが、強烈な何かが自分の羞恥を奪ってしまったのだ。
瞬時に静子には別の興味が沸き、それを抑えるように兄の描いた向日葵を見た。
(私も兄のあの絵のように夜に輝けるだろうか・・)
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