第5話
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青年が描いたゴッホの向日葵の横に並んだ兄の向日葵。
黄色と青色の異なる向日葵が壁に並ぶ。
黄色に輝く太陽と青い星空、それを見つめている娘の頬が朱に染まる。
瀬戸は娘に向かって言う。
「名前を・・伺っても?」
その声に娘が振り返る。
その瞳に向日葵が消え、瀬戸の微笑が映る。
「はい・・私、小川・・小川静子と言います」
「小川静子さん」
若者が復唱する。
彼女がそれに頷く。それから壁に掛けられた青い向日葵を指差した。
「あの作品は私の兄、小川保(たもつ)の遺作なのです。その兄が最後に描いたのがその点描の向日葵です」
瀬戸は彼女の白くて細長い指先から放たれた強い意志を受け止めるように青い向日葵を見た。
無数に点描でちりばめられた青と黒の色彩を見つめる。
初めてこの絵を見た時からこの絵に対する自分の答えが見つけ出せないでいたのだが、しかしながら彼女が言った言葉が何故かこの作品の命題への深部に繋がる何かを自分に告げた。
――遺作
そう思えばこうした点描の一つ一つが病人である画家の命の灯が消えようとする最後の瞬間までか細い力で打ち付けた情熱なのであろうと感じないではいられない。
瀬戸は口を開いた。
「そうでしたか・・成程。実は初めて近くの画材屋でお兄さんの作品を手に取った時、どうしても答えが見つからなかったのです。僕は巨匠だけではなく様々な作品を見ていつも自分に問いかけるんです、そしてはっきりとした答えを探そうとするのですが・・この向日葵だけはその答えを見つけることができなかった。それが何だったのかと今思えば、それがお兄さんの意思だったのですね」
静子は瀬戸の眼差しを見た。その瞳の奥で何かが輝いている。そえは答えを見つけたという喜びなのだろうか。
でも瀬戸は言った。
――それは兄の意思だと
彼女は問いかけた。
「兄の意思?」
瀬戸が頷く。
「それは?」
瀬戸は青い向日葵に近づいて行く。
「ええ、今から言うのは僕の推論です。ですから信じるかどうかは勿論お任せします。この向日葵は夜に咲いているんです」
「夜に?」
再び瀬戸が頷く。
「ええ、この向日葵は夜に咲いているんです。それはきっと昼の世界に咲くことのできない自分を表現している。そう、自分は病身の為、もう外の輝く世界で生きることはできない。それはつまり・・、自分の一生が潰えようとするだろう。私は才能を認められることないのだから、誰にも振り返られること無くひっそりと死後を行きたい。だからそれは、そう、まるで夜に咲く向日葵なのだ」
「夜に咲く向日葵・・」
静子が呟く。
瀬戸は黙って何も言わず、ただじっと青い向日葵を見つめている。
その眼差しは優しかった。
その時、不意に部屋の扉が開いた。
二人が驚いて振り返る。
そこには先程静子に声をかけた花屋の娘が立っていた。手に数本の花と花瓶を持っている。
すると、きききと歯を噛みしめるような笑い声をあげて部屋に入って来た。彼女の足元に白猫が鳴きながら寄って来た。
「瀬戸君、聞いたわよ。何が『夜に咲く向日葵』なのよ、カッコつけて!!」
それに瀬戸が顔を赤くする。
「ちょ、ちょっと涼子さん、いきなり入ってこないでよ」
慌てふためいて言う。
「だってさ」
そこでちらりと静子を見る。
「こんな綺麗な娘さんと二人きりにして、間違い何て起きたら大変じゃない。だからいきなり突入して瀬戸君の沸騰する思いに水を差してやろうと」
カラカラと笑う。
「なんて言い方なんだ!!」
瀬戸は笑いながら大きく手を振る。しかし言いながら大きな動揺を隠せない自分が居るのを感じる。二心という訳じゃ決してない。
唯、何かが芽生えようとしているんだ。
――驚きの中に少し下を向く自分を感じる。
涼子は瀬戸の驚きを気にせずイーゼルの横に活けられた向日葵の側に自分が持ってきた花を生ける。
その花は青い花だった。
「でも、その心配はないみたいね」
涼子が静子を見る。彼女が微笑して言う。
「はい、大丈夫でした」
涼子がぷっと吐き出す。
「でした。過去形ね」
それに気づいて静子はおかしくなり涼子と顔を合わせて大きく笑った。
つられて瀬戸も笑う。
暫く三人で笑っていたが、やがて瀬戸が相好を真面目に戻すと静子に向き直った。
「それで・・小川さん、あなたはここにどんな用事で?」
言いながらもおそらくこの青い向日葵の事だろうと瀬戸は思った。
問いかけられた静子も真面目な表情に戻ると、小さな咳払いをして瀬戸に向き直った。
「はい、瀬戸さん。実はこの兄の描いた遺作の向日葵を私に返していただきたいのです」
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