第4話
(4)
イーゼルの横に小さな机が置かれ、その上に娘が種苗屋の売り子の代わりに届けた向日葵が生けられている。
帽子を置いた机の下からドガと呼ばれた白猫が這出て、顔を上げて話している二人の姿を見詰めている。時折、尻尾がぴんと立つのが可愛らしいと娘は思った。
(まるであのフランスの気取り屋の画家、ドガのようだわ)
自然に微笑が洩れた。微笑に触れて照れ臭くなったのかドガが別の小さなイーゼルへと移動した。
最後に振り返ると尻尾をぴんと立てて、娘を見た。
思わず娘が微笑する。
娘はドガが立ちどまったイーゼルに掛けられた絵を見た。
(セザンヌだわ)
娘はそう思った。
美術の雑誌で見たことのある林檎の静物画だった。
娘の思い当たるような顔を見て、瀬戸は微笑した。
「この絵は僕が描いたものです。勿論、模写ですが・・」
瀬戸はセザンヌの絵の前に立って、娘に向かって言った。
「僕は素描には自身があるのですが、色彩に関する才能が無いことを自覚しているのです。その為、過去の巨匠達の模写をしてその色彩技術を向上させようと日々この研究所で努力しているのです」
そういうとドガが背筋をぴんと立て耳を立てた。滑稽で愛らしい姿に娘に笑みが漏れた。
「島先生は僕に巨匠を学べといいます。指導はそれだけだと、ね。巨匠の作品から多くのことを学べと」
確かに室内を見渡せば、いくつもの模写があった。
娘の左にはシャガールがあった。また光が差し込む窓の下にはドランの絵が、そしてその奥には影に隠れて全部が見えないがモディリアーニが見えた。
全て雑誌で見たことのある有名な作品ばかりだった。
しかし娘にはそれらは決して模写という複写としての評価を受けるものではなく、真作に近い輝きを一つ一つから感じられた。
自分は色彩感が無いと謙遜しているが、相当なものだと娘は思った。
そしてそう思ったところで、娘は向かいに座る青年に言った。
「全て、真作と同じぐらいに輝きを感じます。すばらしい技術をお持ちのようですね」
娘の声に、瀬戸は首を振って答えた。
「とんでもないです、どれもこれも全然です。どれひとつ描いた画家本人の水準には達していません。ですがひとつひとつの作品を見て、自分の答えを出して描いています。その画家の思いや感情、などを照らし出して答えを導きだして描いているのですが、しかしながら自分の色彩を得るまでには至っていません」
「そうでしょうか、特にあの壁に掛けられている黄色い向日葵の絵などは、素晴らしいではありませんか」
娘の指先が生けられた向日葵の向こうに見える向日葵の絵を指した。ゴッホの向日葵の模写だった。瀬戸は立ち上がるとその絵の側まで行った。そして壁に掛けられた向日葵の絵を手に取ると娘のほうを見た。
「これはゴッホの模写です。僕自身も非常にこの模写は技術的にもいいところまで来ていると思ってはいますが・・」
瀬戸は眼鏡の縁にかかる髪をかきあげながら下を向いた。
そして自分の模写したゴッホの向日葵の絵を壁に立てかけると、代わりに無造作においてあった小さな画布のいくつかの中から、一枚の絵を取り出して木製の額に絵を入れて、それを自分の絵の代わりに壁にかけた。
娘は、あっと小さな声を出した。
壁に青い夜空が見えた。
「実はこれ・・向日葵のように見えたのですが・・違いますか?」
はっとして娘は顔を上げた。
「それも花瓶に生けた一輪の向日葵」
娘が瀬戸を見る。
「よく・・分かりましたね」
娘の答えに瀬戸が頷いた。
「いえ、なんとなく何ですが青と黒が散りばめてありますが、それが向日葵に見えたものですから」
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