第454話 貴族力の差が歴然です




 クララが、確実に彼が怪しいと考えているのには、根拠がある。


 スベニアム自身は上手くいっているつもりでいるが、実際は多くの怪しまれる痕跡を残してしまっている事が、すでにルヴオンスクにいた彼女の元に情報として集まってきているからだ。




「エルネール様が連れ去られたタイミング、彼が北方の自分の領地へと戻ろうと動いたタイミング、そしてエグリルさんの報告……これでもかというほど、見事に合致しておりますわね」

 鷲獣人のエグリルが見たという、空を飛んで連れていかれた女性の特徴は、完全にエルネールと一致する。

 (※「第450話 届かない空と暴戦の平原です」参照)


 しかもそれは、北方に向けて移動していった。

 その報告が上がる前、既にアイリーン達から早馬で届いた連絡を受け、その時点でクララは即座に行き交う馬車を検閲する態勢を敷かせている。


 そして1日とおかずにやってきたスベニアムの馬車―――上流の貴族社会の社交界でおべっか合戦と醜い腹の探り合いに、幼い頃より揉まれてきたクララには、あまりにも簡単すぎる問題に、つい笑ってしまいそうになるのを堪えなくてはいけなかったほどだ。


「ですがクルリラ妃殿下、そこまで確信しておられるのでしたら、なぜ捕まえてしまわれなかったのでしょうか?」

 エグリルの疑問はもっともだろう。

 完全に犯人だと言える男を、行かせずに拘束してしまって洗いざらい吐かせてしまった方が事は簡単に済む。


 しかしクララは、大きくなってきた胸が重いと言わんばかりに両肩を交互に上げ下げし、一呼吸ついてからその疑問に答えた。


「こういうものは、完全な確証というものが必要ですのよ。限りなく黒だと、状況がそう告げているお相手であっても、絶対的な証拠なく捕えてはいけませんの。もしそれをやってしまい、黒である事を白状させられなかった場合、殿下の御名に傷をつける事になってしまいますわ」

 ルクートヴァーリング地方の領主である夫。

 この場におけるその代理代行者としてクララには、確信だけで下領の領主をひっ捕らえるなどという事をしては、それが間違いであった場合、大問題になる。


「エルネール様が連れ去られたことと、あの男が確実に繋がっているという証明ができなかった時、殿下に多大なご迷惑となりますもの。……こういうところは、政治の難しいところですわ」

 衝動的、突発的な行動はできない。

 とりわけ今、夫は軍を率いてロイオウ領に出向いており、その戦いも想定よりも長引いている状況だ。このルヴオンスクからも補給物資なんかを逐一送っている。


 ここでマンコック領の領主に対し、証拠もなく捕縛して尋問するのは最悪だとマンコック領と戦闘になるケースも出て来る。そうなると2面で戦線を持つことになり、状況がより複雑化してしまう。



「申し訳ありません、浅学な質問をしてしまい……」

「構いませんわ。むしろそうやって分からない事、不思議に思ったことを素直に質問していただけた方が、何もわからぬままに動かれるより遥かに良い事ですもの。それに……」

 すでに手は出している。


 マンコック領を望むところには、先んじて殿下が500の兵士を駐屯させていた。エグリルの報告を受けた時、そこに遠眼鏡と指示を飛ばして追跡・・を命じ済みだ。


「……追々おいおいと、情報も入って来るはずですわ」

 クララは決して出し抜かせない。

 王弟殿下の第三妃として、王国の王室に嫁入りした者として、そして何より愛する夫の代理としてここを任されている者として、辺境の三下のなんちゃって貴族程度に好き勝手させるほどそのか細い腕の下の脇は、甘くはなかった。




  ・

  ・

  ・


「……」

 男は、横たわる美女をじっと見続ける。


 いささか古ぼけた寝室。

 古い流行トレンドの、品格ばかりを追求しすぎた荘厳なれど華やかさに欠けた調度品の数々。

 全体的に暗っぽい部屋のせいで、窓から差し込む光が異様に強く感じる。


 夜が明けた頃、彼女の身柄が到着してからずっと、男は黙したまま彼女を見続けていた。


「……」

 時折目を閉じ、神妙な面持ちで頭を垂れ、組んだ両手を額に当てる。

 悪い過去をかんがみているような、それでいてどこか、許しを乞うような仕草にも見える。


 再び顔を上げ、そしておもむろに椅子から立ち上がり、横たわる彼女の身体に手を伸ばそうとする―――が、それは触れる直前で必ず留まり、そして引っ込み、男の腰は再び椅子へと着地するのだ。



 男には責任があった。彼女に対して。


 だが過去だけではなく今もなお、男はマンコック家の命に従い続けている。

 否、それには語弊があるかもしれない……何せ18年以上前、彼は主命に従わず、勝手をしてしまった。


 それは衝動的な行動で、高まった感情に突き動かされてしまった結果だ。


「………お嬢様……」

 ポツリと呟く。20年近い年月が流れようとも、まるで陰りのない……むしろますますもって美しくなった美女。

 もしかつての自分であったなら、また衝動的な行動に出てしまったかもしれない。


 しかし彼は年月を経て、大人の落ち着きを得ている。かつてのような青い過ちを犯すことは絶対にないだろう。


 それでも、その心中に渦巻くモノはある。目の前にいる彼女は、このままではまた再び、他の誰かのモノになってしまうのだから。



「……」

 男は、変わらず下男という低い身分の使用人のままだ。何の力もなく、大きな力を持つ者に逆らえる何かはない。


 彼の葛藤はどこまでも深まるばかり―――ただ横たわる彼女を見続けるだけのこの時間が、男にとっては拷問のようであった。



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