第333話 産声に歓ぶのはまだ尚早です



 アイリーンが部屋に入ってから10分弱―――



「……よし、いいよ。そこの細くなってる部分をゆっくりと切っておくれ。くれぐれも他に当てないようにね」

「………―――」

 オンパレアさんの指示に、アイリーンは無言で小さく頷く。


 キュートロース夫人のベッドには、魔術師2人が大量の汗をかきながら苦痛を取る魔法をかけ続けてる。

 おかげでこうして切開が行えるわけだけど、それが限界だ。出血を完璧におさえる事はできないし、空気中の雑菌とかも気になる。

 (もっとも、この世界の人たちに微生物や細菌の知識はないから、後者の心配は僕だけなんだけども)


 だからお腹を切り開いていられる時間は短い方がいい。とはいえ、雑にすることもできない。


 超集中と間違いのない執刀―――その2つの条件はアイリーンが満たしてる。

 そしてオンパレアさんが知識と経験を担い、二人のサポートを助手さん達やヘカチェリーナ、ルスチアさんが行ってる。


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「(羊水とかは膜とかへその緒とかはどう処理するんだろう? 閉じるときの縫い合わせとかは大丈夫なんだろうか? 失血分の血はどうするんだろう? 母体と子供への影響は―――)」

 なまじ前世の知識と経験があるだけに、色々な事が気になってしまう。


 一応ポーションがあるので、切り開いたお腹はよほどおかしな縫い合わせをしない限りは、最終的に綺麗に閉ざせると思う。

 だけどやっぱり一番気になるのは、母子の命だ。


 前世でさえ、帝王切開には危険が伴う。麻酔をはじめ、各種医療機器や優れた医師たちが揃っていたって、100%絶対安心かって言われたら難しい。


 出産だけじゃない。他の病気なんかの手術にしたって、なるべく身体に刃を入れない方がいいに決まってる。


「(盲腸でさえ、切らずに済むならその方がいい、なんて聞いたこともあるしね)」

 気が気でないというのは、まさにこのこと。


 そして、こうして現実に現場に立ち会うと嫌でも実感し、納得できる―――赤子の無事な誕生が、どれだけ尊い事であるのかが。




「……。……エイミー、念のためです。メイドさん達に体力回復のポーションも持ってこさせるよう手配を出しておいてくれますか? それとお湯の桶を5つ増やすようにとも」

「! はいなのです。ですが殿下、お湯の桶を増やすのは??」

 人に限らず、できうる限り清潔である必要性―――


「予備の道具を熱湯にくぐらせます。少しでも清め、綺麗にしておく事が重要ですから」

 ナイフ1本とっても頻繁に取え替える。それはひとえに、人の身体の内部をどうこうするがゆえ。

 手術の成否だけでなく、術後の経過をよくするためにも、少しでも不浄であってはいけないんだ。


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 そして、さらに20分が経過し、僕達が待機している部屋に、血のついた布や使い終わった短刀、傷を癒すためのポーションの空きビンなんかが場所を取るようになってきたその時―――




『……ぎゃぁぁ、おぎゃぁあっ、おぎゃぁあっ!!』

 うぶ声が上がった。




「「「わっ―――」」」

 思わず歓声が上がりかけたけど、僕がジェスチャーでそれを制止する。


「まだです! むしろここからが本番ですからっ、皆さんお静かに!」

 そう、切開して赤ん坊を取り出した。そこまではまだいい。


 ここからが問題だ。母親であるキュートロース夫人のお腹を閉じなくちゃいけない。

 そしてそのためには……切り開く時よりも、ずっと大変で繊細な裁縫―――血管や神経、筋肉や表皮などを気にしながらの縫い合わせ作業が始まる。当然、なおもすさまじい集中力が必要だ。


「(前世での外科手術とかじゃ、何時間もかかったりするイメージだけど、それに比べれば格段に早い。だから母体への負担はそんなに大きくなかったと思うんだけど……)」

 しかし前世とは設備道具の充実度が違う。

 一応、針や糸は用意できる最高のモノを準備して挑んでるわけだけど……



「いいですか、皆さん。赤ちゃんの産声が上がったので、まずは一安心です。ですが次は、キュートロース夫人の切り開いたお腹を閉じなくてはいけないはず……当然、僅かなミスでも夫人の命に関わりかねません。今しばらく落ち着いて、静かに行動を……よろしいですね?」

「「「は、はいっ」」」


 僕自身、どこか楽観してたのかもしれない……アイリーンが規格外だっただけで、これが本当に大変な、この世界の出産の現実の現場なんだ。


「ふぅー……はぁー……。では皆さんも一度深呼吸を。僕達も気を引き締め直しましょう」


 難産はまさしく文字通り難儀。だけど、新たな生命誕生の時なんだ、居合わせる以上は、僕達もできる限りのことをしよう。


 この世界に先に生まれた先輩として、胸を張れるように!



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