第332話 もどかしい外科医事情です




 予想通り、キュートロース夫人の出産は一気に難しいものになった。


「オンパレアさんが言うには、赤ちゃんが本来とは逆さまになってて、しかも微妙に角度ついてんの。あちこち引っかかる態勢になっちゃっててそのまま出て来るのは二人の命が危険になるんだって」

 ヘカチェリーナの説明を聞いて納得する―――いわゆる逆子だ。


 この世界には当然、エコーをはじめ中の様子が分かる便利な医療機器なんてものは存在しないので、こういう危険を伴う出産のケースは前世の世界よりも多い。


「アタシのスキルで何とか “ 痛み緩和 ” の効果できたから、今は苦痛は少しマシだと思う。けど切開して取り出すのに改めて痛み取る魔法を今かけてる最中で……こっからは相当気ぃ入れないとだって」

 口調こそいつも通りだけど表情には強い緊張感が宿ってる。ドレスの上を脱いで、真新しいものに着替え、さらに上から身体を覆うような清潔な布を着用する。


 さらにかなり強いお酒を両手にふりかけ、かるく揉み合わせてから湯で流すと、やはり清潔な布を持って口元を覆い、さらに手袋も着用した。




「ここからは入室者は清潔が絶対厳守だから。お湯がもっといる……殿下、手配よろ。多すぎるかな、ってくらいでも足りないって思ってて」

 言いながらルスチアさんも、ヘカチェリーナと同じように衣服を整え、そして二人は頷きあった。


「今ついてる助手さんやオンパレアさんもタイミング見てアタシらと入れ替わりで着替えにくるから。あ、それとエイミー様とアイリーン様はこっちで待機だって。基本、入室者の数をなるべく減らした方がいいから、モノの受け渡しは入り口でお願いって事で」

「かしこまりましたのです」

「おっけー、頑張ってね二人ともっ」

 そうは言ってもヘカチェリーナとルスチアさんもやれることはさほどない。


 それでも助手は必要だ。二人は必要な薬や道具を移動台に乗せ、再び部屋に入っていった。



  ・


  ・


  ・



―――2時間後。


「思ったより静かですが、どうなっているのでしょうか……?」

 クララがゴクリとツバを飲み込みながら、部屋の出入り口を伺う。

 幸い、意外にもキュートロース夫人の叫び声や苦悶の声が聞こえてこないので、状況が悪くはないのだろうと、ヌナンナさんやエイミーと励まし合ってる。


「(魔術師の魔法による麻酔は、ちゃんと効果を成してるんだな)」

 この世界に外科医術の概念はない。

 とはいえ、たとえば戦場で矢が刺さり、その断片が身体の中に入ったままになったとか、そういう時は切り開いて取り除くという処置を行ったりする。


 ただその処置にしろかなり粗暴なもので、残念ながら高度な技術力は培われてはいない。

 しかしながら幸いにも、そうした戦場での処置をするために、切開時に苦痛を無にする魔法は存在している。


 今回のような切開による赤子の取り出しは、超レアケースだ。当たり前だけど宰相妃という高貴な人物と、オンパレアさんという名助産師が組み合わさったからこそ、切開処置を選択する事ができたと言え、世間一般には諦めざるを得ず、関係者は絶望に打ちひしがれる出産事例だ。


「(この辺りも、少しでも改善していけたら出生率を向上させられるし、死ななくていい命を守れるんだけどな……)」

 しかし現状では難しい。

 苦痛を取り除く、麻酔の効果を発揮する魔法にしろ、めちゃくちゃ高難易度で、お城の魔術士でも修得している人はたったの2人だけ。前線で治療要員として赴任する魔術士でも1個師団に1人とか、そんなレベル。


 当たり前だけど、苦痛を取り除かないと激痛で気がふれかねないし、大量の出血が生じて死に至る。


 切開を可能にするためには、苦痛を完全に取り除く方法は不可欠だ。

 僕がそんな事を考えていると―――




 ガチャッ


「アイリーン様、ちょっといい?」

 部屋の扉を開くなり、ヘカチェリーナがアイリーンに話しかけた。


「? どうしたの、何かあった?」

 すぐさま自分に声をかけてきた事で、何か武力が必要なことが生じたのかと、アイリーンは立てかけてあった剣を取りながらヘカチェリーナを見た。


「あ、剣は大丈夫。そういうんじゃなくて……アイリーン様は短刀ってどんくらい扱える?」

「! アイリーン、これを」

 ヘカチェリーナの問いかけに僕はピンときて、用意して置いてある器具の中から細いナイフ1本とガーゼ代わりの薄布1枚を持って、アイリーンに手渡した。


「???」

「その薄布をナイフで切って見せてください。なるべく繊細に」

「? 分かりました旦那さま。―――こうですか?」


 シュオッ


 アイリーンが片手を軽く閃かせたかと思うと、正方形だった薄布が数舜で精巧な鳥の形に変わった。


「どうでしょう、ヘカチェリーナ?」

「おっけー、さっすが。アイリーン様、中に入る準備して。……ある意味、どんな化け物よりも手強いと思う」

「! わかった、ちょっと待っててね」

 さすがにアイリーンも察したらしい。おそらくキュートロース夫人の胎内は、オンパレアさんでもなかなか手が出せない、厄介な状況になっているんだ。




「すぐにアイリーンに清潔な前掛けと覆面用の布を。新しいお湯も準備しておいてください、冷めたものは逐一取替えるように」

「「「はい!」」なのです!」

 僕の指示を受け、メイドさん達とエイミーが答えると同時に素早く動き出す。

 音を抑えてそれぞれが打ち合わせもなしに最適な行動に移る―――頼もしい。



「アイリーン。おそらくは繊細さが求められる難儀かと思いますが、よろしくお願いします」

「任せてください、旦那さま。キュートロース様と赤ちゃんの命は、絶対に守ってみせます!」



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