第334話 生誕の戦に勝利の乾杯です




 赤ちゃんの産声があがってから20分が経過した頃……


  ガチャ


 まず、アイリーンが部屋から出てきた。


「! アイリーン、どうですか、経過の方は?」

「はい、大丈夫です、赤ちゃんは無事で、キュートロースさんにも今のところ大きな問題は見られないって」

 さすがのアイリーンも少し疲れてる―――体力的な疲れじゃなく、気疲れって感じだ。




「赤ちゃんはルスチアさんと助手の人が産湯につけてケアしてます。とりあえず私のお仕事はやり遂げました」

 アイリーンが抱えたものは、モサッと量がある。血を吸った布やくたびれた包帯、数本の使用済みナイフ、それと―――


「それは……キュートロース夫人の一部・・ですか」

 アイリーンが両腕に抱えていた中に、陶器の深皿があり、その中に血のついた皮膚の切れ端のようなものが入ってた。


「はい。縫い合わせた後、綺麗に治すためには切り取らないといけなかった部分、だそうです」

 僕は素直に驚いた。

 確かに外科手術とかで傷口を縫い合わせる際、状態によってはそのまま縫い合わせるのではなく、傷口を整える意味で切り取り、縫合するというのは傷痕を残さないためにも理にかなっているように思えてくる。



 だけどこの世界に外科医術の知識や概念はない。


 お腹を切開して赤ちゃんを取り出すのだって、どちらかといえば相当に革新的なやり方のはずだ。

 切開は戦場で傷から入り込んでしまった異物を取り除くための致し方のない荒々しい最終手段、っていうのがこの世界の人々の認識だ。


 今回のキュートロース夫人のお産は、王族の妃なので母子ともに死なせることなく無事に遂行しなければならないのは分かる。


 だけど―――


「(……オンパレアさんは、どこでここまでの外科的な医術の知識や技術を知ったんだろう?)」

 世の中に一般的でないやり方ということは、おそらく彼女の師匠―――つまり先代から伝承したんだと思うけど、じゃあその先代の助産師は何故、そこまでの知識と技術を持ち得たのか??


 それらが世の中の他のお産のやり方として広まっていないのは何故なのか?



「(……考えても仕方ないか、それより今は―――)―――ご苦労さまでした、アイリーン。不浄物はメイドさん達が処分してくれますから彼女らに預けて。そのキュートロース夫人の一部は別で処置します……エイミー、申し訳ありませんがこれだけ別で保管する手はずを」

「はいなのです。アイリーン様、お預かりするのですよ」

 

  ・


  ・


  ・


 それからさらに1時間が経過した後、ルスチアさんが出てきた。


「とりあえず、お腹は閉じられたから。キュートの容態もまずまず……まだ赤ちゃんともども要警戒だけど、とりあえず乗り切った、って見ていいって。あ、でもやっぱし静かに……騒がないよーにね」

 釘を刺されてやっぱり歓声を封じられる面々。


 ストレートなお産だったアイリーンの時と違って難儀な手術を伴ったお産だ。

 赤ちゃんの誕生と母親の無事は喜ぶべきではあるけど、特にキュートロース夫人の身体に負担がかかるといけない。

 思いっきり皆で喜ぶのは、彼女の産後の回復を待ってからになるだろう。


「ルスチアさんもお疲れさまでした。クララ、飲み物の用意をお願いします」

「かしこまりましたわ、殿下。ささルスチア様、喉を潤してくださいませ」

 油断はできないけど、まずは一安心。


 少なくともお産は終わった。その場にいる全員が心身の力みを解く。



「ふぅ……ありがと、落ち着いたし。赤ちゃんは今、ヘカチェリーナがおくるみしてくれてる。オンパレアと助手がキュートの容態を観察してくれてて、魔術師二人は念のため、もうちょい苦痛を除く魔法をかけ続ける……って感じ」


「では、一応は何かあった時のため、一通りの医療品とお湯はこのまま維持致しましょう。……あなた方はポーション各種の補充を。そして兵士の……君、セレナに伝言を、お産は終了し、母子ともに無事なれど経過を見る必要があるので、騒がないように各所に注意を促してください、と伝えてください」

 控えていたメイドさんと兵士さんにそれぞれ指示を出し終えると、僕も両肩からストンと力が抜け落ちた。



  ・


  ・


  ・


 さらに1時間が経過して、ヘトヘトのフラフラ状態な魔術師の2人も出て来る頃には、僕達はリラックスし、アイリーンから術時の話を聞いていた。


「それはもう、迷宮みたいな感じでしたよう。指示された切断場所が、すごく奥まったところにあって……しかもそこまでの間に、赤ちゃんの足やへその緒が邪魔をしててですね―――」


 やっぱり赤ちゃんは逆子の状態で、しかもへその緒が複雑に絡んでいたらしい。


 しかもアイリーンの話から察するに、子宮の壁の一部がへその緒の途中部分と軽く癒着した状態になっていたっぽい。本来なら簡単に引きはがせる程度の癒着ながら、場所が悪かったようで、母子に余計な傷をつけないためにもかなり苦労したみたいだ。


「ですが本当によくやってくれました、アイリーン。もし貴女がいなかったらどうなっていたことか……」

「えへへ、それは大袈裟ですよぅ、旦那さま」

 お産の際の傷が原因で産後の肥立ちが悪くなり……なんて事にもなりかねない。しかも刃を入れるのだから、その執刀の手技の上手さはかなり重要だ。


 聞けばオンパレアさんも、お腹を開く際に入れた刃は最低限で済むようにしていたようだし、相応に上手いんだろうけども、それでも途中で刃物の扱いに長けた人間を必要とした。決して大袈裟じゃない。


 なんて話をしていると―――


 ガチャ




「! ヘカチェリーナ、それに……」

「ふーぅ……殿下、お待たせー。はーい、皆さん控えおろう~。宰相閣下が第一子、赤ちゃん様のお披露目ですよー」

 かなり疲弊してるのが目に見えてわかるヘカチェリーナ。だけど疲れ切った表情にも笑顔が宿り、その腕の中のおくるみと共に、その場にゆっくりとしゃがんだ。


 当然、お包みの中には生れたばかりの赤ちゃんがいる。


 兵士さん達もメイドさん達も、エイミーやクララ、ヌナンナさんもその顔を覗き込んで、なんともいえない感動に包まれる。



 その様子を少し離れたところで見ながら、アイリーンとルスチアさん、そしてルスチアさんに引っ張られて加えられた魔術師2人が用意されていた飲み物を手にもって乾杯―――お産の難事を共にした者たちは、互いにお疲れさまの意を込めながら、飲み物を口に運んでいた。



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