第五章:初子と初陣
第61話 貴族の古教は闇の躾です
馬車が大きな門をくぐる。
3台は並んで走れるほど広い道は、色白の砂で固められていて周囲の芝生の緑と綺麗なコントラストになっていた。
「へ~、高齢夫婦しか住んでなかったって割に、よく手入れされてるじゃない?」
ヘカチェリーナは感心しながら庭を眺める。
ルクートヴァーリングから王城へとやってきてから1週間、僕の側仕えのメイドとして馴染んできたけれど、言葉使いや態度はそのままだ。
……もっとも、よっぽと公的な場だとビックリするくらい猫かぶって豹変するけど。
「ファンシア家は古い名家ですから。母上様の親戚筋でもありますし、使用人も昔からの確かな者達が仕えているとか」
今日、僕はヘカチェリーナを連れてファンシア家を訪問する。
理由はもちろん、シャーロットを訪ねるためだ。何だかんだと色々やってるうちに、前に会ってから月単位で時間が経っていて、さすがに僕も会いたい衝動が強くなってきた。
「(でも、何なのだろう? 病気になった、という話でもないらしいけど……)」
僕がルクートヴァーリングに行っている間、シャーロットはここ数週間、母上様の御実家に泊まり込みで貴族としての教養作法の特訓をしてもらっていたらしい。
けれど、母上様に様子を尋ねると……
『シャーロットちゃん、体調を崩しちゃったのよ~。今はファンシア家で静養しているわ~、お見舞いに行ってあげてね~』
……とのこと。
というわけで今日、ファンシア家へとやってきた。
「ヘカチェリーナ、あちらに本邸が見えてきましたよ」
馬車が進むにつれてちょっと古い時代の、豪奢な意匠の貴族邸宅が見えてくる。正門から200mは離れているだろうか? 王城に住んでる僕だけど、その敷地の広さと贅沢な使い方に思わず感嘆してしまう。
「(上流階級の人の家の敷地が無駄に広くとってるのは防犯や防衛のため、って分かってるんだけれど、それでもすごいや……)」
そうこうしているうちに、馬車は噴水を囲む円形状の場へと到達。本邸玄関前には10人ほどのメイドと執事が並んで出迎えてくれた。
――――――コンコン、コン
『……はい?』
「シャーロット様。おやすみのところ失礼致します。お客様がお見えでございます」
『どうぞ、お通しください』
僕は、少しだけ胸がキュッとなった。扉越しに執事と入室のやり取りをするシャーロットの言葉遣いが貴族令嬢のソレになってて、クロエの面影を感じられずになんだか寂しい。
それに、僕が知らないうちに彼女が変わってしまってるんじゃないかっていう不安がこみ上げてくる。
扉が開かれて見えてきた室内はシックで落ち着きのある、だけど暗くはない深い柿色基調の絨毯が敷かれてる。
そして奥の、天蓋つきの大きなベッドにシャーロットはいた。身体を起こして今まさに腰かけて床に両足をつけようとしている。
「お嬢様、ご無理をなさらずに……っ」
「いいえ、ただでさえお客様にご足労いただいているのですから、このくらいは当然です。ましてや
僕の胸にズキンとくるものがあった。小さかった不安が大きくなる。
言い回しは確かに礼儀作法に
深窓の御令嬢そのもので、殿下って言う時のイントネーションも、何だかよそよそしく感じてしまった。
「……」
「……」
エイミーの後釜としてメイドになったヘカチェリーナを紹介した後、僕とシャーロットはお互い、不思議と沈黙してしまった。
僕の知ってる彼女ならこういう時、率先してお話しようとするのだけれど……
「…………ぷっ、クスッ……あははっ! うん、やっぱり “ おすまし ” するのって、私には似合わないかなぁ?」
「……気を張ってたんですか? 僕達の間柄でそんな―――」
「だってぇ、キミ……っとと、殿下に久しぶりに会うんだから、日頃の成果を見せたくって」
一気に安心した。ああ、やっぱりシャーロットはシャーロットだ。
・
・
・
「大丈夫、そんな強がってさ……へーき?」
お茶とお話がひと段落して殿下がおトイレに立った後、ヘカチェリーナちゃんがそう切り出してきて、ドキリとした。
「え、強がってなんて……」
「ホントは殿下にさ、抱き着いて泣きたいんじゃないの?」
「!!」
私はそれを否定できなかった。我慢してたものが堰を切ってあふれ出しそう。
「さっきさ、 “ ちょっと調子が悪くなっただけだから ” って言ってたけど、調子が悪いのは身体じゃなくて心っしょ?」
「……ど、うして」
「こーみえてもアタシ、生粋の貴族家の令嬢だもの。ま、地方のちっちゃい家のだけど。人を観察する目はけっこー自信あるわけよ、自分で言っちゃうのも何だけど」
重ね重ね、驚く。私は庶民の生まれだから、まだ貴族社会のことは勉強中の身だけど、貴族でもメイドさんとかになるって初めて知った。
「……それでさ、殿下に
ヘカチェリーナちゃんは、まるで私の全部をお見通しみたい。
「……うん」
「―――ま、気持ちの方はしょうがないよね。もし
「……知ってるんだ、
そう、あの恐怖の “ 教育 ” を。
「まーね。けどアタシん家とかもそーだけど、今の貴族家はそーゆーのやってないとこがほとんどだし。フツーは嫁入り前の娘をさ、傷モノにしよーって教育はなかなかしようとは思わないっしょ、アレは闇だよ闇、古い家柄とかにありがちな頭おかしいヤツ」
あっけらかんと言ってのけるその態度に救われる。私は少しだけ笑ってしまった。
「……どうして、あんなことをしなくちゃいけなかったのかな」
「将来、女が不倫とかに走るの防止すんのに、男を怖がるようにするためよ。……やらせたのって皇太后さまでしょ?」
「……うん、私には必要なことだからって」
「じゃ、アンタと殿下の将来を考えてってとこっしょ。殿下がアンタのことお気に入りなのは、お城からここまでの様子で丸わかりだし」
確かに皇太后様は言っていた。なまじ
皇太后様のような身分や年齢の方にさえも、アピールし続ける異性がいる貴族の世界。
もし私が殿下と一緒になれても、それでおしまいじゃない。一生殿下にだけ、この身を捧げ続けるのが当然で、他の男性に浮気するなんて許されない。その万が一を今のうちに予防する方法が、男性への一定の恐怖心を植え付ける事……それが “ アレ ” の意味。
「あんま気負いする必要ないって。結婚するまでの間に他の男と経験アリとか、口にしなくったって結構ある話だし。デキてないんだったら良かったじゃんって前向きに考えよーよ」
「……うん、そうだよね。ありがと、ヘカチェリーナちゃん」
実際、アレがそういう意味を持つんだったら、その通りに私の中に男性への恐怖心は形成されてる。
きっとこの先、どんなに見目麗しい男性が声をかけてきたとしても、私の心が揺らいだりすることは絶対にない。
そう断言できるくらい “ アレ ” は凄まじい経験だった。
「ノンノン、ヘカーチェちゃんって呼んでよね。その方がいい感じでじゃない?」
「クスッ、フフフッ! ヘカーチェちゃんはなんだかスゴイね」
「でっしょー? シャロちゃんのお悩みなんてアタシに言わせれば軽い軽い♪」
嬉しい、と思う。
殿下が戻ってくるまでに沈んでた気持ちが、作らずに笑えるまで良くなるなんて自分でもビックリだ。
でも―――
「(? 今、一瞬……、気のせい?)」
ひとしきり笑った後、ヘカーチェちゃんは一瞬、明後日の方向に視線を向けて、何か難しい表情を浮かべたような気がした。
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