第45話 解呪

「な、なんで……」


「今まで従ってきたのは、契約の拘束力によるものではない、俺の意思だ」


 獣は私を下ろし、向き合ってそう言う。


「あら~、感動的ですねぇ。……無意味ですが《──つるぎよ、火を走らせよ》」


 感情のない声を出し、詠唱するアリアの手には剣の形した炎。


 その剣から放たれる火球は、猛烈な勢いで獣の背に迫る。


「獣さん!」


「《──っ焦熱の盾よ!》」


 稲妻の迸る、半透明で球状の障壁が私達を覆って、炎から守る。


「あららぁ。でも、そんな強力な魔術、そう維持できるものでもないでしょうっ!」


 間を置かず、アリアはいくつもの炎弾を放つ。


 その全てを防ぐ障壁。


「っ!効かないなら!壊れるまでやるだけの話です!」


 障壁の向こうは燃え盛る炎に包まれた。


 しかし、その激しい熱は私には届かない。


「……お前が《あの時、持っていた全て》は、俺のものとなった。その全ての中には"お前自身"も含まれるのだろう?」


「……そうです」


 私が自らにかけた《制約》は自分自身をも対価にするもの。だからこそ強力な《契約》を上書き出来たのだ。


「ならば、勝手に死のうとするな」


「……私には誰も救えません……この命すら偽物……全部奪われたんじゃない……全部奪ってたんだ……そんな私に何の価値が……」


「……そうか……そういう事か。……やっとお前が囚われている《呪い》の正体がわかった」


「呪い……?」


「誰かを救う?間違えるな。一番最初に救われなければならないのは──お前自身だ」


「──え?」



◆◆◆◆◆◆◆◆



「お前は長い間、聖女という役目を押し付けられていた所為で、《人を救えない自分には価値がない》と思い込まされている、そう自分に呪いを掛けて、囚われている」


……何を言われているのか、わからない。


「何が間違っているのですか……?」


「最初から、聖女ではなかったのだろう?」


「……そのようです」


「ならば、先代の聖女のように出来なくてもいいのだ。誰かを救わなくとも、何かを為せずとも、お前は無価値ではない」


「私は……アリアを弾き出して、全てを奪っていたのです……そんな人間に……」


「聞いてくれ、生物は生まれた瞬間から、何かを害さずに生きる事は出来ない。獣は食い合い、縄張りを争う。草木は陽だまりを取り合う。人が肉を食うには、生き物を屠るしかない。誰も綺麗な手のままではいられないのだ。お前がした事が何であれ、お前の存在を否定する事にはならないのだ!」


「……私は……」


 牢獄で屠った獣の温度を思い出した。


 あれと同じ事だって言いたいの……?


「例え、誰も認めなかったとしても、俺はお前を認めよう、お前にはそれだけの価値があるのだと!」


 獣は真っ直ぐに私を見つめる。


「……っ」


「例え、特別な存在でなくても、聖女でなかったとしても、聖女のように出来なかったとしても、お前が魔術で生まれた存在だとしても。お前には生きる価値があるのだ。──お前は生きていて良いのだ」


「…………」


「俺が保障しよう。認めてくれ、《自分には生きる価値がある》のだと。お前を捕らえている呪いは、自分自身でしか解けん」


「どうしてそんなに……」


「……俺はお前のような美しい者を、もう二度と殺したくはないのだ」


 獣は涙を流していた。


 私はまた、頭が真っ白だった。


 この6年間、私はこんな風に、誰かに認められた事なんて一回もなかった。


「すぐには認められなくとも構わない、だが、自ら救われようとしない者を救う事は、誰にも出来ない」


「それでも私は……罪深い存在です……」


「何を言うかと思えば。もしお前が罪深いのなら、我ら獣と一緒にいて、何故まるで"変異"が起きない?」


「……へ?」


 獣の近くにいれば、近くの人間も変異すると聞いては、いた。


 自分の事なんてどうでもよくて、考えた事もなかった。


「それに、お前達の信じる教えの言葉を借りるなら『悔い改める者こそ幸い』なのだろう?お前は自分の罪を知り、悔いた。それだけでもう充分のはずだ」


 涙を流しながら、冗談を言うように獣は笑った。


「さあ、立ってくれ、俺が仕えた娘よ。もう、お前は充分に泣いた。充分に苦しんだ。立てぬなら支えよう、戦えぬなら代わりに戦おう。如何なる危険からもお前を守ろう。だから……もう、自分を無意味だなんて言わないでくれ」


 私の手を取って立たせる獣。


 何故か、胸が高鳴っていた。


 炎なんて、障壁がみんな防いでいる筈なのに、顔が熱いような気がした。


「あの聖女とやらにも感謝しなくてはな。《契約》が解除されなければ、"主人"に対して、ここまで言う事は出来なかっただろう」


 何か、凝り固まっていた何かが解きほぐされたような気がした。


──同時に、獣の張った障壁が殻を破るように、砕け散った。

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