第26話 夜話
◆◇◆◇◆◇◆◇
「泣き疲れて寝おったか、まあどう見ても小娘であるからな、無理もあるまい」
天井から降りたアトラは獣の横に降り立つと、曖昧な表情を浮かべる。
「面倒な水浴びまでして乾かして来たというのに、これでは、また浴びなければならないな」
獣の腕の中で寝ている小柄な少女は、下手をすれば10歳と言われても、信じてしまえる程に幼い体躯であった。
しかし、髪は斑らに血に染まって、元の純白の色を塗りつぶしている。
涙の流れていた眼の片方には、収められているべき眼球がなく、空洞があるばかり。
四肢は得体の知れない虫や何かを、人の手足の形に成型したように悍ましいもの。
本来そこあった美しい形状のみが残されているに過ぎず、この娘がどのような仕打ちを受けたのかを推し量るのには然程、難しくはない。
「哀れよの、元の姿はさぞ美しい少女であったろうに」
頬杖をついたアトラが、クララの汚れた髪を優しく撫でる。
「聖女に貶められた……か。冷静ではなかったのか、断片的にしか分からなかったが、聖女というのは、こいつの祖母の事ではないのか?……親族にここまでの事をされなければならない罪とは何だ?」
獣が苦虫を噛み潰したような表情で聞く。
「誰ぞの嫉妬ではないかの?この娘は、あまりに清廉潔白にすぎる。この娘がいただけで、他のものは自らの罪を恥じることになるであろう」
「蜘蛛よ、恐ろしきは人の業だと?賢者の割に稚拙な事を言う」
「獣よ、案外、単純で稚拙なものよ。この世というのは。だからこそ無駄に複雑になる」
「適当な事を言って煙に巻こうとするな、」
「しとらんよ、事実としてこの娘は罪を知らぬ、もしどれほど美しかろうと、どれほど清廉であろうと、罪を知り、欠けてさえいればこれほどまでに人に憎まれる事も無く、むしろ愛されただろう」
「優れているが故に追放されたと?……本当にそうか?俺にはとてもではないが信じられん」
「堕落した人間のする事なぞ所詮そんなものだ、大昔に陶片で追放された者がおっただろう?」
「罪なくあることが、人の世の罪となるか。因果な者だな」
「なればこそ、これから知っていくのだ、そして我々は純粋無垢を罪へと誘惑する悪魔というわけだ、姿形は変われど失われぬ輝きを、暗く曇らせていく事の何と胸の踊ることか!」
アトラは愉快そうに微笑む。
「俺はこの娘の騎士だ。この娘が持っていた全てと引き換えにこの娘を守ると《契約》した。余計な事はさせん」
獣はクララを庇うように抱えた。
「ならば余は同盟者である、今後この者が得る戦利品と引き換えに、共に戦うと《契約》した。故に、友人としてこの者を導くのに何ら問題はあるまい?」
そう言って隣から覗き込むアトラ。
「……弁がたつ者は実に面倒だな、まるでお前の行っている事が真実のように思えてくる」
「獣よ、お前も何か別の事を考えているのではないのか?例えばそう……その小娘を別の誰かに重ねて見ているとか」
「フン……なんとでも言うがいい」
「そう牙を剥くな同胞。御機嫌斜めかの?まあ、仕方あるまい。どうにも話したくないようだからの」
「……教えるほどの事ではないからな」
獣と蜘蛛の話はそれっきり、クララが目覚めるまで一言も交わされることは無かった。
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