第17話 獣の騎士

「……随分と脆い体のようだな」


「っ……!余計なお世話ですっ!こんなのすぐに直して」


 拾おうとした右手も、持ち上げる前に崩れた。


 また剣がカランと鳴る。


「無理をするのはやめておけ、その足も立っているのがやっとだろう」


 獣は横に転がり、すくと立ち上がる。


「そんな、突き刺した筈なのに……!」


「お前の拳に合わせて自分で跳んだだけだ。浅い傷ならすぐに塞がる、だが、もしそのまま剣が振り下ろされていれば、俺を殺せていただろうが……む……?」


 正面からこちら見つめた獣は、また何か驚いたような表情をして、顔を背けた。


「……これは失礼した」


「今更何を……?」


 獣は自分の羽織っていた外套を差し出す。


「あまりに勇ましい戦士のようであったので、娘だとは気がつかなかったのだ、肌を見た事を許せ」


 差し出されて漸く、自分が一糸纏わぬ姿だという事に気がついた。


「……ありがとうございます」


 背を向けると、私に外套を掛けてくれた。


 男性だろう獣に、いつまでも肌を見せるのも良くない。


 ……別にもうどうだっていいけど。


「このまま戻ってくれれば、俺はお前を殺さずに済む、どうか殺させないでくれ。お前のような……幼い子供を殺したくはないのだ」


「私はこう見えても……いえ、戻ってもいずれまた、閉じ込められるだけです。ここで燻っているわけには……っ」


 重心が崩れ、倒れこむ。


「そんな体でどうやってこの牢獄から出る?」


 支えたのは獣だった。毛羽立った毛皮がチクチクする。


「余計なお世話だと……いえ……勝者は好きにするといいと、言いましたよね?」


 ここから出る手段がないなら、作るしかない。


「ああ、そうだな」


「貴方はここから出たくないのですか?」


 おそらく剣の師匠に匹敵する腕の相手。


 この獣を味方にするしかない。


「それができるのならすぐにでも出て行くだろうな、こんなものさえ無ければな」


 呪印の刻まれた腕を見せる獣。


「……なら、貴方をここに縛り付けている、その《契約》を上書きします」


「お前にそれができるのか?上書きには術者の殺害か、術者を超える魔力と力量が必要だと聞いたが」


「魔術は一通り修めています……人を癒す以外なら」


 私の魔力なら力押しで十分な筈。


 唇を噛み、血を流して呪印へ魔力を注ぐ。


 しかし注いだはずの魔力は逆流してくる。


「……これでは到底足りないな」


「そんなっ……」


 私よりも魔力が多い相手なんて信じられない……いや、アリアなら、おかしくないかもしれない。


「……足りなければ、《制約ゲッシュ》を自分に課すだけです」


 《制約》を自分に掛ければ、その条件の元、自身を強化できる。剣の師範から教わった戦士の秘伝。裏を返せば、守れなければ力を失う諸刃の剣。


 《契約》に用いれば、足りていない力量や魔力を補え、《制約》が破られない限りは解けない強固なものとなる。


 多用するなとは言われたけど、もう関係ない……復讐さえ出来ればいいのだから、思いつく限り、強力なのをかけてしまおう。


「《我は誓う、この者に今、私の持ち得る全てを捧げると》」


「……良いのか?」


「……貴方は強い、《私の騎士となり、その力全てを、私の為に使ってもらいます》、その代わりに《今、私が持つ全てを差し上げしょう》」


 まあ、私はもう何も持っていないから酷い詐欺のようなもの……とも言い切れないけど、私に不利はない。


 体に魔力が満ちて、獣の呪印が書き換わる。


「上書きできた……よろしく獣さん?」


「……承った。《契約》に従い、お前の剣となろう」


 跪く獣の男。


 復讐の為の駒としては申し分ない。


 これだけの力があれば、こんな場所すぐに出れる筈。


「さて、では獣の騎士よ、私をこの牢獄から連れ出して頂けますか?」


「では行くとしよう……この《混沌の奈落》の底へと」


 なんか変な言葉が聞こえたけど、聞き間違いかな。


「……何故底へ?」


「この牢獄は《下へ降りれば上に昇る事が出来ない》そういった《制約》をかけて、堅牢になっている」


「そんなの私の魔術で……」


「俺の《契約》を上書きするのにここまで苦労するくらいだ。それを破るのは不可能だろう。つまり我らがここを出るには、最下層へ行かねばならない」


「最下層……?」


「看守達はそこから出られる……らしいと言っていた。まあ、所詮看守達も囚人の一部だ、全ては知らないのだろう」


 これは……出るのにはまだ時間がかかりそう。


「抱えるぞ」


 獣は私を抱えた。視界が高くなり、橋の下、どこまでも底の見えない暗闇が見えた。


「……っ」

 

「この橋の先に待つのは、この暗闇すら生ぬるい者共だ、怖気付いたか?」


 その言葉に、私は一度背後を振り返る。


「……いいえ、私は止まるわけには行きません、私は必ず復讐を遂げねばならないので」


 でなければ私が生まれた意味など、もはやどこにだって存在していないのだから。


 私が無意味でないことを証明する為には、そうするしかないのだから。


「……案ずるな、お前が剣とした者はそれほどヤワではない」


 獣は牙をむき出して笑い、仄暗い橋を渡る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る