第3話 思い立ったが吉日だ

 

 それは約二週間前から始まった。


「お姉ちゃん、一緒に寝よ〜」


 十二時近くにわたしが寝るとき、一緒に寝るのがお姉ちゃんのルーティーンになっている。

 だからその日もお姉ちゃんの部屋をノックしたのだけど、開いた扉から顔を覗かせたお姉ちゃんは申し訳なさそうな顔をして言った。

 

「ごめんね、しばらく一緒に寝られないかも」


「な……」


 言いようのない衝撃が、わたしを貫いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 話を終えてモカちゃんの方を見ると、頬杖をつきながら興味の無さここに極まれりといった顔をしていた。

 

「えー、つまり?」


「お姉ちゃんが一緒に寝てくれなくなったの。きっとわたしのことが嫌いだから……」


「なんだ、ガキの戯言か」


「ガキじゃないし!」


「ならお子ちゃまね。バブー」


「お子ちゃまでもないしそれは赤ちゃん! ひどいよモカちゃん、こっちは真剣に相談してるのに」


「悪かったわよ。そうね……仕事で忙しいんじゃない? 今日だって仕事の打ち合わせで出ていったんでしょう?」


「打ち合わせはそうだけど、ホントに仕事が理由なのかな。ここ最近あんまり話してくれないし……」


「だから仕事が忙しいんでしょう」


「目を合わせようとしたらなんでか顔逸らすし……」


「勘違いか思い込みでしょう」


「ときどき部屋の中から『ビクトリー! これでどこへ行っても無敵なボディだね!』って知らない人の声が聞こえてくるし……」


「それはさすがにわからないわ」


「いつもは欲しい本頼んだらすぐ買ってくれるのに、最近は『今月ピンチなの』って買ってくれなくなっちゃったし……きっと引っ越しの資金にお金貯めてるんだ」


「本くらい自分で買いなさいよ! 受賞したときの賞金があるでしょう!」


「まだ出てないよ〜! それに税金引かれて振り込まれるらしいから実際は表示額より少ないんだよ〜!」


「嫌な事実を知ってしまったわ」


「それに、」


 わたしは言葉を止める。

 

「お金はもっと特別なことに使いたいよ」


「受賞できたのはお姉ちゃんのおかげだから?」


 こくり、と無言で頷く。

 それは去年の夏の暮れ――


『ユーちゃん、どうしたの?』


 リビングで大量の原稿に埋もれながら、死んだように寝転がるわたしにお姉ちゃんが声をかけてきた。

 

『もうダメだよ、お姉ちゃん。わたしには才能なんてないんだ……。その辺の雑草レベルなんだ……』


 締め切りまであと一週間だというのに、わたしは作品作りにいき詰まってしまった。

 自棄になって諦めかけているわたしを見たお姉ちゃんは、床に散らばった原稿を集めて、ページを並べ直して読んだ。

 そして――


『これすっごく面白い! 途中でやめちゃうなんてもったいないよ!』


 お姉ちゃんのその言葉で、わたしは最後まで書こうと思った。

 それから無我夢中で書いて、できあがったのは締め切り日の夜十一時。

 手直しなんてほとんどできなくて、応募要項を満たしていることだけ確認して、送信した。

 安堵のため息をついたわたしに、お姉ちゃんが労いの言葉をかけてくれた。

 

『お疲れさま、ユーちゃん! 頑張ったね!』


 お姉ちゃんは笑って労ってくれたけど、あの一言がなかったら、わたしはきっとあの作品を書き上げられていなかった。

 だからわたしは、自分の想いを伝えたいのだ。


「賞金の使い道なんかより、あなたはもっと大事なことをフィーネさんに言わなきゃいけないでしょう」


「うん。でも、やっぱり無理だよ。いくら姉妹だからって言っても……」


「直接『イラストを担当してください』なんて言えないって?」


「当たり前でしょ! 厚かましいにもほどがあるよ!」


「はぁ……、ちょっと携帯貸してもらえる?」


「えっなんでこのタイミングで。やだよ、自分の使いなよ」


「急用を思い出したのよ。あたしが携帯を持ち歩かないこと知ってるでしょう?」


「知ってるけど、モカちゃんは携帯って言葉の意味知ってる?」


「身につけて持ち運ぶこと、でしょう。このやり取りも何回やったことかしらね。いいから貸しなさいって」


 こんなタイミングで思い出すかって言いたいけど、わたしも人のことは言えないのでしぶしぶ携帯を手渡した。


「む〜。電話したらすぐ返してね。絶対だよ」


「当たり前じゃない。あなたじゃないんだから勝手に人の写真フォルダ漁ったり、アプリ消したりなんてしないわよ」


「わたしだってしたことないよ! たぶん!」


「そこは断言しなさいよ」


 モカちゃんはそう言って、慣れた手つきでどこかに電話をかけ始めた。場所変えなくていいのかな、わたしに聞かれちゃうけど……なんて考えていたら、「ねえ」とモカちゃんが声をかけてくる。


「あなた、『そんなに辛そうなのに小説を書き続けるのはなんで』ってあたしが聞いたとき、なんて答えたか覚えてる?」


「え、なんて言ったっけ」


「『いつかお姉ちゃんにイラストを描いてもらえるくらい、すごい作品を作りたいから』」


「あぁ……そういえば、そうだったね」


「もしかして忘れてたの?」


「ううん、そうじゃなくてむしろ逆で――」


 モカちゃんの問いにわたしが答えようとしたちょうどその時、電話が繋がったらしく、また『待て』と手を突き出された。

 モカちゃんがにこやかな笑顔で電話口に喋り掛ける。


「もしもし? 杜ノ宮です。ええ、ご無沙汰しております――フィーネさん」


「んなぁっ!?」


 電話の向こうから、お姉ちゃんの声がくぐもって聞こえてきた。

 途切れ途切れでよく聞こえないけど、お姉ちゃんも驚いているらしい。そりゃそうだ。


「帰ったらユーリさんがお話をしたいそうでして……え? ああ、そうだったんですか。わかりました。伝えておきますね。はい、それでは」

 

 ピッと電話を切り、いつもの無愛想な表情に戻ったモカちゃんがわたしに携帯を差し出してきた。


「安心なさい。フィーネさん、ちゃんと家に帰るそうよ。というかもう帰ってるって」


「あ、そうなんだ。よかったぁ」


「そういうことで、今日の夜にフィーネさんと話をすることになったわ」


「どういうこと!? いくらなんでも急すぎるよ!? なんで!」


「うだうだ言い訳ばっかりして想いを伝えようとしない姿がいつかの自分を見てるみたいでムカつくんだもの。言いたいことがあるんならさっさと言ってきなさいな」

 

 そう言って、立ち上がったモカちゃんがすれ違いざまに自虐的な笑みを向けてくる。


「あたしみたいに後悔したくないのなら、ね」

 

「……わかったよ」


 そんなことを言われたら、頷くしかない。

 モカちゃんは良い人だ。

 ずるすぎるくらいに。


「授業が始まるわ。あなたも早く戻りなさい」


 そうして颯爽と立ち去っていくモカちゃんの背中を見送ると、わたしも遅れて立ち上がった。


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