第百八十四節 急転直下の崖際で
変化というものは、見違えるほど強くなった仇敵と再会するとか、嘗て歯が立たなかった相手と対等以上に渡り合えるようになったとか、兎にも角にも劇的に描かれることが多い。
だがその反面、意識しなければ見過ごしてしまうような要素の中に、無視できない変化の兆しを感じ取ることが出来る場合もある。
「不気味、じゃのう」
「ええ、これが唯のセルリアンだなんてね」
山頂から転がり落ちるかのように雪崩込み、彼女らの行く手を阻もうとするセルリアンを次々に斬り伏せながらも、アスとキュウビは浮かばない顔をしていた。
彼らそれぞれが持つ身体能力が、一般的な個体と比べても遥かに高い水準にあるのに加えて、戦場に投入されるペースも非常に早いのだ。
ソウジュの話では、『カシオペア』は杖を失ったことで大量のセルリアンを同時に操ることが難しくなっているらしい。だが、この戦場の現状と照らし合わせればその証言は最早事実ではないと言える。
最大の懸念を本格的に検討する必要がありそうだ。
「セルリアンの女王が復活したと、そうなのか?」
「僕の見立てではあり得ない話じゃないよ」
「空気から感じるセルリウムも段違いに濃いわ。元々こうだったのでなければ、何か致命的な変化があったと考えざるを得ない。それに……『女王』の気配もするの」
四神に代表される『守護けもの』というフレンズたち――必ずしも守護の使命を帯びている必要はないが――は、彼女らの出生に関わる”
故に、普通のフレンズに比べて俗に『異能』と呼ばれるような特殊な力を抱えていることが多い。
そのような埒外の力を扱うには多量のエネルギーが必要になり、そのために彼女らの多くはサンドスター、およびけものプラズムの扱いに長けている。
サンドスターに関する感覚はかなり鋭く、細かい変化にも気付きやすい。
特に今のような巨大な変化が起きている時こそ、その大波の陰に隠れて見落としがちな些細な違いにも目を向けられる。
―――つまり、要約すると。
このどす黒いセルリウムの瘴気の中に。
『女王』に特有の匂いを、キュウビは感じ取ったのだ。
「その『女王』って強いの?」
「……そうね。私達と四神が揃っても、封印に追い込むのが精一杯だった」
辛勝と形容するのがまったく正しい戦いだった。
キュウビにとっては、苦々しい記憶としても映るだろう。
最愛の人を黒く冷たい封印の中に閉じ込めてしまう結末となったのだから。
「ただ強いだけではない、皆を指揮できるような誰かが居れば結果は変わっていたかもしれないけれど……ね」
「でも今度は大丈夫だよ、クオとソウジュがいるもん!」
なのに緊張も悲壮感も、どうにも薄い。
昨日まで気丈に振る舞いながらも気の沈んでいたクオは、ソウジュとついに再会できてとても弾んでいた。
きっとうまくいくと、クオは信じて疑わない。
ソウジュと一緒にいる限りは決して。
「……ふふっ。ええ、頼りにしてるわよ」
そんな光に当てられればキュウビの気分も自然と上向くというもの。
更に、封印が解かれて『女王』が復活した可能性が高いという凶報は、少しだけ見方を変えれば彼女にとっての最大の吉報となるということ、これまで何度も言及した通りである。
ヒサビを取り戻す唯一のチャンス。
こうでもなければ、永遠に訪れなかったかもしれない。
かつての因縁を終わらせる。
この機会は天からの賜り物といっても過言ではない。
「スピカよ、どうじゃ?」
「待ってください、もう少しで掴めそうです…!」
そんな明るい未来を夢想した所で、目の前にある現状を一つずつ打開していかなければ仕方がない。
今は丁度、土石流のように押し寄せるセルリアンの大群に対処するために、少しばかり足を止めてスピカの持つ『杖』を頼ろうとしているところだ。
『杖』を持つスピカはセルリアンを操る権能を想いの儘に振るうことが出来るのだが、相手に影響を及ぼせるかどうかは自分と相手の力量差によってかなり結果の揺らぐ部分がある。
新たなセルリアンは強く、簡単には身体の支配を奪えない。
脆弱な部分を探し、力を侵入させる技術によって力量差を覆すことは難しくないが、如何せん時間が掛かる。
―――つまり、待ちのターンなのだ。
「あの子がこの新しいセルリアンを掌握できたら、全員で一気に押し込みましょう。『カシオペア』と『女王』が一緒に居るかもしれないから、注意は決して怠らないように」
期限は、スピカの準備が終わるまで。
キュウビは研ぎ澄まされた妖術を、ソウジュは先の鋭い唐傘の剣を、クオは直視するだけで熱い光弾を振るい、押し寄せる怪物を退けていく。
「……ねぇ、キュウビ」
「どうしたの? あまり複雑な質問は後にして欲しいんだけど」
「いや、大したことじゃないよ」
敵を片付ける間に、ソウジュがキュウビに問いを投げかける。
「セルリアンが、他のセルリアンを食べることってあるのかな」
「…何ですって?」
それは彼がキョウシュウに来た直後に得た懸念。
敵の意味深な発言が、やはり疑問の影を彼の思考に落としていた。
(彼女は、『女王』と手を組むのかな?)
『…手を、組む?』
『くくっ……ははは…っ』
『傑作だな』
彼女の一連の発言を思い出す。
やはり、おかしい。
「『カシオペア』はどうにも、復活させた『女王』と協力する気がないみたいだったんだ」
ソウジュの予感が正しければ、敵が二人掛かりで襲ってくることはないかもしれない。
「会ってみれば、全て分かるわ」
「ふむ…それでいいのじゃろうか」
「相手が一人になってくれているのなら、却って戦いやすいわよ」
身も蓋もない発言だったが、ある意味では正しい意見である。
下手に楽観視を固めるよりは、どの場合でも十分に対応できるような警戒の中で戦いに臨むのがよいだろう。
このまま慎重に準備を固めようと皆が思い直した、その時。
風が吹いて、不思議な匂いが漂ってくる。
「……っ」
誰もが匂いを気に留めながら、そこに意味を見出すことなく見過ごす。
たった一人を除いて。
「ヒサビの妖力…!」
「あっ、キュウビ!?」
僅かな彼の気配。
それを唯一判別できたキュウビは、衝動に突き動かされるまま一目散に山頂目指して飛び出していく。
ソウジュの制止もする隙さえない。
「追いかけるぞ、あまり離れてはいかん」
「スピカ、間に合いそう?」
「あとちょっと………できたっ!」
だが丁度良く、スピカの準備も完了する。
研ぎ澄ました力を『杖』に込めて、甘い言霊を周囲に叫んだ。
「―――私に、従いなさいッ!」
白い光が杖を中心に波打ち、一瞬の波動が周囲のセルリアンを明滅させる。
スピカの力を受けた彼らは糸の切れた操り人形のように動きを止めると、数秒後には彼女の命令に従う本物の人形になってしまった。
これで、セルリアンの脅威はほとんど消えた。
「急ぎましょう!」
「いやはや、恐ろしい力じゃのう…」
そうして彼女達は、キュウビの後を追って火山の山頂へと急ぐのだった。
§
そして先に山頂へと着いていたキュウビは、一人『カシオペア』と相対する。
「ヒサビは何処ッ!?」
「あの男か。奴なら向こうに置いてきた、私には必要ないからな」
心底興味の無さそうな物言いにキュウビは虚を突かれる。
だが、嘘を言っている様子はない。
彼女は本当にヒサビを封印の跡地に放置したようだ。
「迎えに行くというなら止めはしない。元より、今の私が興味を持っているのはソウジュただ一人だ」
思わぬ言葉に逡巡するキュウビ。
しばらく風に当たって少し頭も冷えた。
自分がヒサビを迎えに行ってしまえばその間、こちら側の戦力が落ちることになる。
どうするべきか。
悩む彼女の肩を叩く手がある。
「いいよ、行ってきて」
「…ソウジュ?」
「僕たちは大丈夫だから、ね?」
不安げに彼らを見るキュウビに、ウィンクをしながらのグッドサイン。
彼女も分かっている。
彼らはもう守られるだけの存在ではない。
「……ありがとう」
僅かに目を潤ませて、キュウビは行った。
そして。
残った者達にもそれぞれの戦いがある。
「―――これはこれは。このような大所帯でよくぞ来てくれた」
両腕を広げ、大仰に声を上げて、フレンズ達を迎えた『カシオペア』。
その立ち振舞いには見覚えのない余裕があり、以前までの彼女とは纏う雰囲気が決定的に異なっていた。
それこそ、数時間前の彼女と比べてさえも。
「ソウジュ」
「…なに?」
「漸くお互い、万全の態勢で向き合うことができたな」
「結局、最初の『女王』は食べちゃったんだ?」
確信を共にソウジュは尋ねる。
今も一人ということは、本当に共闘する気がなかったらしい。
ニヤリと笑って、彼女は嘯く。
「封印という結末だったが、彼女は既に一度完全に敗北した。『
だが彼女が何を言おうと、ソウジュの考えは決まっている。
「知らないね。そんなの興味ないよ」
「だとしても私は、貴様を倒さなければならない」
「どうして?」
訳を尋ねれば、また彼女は執着を口にする。
「貴様こそ、私が打ち倒さなければならない存在だからだ…!」
「……問答は無用、だね」
元よりそうだ。
フレンズとセルリアン。
悲しいことに相容れないのだから。
「クオ、やるよ」
「うんっ!」
双子は手を繋ぐ。
温もりを感じあって、深くまで繋がる。
「『
また一つになって、続く。
「そして、これも…!」
ウラニアの鏡を取り出して、直ぐ祭祀の儀を呼び起こす。
「『
片割れと。
それを越えて全ての輝きと。
手を結んだ二人は最後の敵と相対する。
「最後の戦いだよ、『カシオペア』」
「違うな、今や私は真なる『女王』だ」
言葉はそれで最後だった。
ソウジュが。
クオが。
『女王』が動いて。
『―――ッ!』
それぞれの息が重なって、終に始まりの合図となった。
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