第百四十三節 対峙、そして開戦

 打って変わって、リウキウの平地。


「さっきから弱いのばっかり。もしかしてこれで邪魔してるつもり?」


 悠々と歩みながら軽く刀を振るうと、空を斬る刃から飛び出した真円の光が、まるで透き通るようにセルリアンを貫通して切り裂いてゆく。


 それは戦闘というよりも、寧ろ草刈りに近い流れ作業。


 前方には大挙して押し寄せる怪物の大群。

 後方には儚く舞い散る虹色の残滓。


 その間に何が起こったのかは、明白と言って然るべきだろう。


「今夜は本気のクオだもん、こんなの全然意味ないよ」


 月と共鳴して力を得た子狐。

 久遠に輝き続ける真円の猛威は留まる処を知らない。


 人によっては、何をやっているか理解すら出来ないやもしれぬ。


 現にレヴァティにも、目の前の景色の意味が分からなかった。

 しかし自分が付き従っている彼女が何かをした結果、こうなっているのは事実。

 だから、無邪気に褒め称えるのである。


「おぉ、お姉ちゃんすごーい!」

「危ないから、あなたは下がってた方がいいよ」


 それはセルリアンが危険という意味ではなく、クオの攻撃に巻き込みかねないという懸念だ。


 実際に、押し寄せるセルリアンの殆どを刀の光で狩り尽くしているクオだが、しばしば討ち漏らしが前線を摺り抜け、別々に処理する必要に迫られている。もしも1人なら辺りに見境なく光を放ち、後腐れなく全てを葬り去っていたことだろう。


 まあ、案内人として欠かせない存在だ。

 受ける恩の分は、しっかりと護衛を果たす気持ちだった。


「意外、雑魚しか出てこないや」


 多少は、奪った石板のセルリアンも混ざっていると踏んでいたが。

 身辺の護衛に当てているのか、前線の行軍には姿を見せない。


 若しくは、こいつらは全て捨て石。

 クオの実力を測るために、そして唯の時間稼ぎの為だけに、彼らは戦わされているのかもしれない。


 別にセルリアンなんて、厄介者以外の何でもないけど。


 そう考えると、ちょっとだけ不憫に思えてくる。



 まだまだ邪魔を振り払いながら、進むこと。



「……あっ!」

「アレなの、レヴァティ?」

「うんっ!」


 とうとう、ソウジュの居る建物まで辿り着いた。


「やっと、会える…!」


 ナカベでのあの夜から、どれくらいの月日が経っただろう。

 いいや、恐らく共に旅をしてきた時間の方がずっと長かった。


 だのにこの会え無かった時間は、永遠に続くかの如く終わりのない苦痛だった。



 ―――否。



 今夜、ここで終わらせるのである。


「いらっしゃい、クオさん」

「…スピカちゃん」


 いつの間に塀の上に立って、こちらを見下ろしていたスピカ。

 彼女は二人の姿にそれぞれ目を見やる。


 そして驚きに目を見開いた。


「あれ、レヴァティちゃん? どうしてキミがここに居るの?」

「え? 私たちはどこにでもいるよ?」

「ううん……まあいいや」


 些細な疑問を振り払うように首を振る。

 そうだろう。

 魚の所在など委細どうでも良いことだ。


 これから彼女たちに降り掛かる試練とは、それぞれの想いを貫き通すための聖戦。


 互いの意志の為に互いを排除する。

 不倶戴天の敵を彼の居る世界から消し去る。

 そんな戦いなのだ。


 故に先導者の役目は、これで終い。


「ねぇ、話すことある?」

「私はありませんよ、何も」

「だよね、クオもおんなじ」


 確認を済ませて、最後の言葉を交わす。


「始めましょう」

「終わらせよっか」




§




 夜の帷に浮かぶ、一つの光と群れの影。


 前者は、38万km先の白光を浴びて戦う狐の少女。

 今度は流麗な身体捌きで犇めき合うセルリアンの合間をまるで縫うように掻い潜り、危険が迫ればまた彼らの隙を突いて消えていく。


 閃く光陰の様に掴みどころのない、そんな戦い方だった。


 対して後者、王笏と冠を持つ乙女が率いる怪物の軍団。

 輝きを求め徘徊する彼らは当然の如く、誘蛾灯に群がる羽虫のようにクオに殺到し、終わりの無い鼬ごっこを繰り広げていた。


 しかし、趨勢は傾いている。

 やがて夜が明けるように、光の方へと向いている。


 セルリアンは、クオの動きを全く捉えられていなかった。


 必死に追い掛けはするものの、彼女の身体は縦横無尽。


 刀による上空からの攻撃手段すら持つクオに、地上を蠢くしか能の無い怪物が敵う道理もなかったのだ。


「どう、降参する気になった? 今だったら、命くらいは助けてあげてもいいよ」


 今更言うまでもなく舐め切った態度。

 しかし、それに見合う実力差を今までの戦いで見せつけていた。


 ……だからといってだ。


 もちろんクオだって、スピカがこれで終わるとは思っていない。


「やめませんよ。そんなことをする位なら、私はここで命を絶ちます」

「あっそ」


 興味なさげに切り捨てて。

 それと一緒に刀を振り抜いた。


「きゃぁっ!?」


 スピカは甲高く、そして態とらしく悲鳴を上げる。


 同時に後ろに飛び退いて逃げながら、2枚の石板を宙に解き放った。


 近くにいたセルリアンがそれを体内へと取り込んで、みるみるうちに姿形を変えていく。


 うさぎとこぐまのセルリアン。

 そいつらを、クオは一瞬で斬り伏せた。


「…あらら」

「こんなやつじゃ、もうクオの相手にはならないよ」

「それは困りましたねぇ…」


 ニヤニヤと、崩れない笑みがあまりに不気味。


「なら、この子はどうでしょう?」


 すぐさま出した次の石板。

 クオの脳裏に一瞬、嫌な記憶が蘇る。

 まるで既視感を助長するように。


 セルリアンに石板を食べさせて、その瞬間に身体の芯から炎が立ち昇る。


 業火に包まれながら、その怪物は再び姿を現す。


「…なんだ、ナカベぶりだね」

「さあ、もう一度やってしまってください」


 鳳凰座のセルリアン。


 瀕死のスピカの命を救って、剰えソウジュすらも連れ去っていったクオにとっては忌まわしき怪物。


 ソレは眼下の狐を見下して鳴き、鷹揚に翼を揺らして周囲に炎の渦を広げる。見境の無い災厄に巻き込まれるは有象無象のセルリアンで、片手間に塵と化した数は恐らくクオよりも多いだろう。


 この威圧感は、ナカベやカントーで遭遇した時とは比べ物にならない。


 僭主の王女、スピカに与えられた権能の産物か。

 彼の覇気は数倍に膨れ上がり、燃え盛る太陽だ。


 いっそ、飛び立つ前のイカロスの翼さえ奪ってしまう程に。


「……」


 そんな、暴れ狂うように狂熱を発する陽の前で。

 静謐な月光は、深く息を吐いて乾いた唇を濡らした。


「なぁんだ、この程度だったっけ?」


 臆せず向けられた侮蔑の言葉に不死鳥は怒り、翼を大きく広げて威嚇する。


 ともすれば滑稽でもあった。

 元より大きな彼が、まるで怯えたフクロウのように腕を伸ばして自身の大きさを誇示しているのだから。


 ならば、察していたのかもしれない。


 本当ならば自分の光を浴びて初めて輝く、謂わば鏡とも呼べる月の化身が。


 どうしてか、自分よりもずっと強い輝きをその身に宿していることを。


「……あれ?」


 呆けた声がスピカの口から零れる。

 その筈、視界から突然クオが消えたのだから。


 だけど刹那に。


 ハッと気づいて王女は命令を下した。


「避けてくださいッ!」


 鋭い声に鳳凰は身を硬くし、風の音を聞いて空を見上げる。


 すると、上方から迫る三日月型の影。

 いつの間に刀を手放し、巨大な鎌を振りかざすクオ。

 だがその刃は鋭く、もう避けられる距離ではなかった。


「くっ、なら私が…」

「もう遅いよ」


 鳳凰は狩られまいと炎を吐く。

 しかし片手に隠した短刀の残光が振り払う。


「―――拍子抜け」


 クオは地面に着地していた。

 三日月の鎌を夜に溶かして、背後で斃れる鳳凰には目もくれぬ。


 すぐさま彼女は跳んで。


 次のセルリアンを呼び出そうしていたスピカの手から、石板をはたき落とした。


 奇しくも、ナカベのあの夜と同じような光景。


「くっ…!」

「もう小細工はやめにしない?」

「…どういうことですか」


 だが今度は油断しない。

 あの日からクオもスピカも大きく変わった。

 お互いに犇々と無力を感じて、変わらざるを得なかった。


 その結果として目の前に居る誰よりも油断ならない戦力を、見逃しはしない。


「スピカちゃん、自分で戦った方が強いでしょ? さっきからずうっと隙を狙ってたのに、全然見せてくれないんだもん」


 血糊のようにセルリウムを塗りたくって、冷たい刀を向ける。


「それとも、一人じゃ怖い?」

「…ええ、実を言うと」


 スピカも王笏を、鼓舞のするように地面に打ち立てた。


「でも、引き下がる訳にはいきません」


 どちらも一歩も引かぬまま、前哨戦はこれまで。


 常夏の島の夜は存外に長く。


 本当の戦いが、ここから始まろうとしていた。

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