第百十一節 予定調和と想定外

 僕は立ち止まって、雲間に覗く月を見上げる。



 ―――気が付けば、かなり遠くまで来たようだ。



 それは先程から続く逃走劇への感想でもあり、ホッカイちほーから続いている旅を振り返ってみて耽る、一種の感慨のようなモノでもあった。


 最初に目覚めたあの日から、僕は何か変わっただろうか。例えば、夜が来るたびに姿を異にするお月様のように。ということは、本質は何一つとして同じままってことだけど。



「…流石に撒いたかな」



 全速力で走ったからか、追い掛けてくるクオたちの姿は見えない。ほっと溜め息をついた僕は、ちょうど昇る途中だった石段の端に腰を下ろして、少し休むことにした。


 もはや説明不要。

 取り出した水筒のお茶をぐいっと飲み干す。



「2人とも、どうしちゃったんだろう…?」



 口ではそう呟きつつ、心中では可能性を思い至りつつ、それを明確に想起してみたり、言葉で表現してみたりすることはない。自分がそうすると、言霊がそれを叶えてしまうように思ったから。


 願わくば悪夢のように醒めて欲しい。


 そう思うことすら嘲笑うように、小高い丘を吹き抜ける風はとても冷たく、浴びるとそれは肌に突き刺さるように痛かった。

 もはや、頬をつねる必要すら無さそうだね。



「あれ、ひとりなのー?」



 テンションの高い、呆けた声が聞こえる。振り返るとジャックオランタンが、輝く瞳にハテナを浮かべてこちらを覗き込んでいた。


 数日前の出来事。

 思い出したくない記憶が頭を過る。

 あまり、出会いたくはなかった。



「またイタズラ?

 今はそういう気分じゃないんだけど」

「ううん、そーゆーのじゃないよ」



 ぶっきらぼうに首を振ったジャックオランタンは僕の横に腰掛け、顔の形に穴の開いた大きなカボチャを何処からか取り出すと、人魂のような真っ青な炎をそれに灯し、ゆらゆらと揺れる明かりを僕に手向けた。


 そして、悪戯っぽく微笑む。



「どうだ、あかるくなったろう」

「…ありがと」

「ふふ、どういたしまして」



 不安定な光に照らされた少女の表情は、悪戯を仕掛けてきた時の彼女と比べて嘘のように柔らかい。だけど僕の目を射抜く視線には、心を見透かすような鋭さが見え隠れしていて、どうにも居心地が悪かった。



「どうしたの、沈んじゃって?」

「別に、なんでも」



 やはり疑問に思ってしまう。


 質問で図星を突かれると、どうして同じような返答しか出来なくなってしまうのだろうか。


 すると拙い誤魔化しへの追及を、心を縮こまらせて待つ他ないのに。



「…そ、じゃあ聞かないよ」



 でも、今回ばかりは違った。

 ジャックオランタンは僕の否定に肯くと、それ以上何を尋ねることもなく、丘から見下ろせるお祭りの様子に目を向け始めた。



「キレイなお祭り、頑張って盛り上げた甲斐があったなー。

 ねぇねぇ、キミもそう思うでしょ?」

「……まぁ、ね」



 曲がりなりにも、自分も準備を手伝ったイベントだ。

 無事に開催に辿り着いた様子を見て、思う所が無いわけでもない。


 時間があったら少しくらいは、それについてジャックオランタンと話してみても良いと思った……けれど。



「みつけた」



 どうやらそれは、許されないみたいだ。



「…クオ」

「お待たせ、ソウジュ」



 今夜だけは、待ってなかったよ。



「言いたいことは沢山あるけど、とりあえず~…」



 ふわふわと浮くような語調と、それに似つかぬ滲んだ殺意。

 クオは腰の鞘から刀を抜いて、ジャックオランタンに切先を向ける。



「そこのカボチャちゃん。

 早くソウジュから離れて?」

「ひ、ひぇぇ…」



 お面を張り付けたような乾いた笑みが、こちらを見るクオの表情だった。




 その数分後。


 刀で脅してジャックオランタンを追い払ったクオは、彼女と入れ替わるようにして僕の隣に腰掛けた。身体の距離は彼女よりもずっと近く、両の腕は僕を抱き締めて、今度こそ逃げられないように堅く繋ぎ止めている。


 クオの安堵を感じさせる暖かい吐息が耳を擦り、狐耳はぴょこんと跳ねて僕の髪の毛を持ち上げる。


 そして僕らの身体の間に潜り込んだ尻尾の毛並みは天日干しにした筆のように、わたあめよりも甘く柔らかく、反面岩すら凌ぐほどの重い情念を、クオは全身を以て僕にぶつけていた。


 そんな状態が延々と続く。


 まるで時間が止まったかのようだ。



「ねぇ、ソウジュ」



 ようやく雲が晴れて月明かりが見えてきた頃、クオが口を開いた。



「クオたち、ずっと一緒だよね?」

「…うん、勿論だよ」

「えへへ、そうだよねっ♪」



 何気ない受け答え。

 幾度となく繰り返してきた記憶。

 なのに何処かぎこちない空気を覚える。


 それはどうしてか。


 クオが僕に向けるいつも通りの筈の上目遣いが、夜の影の所為で妙に昏く見えるからなのだろうか。



「ねぇねぇ。ソウジュがさっき逃げたのは、こうしてクオと2人っきりになりたかったからなんでしょ? 絶対にソウジュのところに来るって、分かってたんだよね?」



 ……それとも?



「あ、えっと…」

「恥ずかしがらなくていいよ、クオはわかってるから」

「う、うん…」



 優しい声が恐ろしいのは如何なる故か。ふわふわと柔らかいのに、際限なく重く圧し掛かって、身動きの取れない拘束に姿を変えてしまうからだろう。こんなこと、僕は夢にも思わなかった。


 先日、湖でこと座のセルリアンを倒した後、泣きじゃくるクオを宥めて宿まで負ぶって帰ったときも。泣き疲れて眠りに落ちたクオの寝言が、背後から僕の耳朶を触るのだ。


 「ごめんなさい」と、「強くなりたい」と、「置いていかないで」と。


 きっと僕には、見守っていることしか出来なくて。



「…えへへ♥」



 クオは笑っている。

 今は笑えている。


 焦る気持ちの裏返しのような、殺意の刃先を向けることなく。


 僕はいつまでもこうであれと、まだ見えない星に願う。




§




 時はほんの少し遡って、ソウジュが2人の拘束を振りほどいてその場から逃げ出した直後のこと。クオとスピカはその後しばらく、立ち止まったまま睨みつけて互いのことを牽制しあっていた。


 楽しげなお祭りに混じる刺々しい空気。


 胸やけしそうな沈黙の中、スピカが先に口を開いた。



「……いいんですか、早く追いかけないと」

「ん、別に? クオは焦らなくても大丈夫だから」



 クオはそう言って、屈託のない笑顔を見せる。その落ち着き払った様子からして、スピカはクオが嘘をついているとは思わなかった。


 だけど、どうして?


 彼女の頭に浮かんだ疑問に答えるように、胸にふわりと手を当ててクオが話し始めた。



「だってクオたちはふたごだから、ソウジュが何処に行ったって、クオにはいつでも居場所が分かるの。、たとえどれだけ離れてたって、クオはソウジュを見つけてあげられるの」



 夢見心地なクオの顔。

 本当に夢でも見ているのでは?

 普通に考えて、クオの言葉は妄想にも等しい。


 悪寒を感じて、背筋が凍る。

 目の前にいる少女が素面で喋っているなどと、スピカは到底信じられなかった。


 

 ……それでも。 



 もしも事実だとしたら、猶予が無いのはスピカだ。



「だったら……!」

「行かせる訳ないじゃん」

「っ…」



 慌てて走り出そうとしたスピカに詰め寄り、脚の間に自分の脚を挟んでクオは彼女の動きを封じた。


 スピカは身動ぎする他ないが、これではクオも動けない。



(ここまでして、私を妨害するってことは…)



 恐らくクオの言葉は事実。

 もはや疑いようなく、時間は彼女の味方なのだろう。



「ねぇスピカちゃん、もう変なことはやめて?

 ソウジュはクオのなんだから、盗む様な真似しないでよ」



 真綿で包み込むような優しい声が耳元で囁く。言い伝えの妖狐が生き写しになったかのように妖艶な吐息。スピカは一瞬、この状況すら忘れて彼女の雰囲気に呑み込まれかけてしまった。


 それでも気を確かに保って、言い返す。



「そう言って、ソウジュくんが頷いてくれますか…?」

「もちろん。クオたちの仲だもん」



 不安を一切感じさせない、鷹揚な返答。



「最初からずっと、クオたちは一緒にいるんだから」

「その時間の長さが、絆の証明だと?」

「もう、スピカちゃんったら……『ただ時間が長いだけ』みたいな言い方、やめてよね」



 くすりと、残酷に。



「じゃあスピカちゃんには、何があるの?」



 どきりと、沈黙し。



「何もないよね?」



 ざくりと、刺されて。



「……ね?」



 丁寧に、突き放された。



「第一スピカちゃんは、セルリアンと戦うことすら出来ないじゃん」



 吐き捨てるように向けたその言葉に、クオは自身の姿を投影していたのかもしれない。ずっと前からソウジュに守られてばかりの自分を、それよりも更に弱いスピカの姿に重ねて。



「えっと、他には特に言うこともないんだけど…」



 ひょいと取ってきたわたあめを食べながら、コツコツとメトロノームのように首を振って言葉を探す。言うことも既に無いのに、スピカに追い打ちを与えるためだけに考える。



「……なるべく早いうちに、諦めておいた方が良いよ♪」



 しかしそれにもすぐに飽き、そんなことを言って終わりにした。

 そしてクオはスピカを置いて、その場から立ち去ってしまった。


 スピカもぽつぽつと、失意の中で絢爛な祭りの夜道を歩いていく。



「そこのキミ! このチョコバナナ、食べて行かない?」

「あぁ、ありがとうございます…」



 時に呼び止められ、時に呆然としてすれ違いざまにぶつかり、一転して華やかさに心を傷つけながらスピカは進む。


 もう味のしない割り箸をゴミ箱に放って、彼女を遮るものはもう何も無くなって。


 自由になればなるほど、渦のような現実から逃れ得る手段を失っていく。



 今のスピカには、何もかもが足りなかった。



「それでも、私は……」



 スピカの背後に、影が立つ―――。


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