第百九節 θの律動
―――爽やかと形容するには高揚しすぎ、綺麗と呼ぶにも彩度が濃すぎる。
それはベタ塗りにされたインクのような感情だった。
赤と青のビビッドな色彩が僕の全身と周囲を染め上げ、星座の光に書き換えられた服装は近未来的な衝動を音律に刻み込む。色を集めて固まった双銃を両手に握れば、逆向きに重なった三角形が足元に現れる。
どくどくと身体中を駆け巡る赤熱と青冷。
今までにない力の奔流が血管の壁を叩き、心臓の鼓動は三角波に同調する。
混ざり合って、互いに影響しあって。
へびつかい座の輝きとも違う、2つを揃えてこその光。
(
どうしてこんなことが出来たのか、全然分からないけど……)
考えるよりも先に、程よい全能感に視界が華やぐ。
これが、2つの星座の力。
なかなかどうして、悪くない。
「君も早く来なよ、そんなところにいないでさ」
引き金に指を掛けて、銃口を湖のセルリアンに向ける。
まあ、どうせ声を掛けても来やしないだろう。
僕は指に力を込めて銃弾を放った。
そうして筒から飛び出た銃弾は鉛の塊ではなく、これまた目が痛くなるほど明るい赤色のインクだった。一見して威力の疑わしい攻撃だが、僕は疑うまでもなくそれを信じていた。
アレは効くよ。
特に、ここならね。
「―――ッ!?」
程なくして、着弾。
不思議と、セルリアンが驚く悲鳴が聞こえたような気がした。
インクの銃弾は当たると同時に明るく弾けて、セルリアンと周囲の水域を染め上げる。じわじわと赤色が広がっていく光景はまるで血溜まり、セルリアンが血を流すことは無いけども。
ともあれこれで仕込みは完了だ。
……湖を汚しちゃったことについては、後で対処を考えよう。
「じゃ、次はコレだよ」
僕は赤の銃を地面に放り投げ、土にインクが広がる。
正直に告白すると銃弾のダメージには全く期待していない。
では何故撃ったのか。
答えは簡単。
マーキングだ。
銃を失くした空の手に、集まったインクがナイフを形作る。
「……見づらい色」
目がちかちかする。
刀身が赤くて返り血が目立たないかもね。
そんなことをする予定は無いが。
この刃が向く先はただ一つ。
湖の真ん中で安置を気取っている、いけ好かない琴弾きのセルリアン。
僕は握ったナイフを、セルリアンに向けて適当に放り投げる。
そうして手を離れたナイフは空中で姿勢を失い、クルクルと美しさもなく回りながらランダムな放物線を描いて落ちていく。
……ふむ、やっぱりこうなるか。
自慢ではないが、物を投げるのは得意じゃないから。
練習したこともないし、当たり前かもしれないけれども。
それでも問題は無い。
さっきのマーキングがあればね。
「――追いかけろ」
水滴が集まって地に落ちるように。
金属が磁力の穴に吸い込まれてゆくように。
ナイフは僕の言葉に素直に従って、同じ色の
急所を突かれたセルリアンは体勢を大きく、遠目で見ても分かるくらい明らかに崩し、湖に沈んでしまった。
取り残された琴も、後を追うように水面に消えた。
「……終わった?」
ずっと頭を抱えていたクオが、こっちを見上げて尋ねる。
「どうだろう。まだ怪しいかな」
「そんなぁ…」
勝負を決めた手応えが――飛び道具で攻撃しておいて手応えも何も無いが――なんとなく感じられなかった。雑魚ならあの程度でも楽勝だと思うけど、あの琴弾きはほぼ間違いなく星座のセルリアン、つまり他と比べて数段は強い。
さらにアイツは特徴からして『こと座』の可能性が高く、もしも予想通りなら星座のセルリアンの中でも強い部類に入ると思われる。
よく名を知られた星座は、輝きが大きい傾向にあるからね。
まあそんなこんなで、まだ勝ったとは言い難いかな。
フィクションの世界だと、『水落ちは生存フラグ』なんて言われてたりするみたいだし。
……だけど。
「僕は、逃げても良いと思うな」
「えっ?」
「だって、無理して倒す必要なんかないじゃん」
琴が水に沈んで、不快な音も止んだ。
もう逃げるのを邪魔する存在なんて居ないし、また危険に向かって飛び込む理由も特には無い。
さて、クオはそれじゃ不満なのかな?
「やだ、むかつく」
「その感情の後始末が、全部僕の仕事になっちゃうんだけど…」
意地っ張り。
負けず嫌い。
或いは、わがまま。
何というか、『誰かが襲われたら大変』とかじゃなくて、ただ単に『むかつく』っていう自分の感情一点張りなところが僕は好きだ。
仕方ない。
やってあげよう。
こうして僕は、
§
「やっほー、やっと上がって来たねえ」
「……ッッ!?」
クオを安全な場所に逃がし、湖のほとりで待ち続けること十数分。
ようやく、琴弾きのセルリアンが水の中から姿を見せた。
「あまりに長くて待ちくたびれたよ。
水の中はそんなに気持ち良かった?」
クルクルと青い拳銃を手の中で回しながら尋ねる。声帯を持たないセルリアンは言葉こそ発しないが、こちらをギョロリと見つめる光の無い目には確かに警戒と嫌悪の情念が浮かんでいた。
どうしてだろう。
ナイフで刺したからかなぁ。
「別に、警戒しなくてもいいよ。……したって無駄だからさ」
僕はそう言って、避ける隙も与えずに銃弾を一発。
ブルーのインクが当たって弾けて、僕の靴にもひとしずく飛び散る。
頭から真っ青になってしまったセルリアンは、絶句したように水中の琴をじりじりと自分の元へ手繰り寄せていた。
うーん、やっぱり汚れるだけか。
「質量、速度、硬さ……イメージが足りない…」
ナイフは作れた。
問題なく刺せた。
なら銃弾だって、僕の考えようでどうにでもなる筈だ。
そしてこの力の正体も、少しずつ分かってきた。
2つ重ねた三角形は、お互いの輝きがそれぞれの色を打ち消し合って、単調でより大きな輝きを形作っている。個性の薄い輝きは、僕のふたご座と、妖術の力と、他の星座よりも近づいた同調を実現している。
三角形を無限に組み合わせて、僕好みの形を作る。
流体のインクを操って、どんな姿にだって。
コレが言霊のイメージを、全て賄ってくれる。
もう一度、引き金に指をかけて。
「―――ぶっ飛ばせ」
次に放たれた銃弾は、空中で爆ぜてセルリアンを吹き飛ばした。
「ふぅ~、やりゃできるじゃん」
霧雨のように散った青いインクの中で、吹こうとした口笛はただの息になった。
「じゃ、畳みかけよっか」
地に置いた銃を踏みつぶす。
ぐちゃりと辺りに色が広がる。
僕はそれに手を触れて、腕を突っ込む。
「出ておいで」
イメージを形に。
重厚な大剣の柄が手の中に納まった。
いつの間に晴れていた霧の向こう側でセルリアンは震えている。
僕が剣を携えて歩き出したらアイツの身体がビクンと跳ねて、藁を掴むことすら覚束なさそうな指の動きで弦を弾き始めた。
響き渡るのは、最初に聞いたのとは似ても似つかない酷い音。
演奏と呼ぶことすら烏滸がましい、空気を揺らしているだけの雑音。
なのに存外、耳へのダメージはこっちの音の方が小さかった。
不思議だ。美しい音の方がうるさかったなんてね。
「…綺麗なものには棘がある、ってやつ?」
別に美しくないものに棘が無いって意味じゃないけど。
そんな音じゃ僕は止められないよ。
「はぁっ…叩きのめすッ!」
深青の大剣。
轟音を立てて地面を穿つ。
身体を回して薙ぎ払ったなら、周囲の草ごと消し飛ばす。
「まだまだ、もう一発!」
銃身を飛び出す赤い散弾。
そこから生み出すもう一本の剣。
つまり、大剣の二本持ち。
常軌を逸した重量で、肩が外れてしまいそう。
「あはっ、すごく重いや…」
いいよ、こうでなくっちゃ。
重すぎるくらいが丁度良いものって、色々あるでしょ?
僕は剣を引きずるようにしてセルリアンの目前へと向かい、攻撃が届くギリギリの距離で構えなおす。
ふと、水面を鳥が走ったように見えた。
僕はその鳥すら落とす勢いで、剣を振るった。
「……捻り潰す」
1、2、3。
3度の攻撃と、2色で描かれた6本の辺。
一瞬にして空間に刻んだ、逆向きの三角形の紋様はまるで結界のように働き、縛られたセルリアンは地に足つかず藻掻いている。
いいや、これ以上苦しめるのは止そう。
僕は再び銃を手にセルリアンの身体を貫いて、残骸から落ちた石板を回収した。
「討伐完了。今からクオを迎えに行こう」
ふぅと息を吐いて同調を解く。
手元には2枚の石板と、周囲のインクは跡形もなく消え失せていた。
どうやら、環境汚染の心配をする必要はなかったらしい。
―――不思議な現象だった。
いやまあ、『
何故、こんなことが可能だったのかな。
同時に2つなんて、絶対に出来ないものだと思っていたのに。
……クオから石板を受け取ったあの時に、何が起こった?
(考えられる可能性は…)
2つの星座。
さんかく座とみなみのさんかく座。
ふたご座。
星座の輝きを引き出す力。
ふたご。
双子。
2人。
「…まさか、ね」
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