第百八節 湖に怪異の奏者あり
「…ほい、終わり!」
リスのほっぺたのように膨れ上がった袋を虚空間に投げ込むと、僕は草の上に腰を下ろして自分の脚を労う。
袋に入り切らなかった木の枝をへし折って、ぽいと草むらの中。
みんなと合流して仕事の成果を共有するだけの仕上げを最後に残して、ナミチスイコウモリとジャックオランタンのハロウィンコンビから預けられたタスクは、今の分で無事に終了と相成った。
…若干、心配しすぎたのかな。
彼女らの奔放さに、僕も最初は危機感を覚えていた。
だが、いざ蓋を開けてみれば中身は大したこともない、芝居に使う大道具の材料集めでしかなかった。
途中で更なるイタズラに遭うこともなく、至って平和な時間であった。
「問題は、戻った後か」
仕掛けてくるとすれば、間違いなくそのタイミングしかない。
作業の間には何も起こさず、気が緩んだ隙を突く作戦の可能性が高い。
……本当にそう?
決めつけるのは良くない。
万一に備え、様々な可能性を検討しなければ。
「でも、近くには来ていない」
やはり合流直後か。
若しくはもっとその後か。
とにかくやられっぱなしでは癪なので、隙を見つけて反撃を食らわせてやりたい。
ハロウィンの時期なぞもうとっくに終わっているのに、お祭り気分で盛り上がっているのが気に食わんのだ。
いっそカレンダーの朗読でもさせてみようか。
そんなことも頭に思い浮かべつつ天を仰ぐ。
僕は自分の横に生えた木を眺めて、呆れて声を掛ける。
「…クオは、いつまでそこに隠れてるの?」
「わわっ、気付いてたんだ…」
「そりゃあ、ずっと視線を感じるからさ」
作業を始めて少しした辺りから、今に至るまでずっと。
そんなに長い間、飽き足らず僕のことを眺めていられる子なんて、クオ以外にはいる筈も無い。
ほんの一瞬、スピカの顔が頭を過ったがそれも気の所為。
あの子は別部隊の作業で忙しいからね。
……それはさておき、クオはちゃんと仕事を終わらせたのかな?
本当にずっと僕のことを眺めっぱなしだったのなら、クオに資材集めの時間はこれっぽっちも無かったことになってしまうけど。
僕が集めた分で足りるのだろうか。
「ま、いいや。ちょっとクオにも手伝って欲しいことがあるんだよね」
「やる~っ! なにするの?」
中身すら聞かない二つ返事。
一点の曇りもない信頼がうれしい。
「まあまあ、まずは作戦会議だよ」
作業が案外早く終わって、多少はフリーな時間が出来た。
さっさと帰るよりもずっと、ここで有効に使う方が良いだろう。
折角だから、クオと一緒にいたいしさ。
「湖でも見ながら、しゃべろっか」
§
例えば、セルリアンが目の前に居たとしよう。
考えてみて欲しい、自分ならどうするか。
ソイツが小さい個体ならきっと倒そうとするだろうし、強そうだったら腰が引ける。もしも勝ち目のない相手だとしたら、一目散に逃げ出す筈だ。
……まあ、それはどうでもいいんだよ。性格にも因るだろうし。
概ね警戒心の強い僕は、そこそこの割合で後者の選択肢を採っているかな。
誰かが襲われているとか――例えばスピカのようにね――そういう喫緊の事情が無いのなら、好んで戦いを仕掛けるような性質ではない……と、少なくとも自分ではそう思っている。
―――だから、さ。
「こらー! 待て待てーっ!」
クオの非常に好戦的な性格にほとほと困らされてしまう経験が、やはり後を絶たないのである。
「ねぇ、そんなのほっとかない?」
「やーだー! たーおーすー!」
クオは地団駄を踏む姿も愛くるしく、見ていると胸が苦しく。
この外見で狂戦士ばりの闘争本能を抱えているギャップだ。
印象の温度さに風邪をひいてしまうかもしれない。
気が付けば駆け出していたクオが振り返って、大きく手を振りながら僕のことを呼んでいる。
「ソウジュも手伝って、早くアイツを追い詰めないと!」
果たして僕の出る幕が本当にあるのやら。
遠目で見た限り、セルリアンは小さい。
特殊な個体でもなさそうで、討伐は実に容易そう。
だから別に、ここから見守るだけでも平気だとは思うのだけれども。
「……『
まあ、手は貸してあげよう。
他でも無いクオの頼みなのだ。
僕は黒色の衣装を身に纏い、クルリと回して弓を構えた。
「それならさっさと片づけよ。時間が勿体ないからさ」
「えぇ、じっくり楽しみたいのに…」
「今日は諦めて」
クオったら。
やっぱり戦いが好きで好きで。
(……刀が光ってるのが怖いなぁ)
幾百ものセルリアンを斬り捨ててきた妖刀の被害者が、今日も1体増えるのか。実を言えばまだ妖刀でもないけど、クオに使われる内に変化しても不思議じゃなさそうだね。
羽根のような矢を弓に番える。
「ま、撃つよ」
戦いの始まりを告げる矢を放つ。
綺麗な放物線を描いて黒色の軌道を描いた矢羽は……。
「え」
「あ」
吸い込まれるようにセルリアンに突き刺さって、パッカーン。
倒してしまった。
「そ、ソウジュ…?」
眼窩の空洞をまん丸に。
ぽかんと口を開けて僕を見る。
「……そういう日だって、あるじゃんか」
「もー、ソウジュのばかーっ!」
クオは泣き出してしまった。
ぽかぽかと叩かれながら同調を解く。
散っていく鴉羽に翳って、湖を横切る影が目に留まる。
「…ん?」
気付いた瞬間、時すでに遅し。
白昼の湖の中心で、悪夢のようなコンサートが始まった。
―――ポロン、ポロン。
「……うあぁっ!?」
「っ、クオ…ッ!」
奇妙な音が辺りに響き、クオが頭を抱えて蹲った。
前触れの無い襲撃に僕は驚きつつもクオを介抱し、恐らく彼女を苦しめているであろう楽器の音色に耳を傾ける。
まずは聞き分けるために、聴力を引き上げる。
「『
頭に黒い狐耳を生やした。
そしてその瞬間に悟る。
「ぐッッ!?」
耳の根元から引き千切られそうな痛み。
脊椎反射で同調を解く。
(こりゃ、クオがこうなるわけだ…!)
この音はキツネには厳しすぎる。
たった一瞬で、耳の奥に不快な残響がこびりついてしまった。
しかし、重要な事実を知ることが出来た。
「音源は、やっぱり湖の真ん中だ…!」
やな場所にいやがる。
もっかい弓矢で射抜いてやろうか。
また鴉座を取り出そうとして、やめた。
なんか、上手く行かない気がする。
ただの直感だけどね。
ちゃちな一撃では沈まないような予感が、ひしひしとしている。
「だったら、直接叩いてみるべきか」
リクホクでも活躍したあの星座。
氷を操る麒麟座の力を今こそ此処でお見せしよう。
「待っててね、すぐに片付けてくるから」
「…だ」
脚を引くのは、クオの手だ。
凍えるように震えて、僕を行かせまいとする。
涙混じりの声が耳朶を震わせた。
「やだ、行かないで…」
上目遣いに胸を打たれ、微かに生まれた隙の刹那。
潮風のように心に吹き付けた予感が、僕の視線を湖の方へ引き寄せた。
(な、なんか飛んで来た…!?)
ダメだ。
早く。
防御しなきゃ。
「こ、この際なんでもいいっ!
『
虚空間に石板を求める。
右手の麒麟座も忘れて。
言霊の存在も忘れて。
そうして、僕が掴み取ったのは。
「……『
”なんでもいい”とは言ったけど。
これ、何に使えるんだろう…。
「…おっと」
でも、早速役に立ってくれた。
謎の攻撃に対して手の平を向けると、三角形の半透明な壁が現れて盾になった。
まあ状況を考えれば丁度いい。
……だけど、これだけ?
まさかそんな筈はないと思うけど。
「やっぱり麒麟座かな。
この星座じゃ攻撃も届きそうにないや。
クオ、そこの石板取って」
「う、うん…」
また攻撃されても大丈夫なように、敵の姿を視界に収めたままクオに石板をお願いする。視線は下げることなく、石板の正体を確かめることもせず。
きっと、焦っていたからだろう。
当時は気付かなかったが、虚空間から石板がもう1枚零れて落ちていた。
クオは麒麟座ではなく、その落ちた星座を手にした。
そして僕に。
さんかく座と同調していた僕に、それを渡した。
「……ん?」
みなみのさんかく座。
スピカを助けた時に、彼女を襲っていたセルリアンのものだ。
逆三角の光がさんかく座の輝きと呼応する。
僕と、クオとに挟まれて。
起こるべくして共鳴は起こり、2枚の石板は1つに融合した。
(…そっか)
非常に奇妙なことに、僕の心に驚きはなかった。さも当然のようにそれを受け入れ、手を伸ばす。五指の中に包まれた石板は、どうしてか普段よりも馴染み深く感じられた。
同調を、いつものように。
魔法の言葉も、頭に浮かんでいる。
さあ、唱えて。
「『
―――
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