第百節 悪魔の甘味を求め魑魅魍魎が闊歩する鮮血の紅葉降る季節の宴
―――ハロウィンの行軍を始めてから、およそ数時間後のこと。
「降参よ。もう、これ以上は食べられないわ…」
道の真ん中で食い倒れ、はだけた包帯の隙間から肌を見せるタレス。ロウエが彼女の肩を支えて介抱し、二人は街道の脇に建つ『ラジオパークセントラル』の建物の中へと消えていった。
残された僕とクオの視線の先には、一人のフレンズ。
『お菓子大食い対決』でタレスを下した、妙な言葉遣いをする少女。
件の対決については、詳しく記さない。
下らない対抗心から始まった唯の小競り合いだ。
特筆すべき部分といえば、観戦目当てのフレンズ達が集まって、街角に少々の盛り上がりを作り出したくらいだね。
でも別にそれはいい。
もっと大事なのは目の前にいる、タキシード姿の彼女の方だ。
僕はその鷹揚な立ち姿に威圧されるのと同時に、彼女よりも先に服屋へ向かっていれば、そこにあった唯一の男物を奪われ、こうして女装させられることもなかったのだろうと自らの不運を嘆いた。
緩く開いた手を顔の前に翳して、少女は独りごちる。
「天鱗纏いし劇毒の使い手よ。そなたは間違いなく、我が
一応、繰り返しておくが、彼女たちがやったことはお菓子大食い対決だ。”劇毒”だの”ライバル”だのと、そんな大層な言葉が出てくる余地はない。
或いは、そこに僕たちの知らない駆け引きがあった可能性も捨てきれないが…。
「あの子、大げさだね」
「やっぱり…クオもそう思う?」
僕らの認識は共通していた。
「……ふむ。そこにいる市井の民よ。血で血を洗う我らの戦いの様相に言葉が出ないようだな?」
確かに言葉も出ないね。
発言の中身が不明すぎて、同じ日本語を喋っているとは到底思えない。
これが『そういう方言』だと言われれば、心の平穏の為にも僕は素直にそれを受け入れてしまうだろう。
されど少女は、僕らの視線などお構いなしに言葉を続ける。
「だが仕方のないことだ。何故ならこれは、『悪魔の甘味を求め魑魅魍魎が闊歩する鮮血の紅葉降る季節の宴』」
「……え、なんて?」
「『悪魔の甘味を求め魑魅魍魎が闊歩する鮮血の紅葉降る季節の宴』だ。この世界に蔓延る深淵の闇に触れたことが無いフレンズにとっては、理解に苦しむかもしれんがな」
確かに苦しむね、うん。
「だがそれで良い。
それでこそ、このパークが平和である証拠だ」
何故か感慨に耽る少女。
僕は戸惑いつつも、彼女が言った奇怪な言葉の正体を掴みかけていた。
「……もしかして、『ハロウィン』のこと?」
「察しがいいな。お前も
「ああ、それはどうも」
褒められたみたいだけど、どうにもピンと来ない。
むしろ褒めたいのは僕の方だ。
あの長い言葉、よく噛まずに言えたねと。
こちらに手を伸ばして、少女は言う。
「どうだ?
我と一緒に、世界を恐怖に染め上げる気は無いか?」
なんとも恐ろしいお誘いだ。
隣に立っていたクオが震えあがって、僕の背中にくっついた。
(そ、ソウジュ…っ!)
(たぶん、『みんなを驚かせに行こう』って言ってるんだよ)
朧げながら、少女の言葉遣いの法則性が見えてきた気がする。きっと伝えたい内容そのものはさほど難解ではなくて、ただ言い回しが奇妙を極まっているだけなのだろう。つい先程のやたらと長い言葉もそうだ。
お菓子 → 悪魔の甘味
魑魅魍魎 → 仮装をした集団
紅葉降る季節 → 秋
―――とまあ、そんな感じ。なんだかパズルみたいだね。
さて、話を戻して。
どうやら彼女は僕たちと一緒に、ハロウィンに浮かれる町中を歩き回りたいと言っているらしい。
しかし、僕は断った。
「とても魅力的な提案だけど、ちょっと…歩き回りたくない理由があってね」
女装のことだ。
「タレスの様子を見に行くよ。
このラジオ塔も、さっきから気になってたからさ」
目を伏せて、名残惜しそうに少女は頷いた。
「そうか。理由があるなら仕方が無いな。だが……歩き回りたくない、とは?」
「無闇に姿を晒したくない、って言えば伝わるかな」
「フフフ、理解した。
深淵より顕現せし闇は、俗世から隠し通されなければならないからな」
……大丈夫かな。
なんか、同好の士だと思われちゃってそうで怖い。
まあ、無理に女装させられたこの姿を見られたくない……って気持ちは伝わっているみたいだし、問題は無いか。
「では我も同行しよう。
彼女は面白い存在だった。
このまま別れてしまうのは、非常に名残惜しいからな」
三人でラジオ塔に入りながら、僕は思い出す。
そういえば、名前を聞いていなかったと。
名も知らぬフレンズとでも対決を始めてしまう辺り、タレスも奔放な性格だなぁと、改めて僕はそう思った。
§
「我の名はブラックバック、闇より出でし闇を糾う者である」
「僕はソウジュ、普通の人だよ」
「クオだよ! よろしくねっ!」
建物の中へ入った後に、気を取り直して自己紹介を交わした。ブラックバックは幾度もそれぞれの名前を復唱し、得意げに肯いて言った。
「お前たちの名、確かに我が魂の記録へと刻み込んだ」
セリフの言い回しが難解で、初めはとっつきにくい印象を抱いたけれど、しばらく話してみれば決して悪い人ではないと分かった。流石にちょっとだけ、翻訳係が欲しいなと思ったりはしたけれどね。
さて、ここらでタレスの所へ行こう。
詳しい行先は聞きそびれたが、そこらのラッキービーストに尋ねてみれば分かるだろうか。
「……本日は、お客さんが多いですね」
玄関の扉が開いて、エルが姿を見せる。
数日前に図書館で会った以来、特に変わりのない様子だった。
まさかだけど、ここもシステム障害を起こしたりはしてないよね……?
「エル、ここにも来たの?」
「ロウエに呼ばれましてね。タレスさんの診察をして欲しいというのです」
「すごーい、エルってお医者さんみたいなこともできるんだ~!」
はぁ、今度はロウエの頼みらしい。
なんでも、医者まがいのことを頼まれたと。
色々手広くできるってのも困りものだね。
そう思っていたら、エルは若干憂鬱な表情を浮かべて呟いた。
「……三分で、参考書の内容を全てインプットしてきました」
「あ、そうなんだね…」
ロウエもタレス同様、そこそこの自由人だ。エルは彼女たち二人と翻って、常識的な意味で外れている部分が少なくないが、『どっち側か』と問いを投げればまあ……『振り回される側』に当てはまるだろう。
突然の無茶な要求にも応えようと工夫する辺り、彼女もなかなか友人想いである。
「行きましょう。
二人は医務室で待っているようです」
なるほど、渡りに船だね。
そうしてエルから所在を聞いた僕らは、彼女についていく形で二人の所へと向かうのだった。
§
「ありがとう、楽になったわ…」
「今後は、暴飲暴食を控えるようにしてくださいね」
「ええ、しばらくはそうしようかしら」
エルの的確な処置によって、タレスはすぐに回復した。
彼女の身を案じるエルの助言には、少し歯切れの悪い返答をしていたが。
「つまり、根本的にやめるつもりは無いと」
「アンタにもいつか分かるわよ、欲望のままに食事を貪る快感が」
どうしよう、分かりたくない。
一つ、解ったことがあるとすれば。
タレスは全く反省していない。
「……メリに言いつけてやろうかな」
「ちょっ、やめなさいよ!? この前虫歯になった時も、ピーチパンサーがメリにチクったせいで散々な目に遭ったんだからっ!」
大方、食事制限でも課せられたのだろう。
メリの保護者っぷりからして、恐らくそうに違いない。
タレスは数分間に渡って、メリにされた数々の『悪行』と称する思いやりの数々を挙げ連ねていくが、周囲の反応は夜の砂漠のように冷ややかだった。
「自業自得やな」
「天鱗の劇毒使いよ。次なる決闘のためにも、我が身は大切にするのだぞ」
「うぐっ…仕方ないわね…」
毒を操る無敵の蠍も、得てして洪水には勝てないものである。
「ところでソウジュさん」
「…ん?」
「どうして、今日は女性の格好をしているのですか?」
「ハロウィンだからだよっ!」
クオの話はおかしいよ。
『ハロウィンだから』とかなんとかおかしなことを言ってるのがその証拠。
これを前提に思考を重ねていったら、結論までおかしくなっちゃう。
今は大した問題じゃないけど、いつか必ず……。
「データベースには、そのような風習は記録されていませんが…」
「エルちゃん、過去の慣習に囚われちゃアカンで。人にはそれぞれの趣味があるんやから、寛容に受け入れないかんのや」
「…なるほど」
いや、頷くところじゃないでしょそこ。
「エル、納得しなくていいよ。
それとロウエ。まるで女装が僕の趣味みたいな言い方はやめてくれないかな」
「へへっ、すまんすまん」
ロウエも、全然反省してない。
期待する方が間違ってそうだな…。
と、何者かに肩を叩かれる。
「おい」
「あぁ、どうかした?」
ブラックバックだった。
まあ、ちょっと遠慮がちな触り方だったから察していた。
「やはり、あの三人からは面妖な気配を感じる、只ならぬ実力者の香りだ。
星座のフレンズ達のことが気になるみたい。
斯くいう僕もその一員だと最近知らされたんだけどね。
まあ、角の立たない説明にしておこう。
「みんな強いよ。僕自身見たことが無いから分からないけど、もしかしたら守護けものにも匹敵するかもしれないって思ってる」
「フハハハ…それは素晴らしい…!」
なんか笑い始めた。
「―――運命が変転する時が、すぐそこまで近づいているということか」
多分、近づいてはいないとおもう。
「ソウジュさん。そしてクオさん。
貴方たちに渡しておくものがありました」
「えっ、僕に?」
突然のことでビックリした。
いったい、何を渡してくれるんだろう?
「ロウエの提案ですが、セントラルを守るために戦ってくれた貴方たちの為に、ささやかな贈り物を用意しました。どうぞ、こちらです」
そう言って、エルの手に握られていたのは数枚の紙切れで―――
「……ハッ!?」
「あれ、ブラックバック?」
「待て、それを見せてみろ…ッ!」
「うん? まあ、別に良いけど」
自分で確かめる暇もないまま、ブラックバックにそれを渡す。
激しく息を荒げながら、血走った目で彼女は食い入るように見つめている。
「ハァ…ハァ……間違いない。
これは……ペパプのプレミアムライブチケットではないかッ!」
―――ライブチケット?
「近頃、ナカベでライブが開催されるようですね。
数枚ほど実力で確保しましたので、どうぞお納めください」
「実力でって表現が気になるけど……有難く貰っておくよ」
「おう、ウチのアイデアに感謝するんやで」
ありがとう、ロウエ。
女装事件と合わせてこれでプラマイゼロだね。
「日付は……あれ、いつ?」
「凡そ二か月後ですね。時間の余裕は十分にありますよ」
「そっか、そろそろ出発する予定だったし丁度良いかな」
地理的にも、ナカベは次の目的地の候補に挙がっていたから、それを加味しても中々の好条件だ。
「フッ……フハハハハッ!」
急な高笑い。
やめて、心臓に悪い。
「よもやここで、僅かながらも運命を共にすべき存在と出会うとはな」
「あ、それって…」
懐から出てきたガラスケース。
屈折する光の中で、手元にあるチケットと同じ色が見えた。
「ペパプの大ファンである我も当然、そのライブチケットは既に手にしている。万が一のことが無いように、頑丈なローダーに入れて常日頃から持ち歩いている」
わーお、確認が面倒になりそう。
「どうだ? ナカベまでの旅路、そしてライブの熱狂、我と共に分かち合おうではないか。お前たちは、それに相応しい」
まあ、悪い提案ではないかな。
旅は道連れ、世は情け、ってね。
「そうでした。予定より多く確保してしまったので、余分に渡しておきますね」
「いや、こんなに要る……?」
「取っておけ。布教用のチケットは有って困らないからな」
エルから追加で、二枚のチケットを受け取った。
これで、他の同行者を連れていけってことで良いのかな。
まあ、しっかり仕舞っておこう。
「……なんか、次の目的地が決まっちゃったね」
「ソウジュは、アイドルを見るのが楽しみ?」
「えっと…まあ、そうだね」
「ふーん…」
クオの視線が何だか冷たい。
初めて見るからやっぱり気になるんだけど、不味い返答だったかなあ?
(なんか、トラブルが起きそうな予感だ…)
悲しいことに、その予感は的中することとなる。
カントーを発って、ナカベに渡った後にも。
そして図らずとも、このラジオ塔を後にした直後にも。
この時の僕は、そんなことなど知る由もなかった。
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