ふたごのこぎつね
RONME
零の章 少女の夢はふたご色
起節 冬の輝く夜の出会い
「…おーい、朝だよー」
「う、うん……?」
鈴を転がすような目覚まし。
耳を揺らした彼女の声が、僕の意識を揺り起こす。
僕はむくっと身体を起こし、襖の向こうから差し込む眩しさに顔を覆った。
「あ、起きた? おはよっ」
「…おはよう」
彼女の手に引き剥がされる布団の温もり。
顔を洗って、冷や水に晴れる微睡み。
「ご飯は出来てるから、早く着替えてきてねっ」
「うん、すぐ行くよ」
お盆に出された一汁二菜。
芯から火照る味噌汁をすすり、吐くため息は幸せの音。
ああ、生きててよかった。
「そういえば、今日の予定って何だったっけ」
「今日はね~…ええとね、夜に星を見に行くつもりっ!」
「…そっか」
まだここに来て早いけど、なんだか懐かしいな。
確か、僕たちが出会ったあの日の夜空にも―――
§
――――綺麗な星が、瞬いていた。
雲一つなく、月は明るく、満天に星が敷き詰められて。
遠い過去の人々は、その光の間に形なき繋がりを夢想した。
はらり。
そして今日は、美しく雪も降っている。
微かな明かりが雪の結晶を貫き、跳ね返って蛍光のように地上をやんわりと照らす。
ああ、素敵な夜なのだろう。
これこそ、誰もが息を呑んで眺めるような”絶景”というものであろう。
僕もきっと、この雄大な景色を楽しんでいたに違いない。
……ただ少し、もう少しだけ元気であったなら。
「……寒い」
口に出来る言葉は、口にしようと思える言葉は、たったそれだけ、その一言のみ。
いつから僕は、ここに居た?
いつまで僕は、生きていられる?
答えの出せない疑問ばかりが、頭を過ぎ去っていく。
ああ…こんな薄着じゃ、長く生き永らえられる気もしない。
どうして僕はこんな格好で、こんな所に居るのだろう?
早く前を向いて、生きるために足を動かさなければいけないのに……僕は木の幹に寄りかかって、力なく座り込んでいるだけだ。
「…あはは、綺麗だなあ」
地上を照らして、星は輝く。僕が生きても、そうでなくても。
だけどもしここで朽ちたとしても、きっと僕に悔いはない。
こんなに美しい夜空を見上げながら、何の憂いも、遺していく者さえもなく死んでいくのだとしたら。
「別に、いっか…」
もう、指先の感覚も感じられない。
もはや、立ち上がる気力なんてない。
夜空に浮かぶ星をなぞって、勝手に星座を作って笑って。
それで、僕の命はきっと終わる。
「―――あ、いたっ!」
「え……?」
……そう、思ってたんだけどな。
雪原の向こう。心さえ凍てつく厳しい大地の彼方。
そこから、こんな場所には似つかわしくない可愛らしい声が聞こえてきた。
力なく項垂れるように、僕の首は声の方へと回る。
「うん、まだ生きてるみたい…」
僕が動いたのを見たのかな、声は安堵の色を帯びる。
駆け寄ってくる暖色の少女の姿を、僕はピントの合わない視界でじっと見定めようとしていた。
でもダメだ、目玉も碌に動かないみたい。
僕が鮮明に彼女の姿を捉える前に、少女は僕の傍まで着いていた。
「あの、大丈夫かな…?」
「ぁ…あぁ…」
なんとかまだ、大丈夫。
そう伝えようとした僕の口が成し遂げた仕事は、聞くもおぞましい呻き声を上げることだった。
どうしよう、ちゃんと言わなきゃ。
そう思った僕は、狙いの覚束ない腕を少女に向けて動かす。
するとどうだろう。
少女に向けて伸びた腕は、今にも力尽きそうなゾンビのようだ。
「とっても、寒かったんだね…」
少女はそんな僕の手を、慈愛に満ちた目をしながら握りしめた。
「ぁ…!」
暖かい。
突き刺すような極寒の中で、初めて僕が感じた温もり。
頭の奥がじんわりを熱を帯び、僕の手には力が入る。
この奇跡を指の隙間から零してしまわないように、文字通りの全力を込めて繋ぎとめようとする。
「…ふふ」
少女はクスリと笑う。
握った手を胸元に抱き締めて、囁くように僕に語り掛ける。
「大丈夫、置いていったりなんてしないよ」
綺麗な黄色い少女の目。
じっと見つめるその視線に僕はまるで、心の中にある凍てつくような不安を全て見透かされているかのように感じた。
神妙な顔をして、少女は呟く。
「やっぱり、あのお告げは本当だったんだ」
「ぇ……?」
「……あ、気にしないで、こっちの話。それより、早く暖かい場所に行かないとね」
”お告げ”かぁ…
とっても気になる言葉だったけど、その”お告げ”について詳しく尋ねることは出来なかった。
寒さで呂律も回らないし、彼女も僕をおぶって歩き始めちゃったからね。
「神社があるの。そこなら、キミもゆっくり休めるはずだよ」
まあ、後でもいっか。
聞くタイミングならこの先幾らでも有るはずだし。
そんな事を考えつつ……少女の思ったより小さな体に負われながら、僕はようやく安堵の思いに溜め息をついた。
「……あ」
もしかして、息が掛かると気分が悪いかな。
安心と一緒にやって来た一抹の不安に僕は口元を抑えて、少女の様子を窺う。
「そうだ、キミ…なんて名前?」
だけど、それは杞憂だったみたいだ。
少女は何か気にする素振りを見せることもなく、僕にそんな質問を投げかけてきた。
――そんな質問が、僕にとっては致命的だったんだけど。
「な、なんだったけ………君は?」
「えっとね、クオはクオだよ! クオっていうの!」
「あはは、そっか…」
すごいや、三回も言ったよ三回も。
名前って、こんなに沢山詰め込めるものなんだね。
……でも、感心している場合じゃないや。
クオの元気な自己紹介を傍目に僕は、自分の名前を思い出そうと脳みそを絞っている。
「ねぇ、キミの名前は?」
「僕の、名前……」
それは、欠片も頭に無くて。
それでも、無いなんて筈はなくて。
そして、凍り付きそうな思いで絞り出した言葉はそう。
「……僕の、名前?」
中身も何もない、本当に空っぽな反復だった。
わからない。
いくら頭を抱えても、何も頭に浮かんでこない。
―――名前が、思い出せない。
そのことを自覚した時……少女の、クオのおかげで忘れられていた寒さが、一瞬にして舞い戻ってきてしまったような心地がして。
「あ、ちょっと…ねぇ、大丈夫!?」
僕の意識は、寒々しく淀んだ暗がりの中に沈んでいく。
丁度、流れ星が夜空へ落ちていくのと同じように。
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