第2章/秘密の部屋
「まさか、日田さんだったとは驚きました。でも、嬉しいです」
喫茶店のテーブル席の正面に座る、奥和さんは全く言葉通り驚いた様子はなかった。何にせよ、俺は穴があれば入りたい気分だった。
本当にまさか、である。知り合いに知られたくないからここまで来たというのにその相手が知り合いだったなんて本末転倒だ。
俺は動揺から震えそうになった手をポケットに突っ込み、気にしていない風を装いながら言った。
「俺も驚いたよ。いや、初めて利用してその相手が奥和さんだなんてさ。偶然にしてはあまりにもできすぎている」
「ふふっ」
奥和さんは含みある笑い方をした。彼女は昔から、色々と謎めているところがあった。特に言及せず、他に気になっていることを問う。
「そもそも、《レンタル妹》ってどんな感じなんだ。ちゃんと知らないで利用しようとしている俺もアレだけど」
「日田さんが想像されている通りですよ?」
「……」
蠱惑的な笑みを浮かべながら言った奥和さんに俺は返す言葉を失った。こちらの反応が意外だったのか、少し慌てた調子で彼女は続けた。
「じ、冗談ですよ? 《レンタル妹》は健全なサービスですから」
「俺が健全じゃないことを想像していたと?」
「……」
赤面した奥和さんが黙ってしまい、俺は話題を変えるほかなかった。
「そういえば、摩理とは今も?」
「あ、いえ。最近は全く会ってないです。学校も違うし。摩理ちゃん、元気ですか?」
「まあ、元気だとは思う。子供みたいに喧嘩もするから」
「喧嘩ってどんなことでですか?」
妙にこちらの情報を知りたがる奥和さんに内心で戸惑いながらも、俺はちゃんと答えた。
「妹が最近、家に帰ってくるのが遅いから叱ったんだ。でも全く悪びれもしない」
「摩理ちゃんが家に帰ってくることが遅い理由、日田さんはご存知なんですか?」
奥和さんの問いに俺はすぐに頭を振る。
「知らないよ。どうせ、友達と一緒に遊び呆けているんだろ」
「そうでしょうか。私の知る摩理ちゃんは、もっと真面目でした。少なくとも、夜遅くまで遊んでいるような子じゃないと思います」
「妹が真面目……?」
家族しか知らない面があるように、友人しか知らない面があってもおかしくはない。だが真面目というのはあり得ない気がした。
「……でも、そういうことが積み重なって、疲れ果ててしまったからこそ日田さんは《レンタル妹》を利用してくれたんですよね。その点は私、嬉しいと思います」
「あ、あぁ」
間抜けな返事をする俺の腕に奥和さんは優しく触れた。その瞬間、妙に寒気がした。
「それじゃあ、日田さん行きましょうか」
「行くって、どこに?」
「もっと静かな場所に」
席を立った彼女から見下ろされると、えも言われぬ妙な安心感があった。全てを任せていても自分にとって良い方向へ転がっていく。そんな気がした。
* * *
どうして、こうなった。
奥の部屋でごそごそと着替えている奥和さんを待ちながら、一人考える。《レンタル妹》には準備がいるとのことらしい。だが、そんなことよりも疑問点が多すぎる。
ここは昔、俺と妹、そして父と母が住んでいたアパートの部屋だ。ソファの位置まで同じだった。何故ここの鍵を持っているのか奥和さんに問うと、今は彼女がここで一人暮らししているらしい。
どうして、わざわざこの場所を借りたのか。確かに家賃は安いのだろう。四人で住むには明らかに狭かったし、日田家が貧乏だったことを考えるとそれくらいは予想できる。だから一人暮らしの家として選ぶ場所には疑うべくもない。だとしてもだ。奥和さんがここに俺たちが住んでいたことを知らないわけがない。つまり、わざわざこの場所を選んだのだ。彼女の意図が全く読めず、恐怖心ばかり募った。
「ごめんなさい、待たせちゃって」
唐突にドアが開き、姿を見せた奥和さんを見てギョッとする。
「その格好……」
「分かります?」
服の端を摘んで、はにかむ笑顔を見せる奥和さん。それは昔、うちに遊びに来る彼女がいつも着ていたワンピースだった。いつも同じ服を着ていた。
「……いつもなら、家にお客さんをあげないんですよ。日田さんは特別ですから」
そう言って近づく奥和さんとは反対に俺は逃げ腰になった。キョトンとした彼女に俺は慌てて口を開けた。
「そ、そういえば、あのプロフィール写真の猫って奥和さんが飼っている子?」
「はい、そうです。もう、いないけど」
「いない?」
「はい。従兄が……いえ、とにかく、もういないんです」
話は終わりとばかりに手を叩き、奥和さんはどこか子供っぽい笑みを見せた。
「じゃあ……お兄ちゃん、何して遊ぶ?」
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