第1章/レンタル妹
今から《レンタル妹》と会う。メールを送信したのが今朝で、もう会うことになるとは驚きだった。
まるで、デートの待ち合わせのようだ。ひどく落ち着かない。だが、レンタルであろうとも妹相手にそんなに身構える必要などないと自分に言い聞かせる。
周りを見渡すと、土曜日なだけあってほとんどの席が埋まっていた。ここは都心に複数ある有名チェーンの喫茶店だ。注文した飲み物を持って奥のカウンター席に座り、相手が現れるのを待つ。待ち合わせの時間より1時間も早く着いたのは決して気合が入っているわけではなく、ただ家にいても落ち着かなかっただけだ。
何度か若い女性が店に入ってきたが、俺を見向きもせずにレジに向かっていく。その度に何故か、安心している自分がいた。まだ、心の準備ができていないからかもしれない。
周りを見渡すと皆、休日を満喫しているように見えた。今日は天気も良く、窓からの斜光は暖かい。だが俺の見る景色はどんよりと曇っていた。眩しいものから目を背けるように俯くと、後ろに誰かが立った気配がした。
「もしかして……摩理ちゃんのお兄さんですか?」
声に反応して振り返ると、少女が立っていた。落ち着いた雰囲気のある、可愛らしい子だった。ちなみに摩理とは、妹の名前だ。
「覚えて、ないですよね。ごめんなさい、いきなり話しかけちゃって」
「えっ?」
謝る少女に俺は戸惑った。
妹の知り合い、もしくは友達なのは間違いないだろう。だが、何者だろうか。
「……あの?」
「あ、ああ、ごめん」
思いだそうと真剣になるあまり、無遠慮な視線で少女を見てしまっていた。だが、顔を赤くした少女の姿を見て、いつかの記憶が呼び起こされた。
「もしかして、奥和さん?」
「はいっ!」
奥和さんは嬉しそうに返事をした。
彼女は妹の友達であり、幼馴染だ。最近はめっきり姿を見なくなっていたから、疎遠になったものと思っていた。
「隣に座っていいですか?」
「あ、ああ、もちろん」
俺がそう答えると、隣の空いていた席に奥和さんは座った。その大人びた容姿は妹と同年代には到底見えない。大学生と言っても通じるだろう。私服なのもあって、余計そう見えるのかもしれないが。
「実は私、ここに来るまでにお兄さんのことを思いだしていたんですよ。でも、本当に会えるなんて嬉しいです」
「そ、そうなんだ」
相手の考えていることが分からず、俺は少し戸惑いながら答えた。そもそも、そんな思いだすような関わりが俺と彼女にあっただろうか。確かに昔は、妹との仲も悪くなく、妹の友達と一緒に遊んだことだってあった。だが、別段、記憶に残るような出来事はなかった気がする。
「私、前から摩理ちゃんのお兄さんに憧れていたんです。私の理想的なお兄さん、だったから」
「そ、そっか……」
熱っぽく気持ちを伝えてくる相手に俺はそんな言葉しか返せなかった。
妹くらいの年代の子は、年上に憧れを持ちやすいのかもしれない。だが俺は、そんな憧れに値するような人間ではないのだ。今日だって……。
一人自己嫌悪に陥っていると、興味深げに奥和さんが顔を覗き込んできた。
「ところで、どうしてお兄さんはここに? 誰かと待ち合わせですか?」
「へっ? えっと、一応そうかな」
「だったら私、邪魔ですよね」
「いや、まだ時間あるから。それにどうせ、会うかどうかも迷っている相手だしさ」
言ってから後悔した。案の定、俺の言葉を聞いた奥和さんはキョトンとしていた。
「会うかどうかを迷うような相手なんですか?」
「あー、うん。まあね」
「へぇ……」
奥和さんは先ほどの発言について考えるように目を瞑った。そんな彼女を見て俺は、まるで人形みたいだとぼんやりと思った。どうしてかは分からないが、この娘と話しているとどうも頭に靄がかかったような感じがしてくる。
「そろそろ時間なので、私、行きますね」
目を開けると同時に奥和さんは唐突に言った。拍子抜けした俺は返答するのに少しの間が必要だった。
「……ああ、分かった。じゃあ、また」
「ええ。また、会いましょうね」
どこか含みのある笑みを浮かべた奥和さんは、名残惜しさのかけらも見せずに席を移動していった。
俺はスマホを取り出し、《レンタル妹》に待ち合わせ場所の変更を伝えようとした。知り合いがいる場所で会うのなんて絶対に嫌だからだ。だがその瞬間、スマホが震えた。《レンタル妹》からの連絡だった。
どうやら、もう到着しているらしい。間の悪さに辟易する。届いたメールの文面には、《レンタル妹》の特徴や格好が子細に記入されていた。見つけろ、ということなのだろう。
「白色のブラウス……」
この空間には何人か同じような格好の人間がいた。見分けが付かず、他の特徴とも照らし合わせていく。
「キャメル色のスカート……」
2人に絞られた。だが、最後の特徴を読んだ俺はあまりの展開に思考が停止した。
「長い髪……」
1人は明らかにショートカットだった。もう1人は特徴が合致している。その人物を、俺は知っている。
何度照合しても、その特徴は奥和さん以外にありえなかった。
思わず席を立った俺を、奥和さんが見た。まるで、何もかも見透かしたような目を彼女はしていた。薄く笑みを浮かべて、こちらに軽く手を振ってくる。
これほどまで、ここから逃げだしたいという欲求に駆られたことはない。だが、何も言わずに帰るのはさすがに良心が咎めるし、人としてあるまじき行為に思えてくる。
相手にはわざわざここまで来てもらったのだ。しかも、妹の友達だ。現在はともかく、過去は確実にそうだ。そんな相手に対し、俺は……。
「あの……」
奥和さんの前に立ち、恐る恐る声をかける。彼女は形の良い口を開けた。
「《レンタル妹》のご利用、ありがとうございます。……よろしくお願いしますね、日田さん」
ニッコリと微笑む奥和さん。
摩理ちゃんのお兄さんという呼び方ではなく、苗字呼びした彼女に俺は内心、怖気付いていた。
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