レンタル妹
シーズーの肉球
Prologue
玄関のドアがゆっくりと開く。
侵入者は恐る恐ると中に入ってきたが、家の中が真っ暗で戸惑っているようだった。照明を付けるスイッチを探しているようだったので、暗闇に目の慣れた俺が先に押してやった。
パッと光の下に照らされた妹は驚いた顔をしていた。少し滑稽に思えたが、今は笑うような場面じゃない。
「何時だと思ってるんだ」
「11時だけど」
俺の問いに妹は悪びれもせずに答える。
「正確には午後11時半な。そんな遅くまで毎日、何をしているんだ?」
「何って。全部、報告しないといけないわけ? 父親気取りかよ」
「べつに何から何まで管理しようってつもりじゃない。ただ、遅くなる理由を事前に連絡してくれたらこちらも心配せずにすむんだ。それくらいできるだろ」
「……放っておいてよ」
にべもない妹の言葉に俺は嘆息する。他に叱ってくれる人間がいてくれたらなと心から思う。だが、ここにはいない。
七年前、母が他界し、それから一年後に父が失踪した。その後、俺たち兄妹は親戚に引き取られることとなる。当然ながら、肩身の狭い生活が始まった。だが、長い年月が経つと慣れていくというか、麻痺してくる。これが当然であり、普通だと思うようになっていった。
妹はこちらをちらりと見ると、淡々とした口調で言った。
「それで、いつまでこの家にいるつもりなの? べつにもう、一人暮らしできるくらいは稼いでいるでしょ」
「……」否定も肯定もせずに黙ってしまったが、その態度は後者だと言っているようなものだった。
実際、今の仕事を続けていれば俺一人くらいなら問題なく暮らせるだろう。だけどこの家を出ていかずにいるのは、ひとえに妹のことが心配だったからだ。いくら淡白な性格をした妹でも、たった1人の家族である俺がいなくなったら傷つくのではないかと。
だが、それは杞憂だったのかもしれない。
「べつに私は、1人でもやっていけるし」
「本当か?」
「心配性すぎ。あと、真っ暗の中でずっと待ってたのも変態みたいで怖い」
さすがにムッとした俺が口を開く前に妹は続けた。
「あぁ、あと話変わるけど、明日は友達の家に泊まるから。それじゃあ」
「おい、待てって。話はまだ終わって……」
一方的に伝えて去ろうとした妹の肩を咄嗟に掴むと、汚物を見るような目で睨まれる。
「触らないでよ」
絶対零度な声で言われて、思わず手を離した。去りゆく妹の背中を見て、どうしてここまでしてこんな態度されなきゃいけないんだと沸々と怒りが湧き上がる。
「お前みたいなのが妹じゃなけりゃよかったよ」
聞こえないくらいの小声で口にする。その瞬間、石にされたかのようにピシッと止まった妹はどこかぎこちない動作でこちらを向いた。
「……何か言った?」
「ああ。言ったさ。お前みたいなのが妹じゃなけりゃよかったってな」
今度ははっきりと聞こえるように言うと、一瞬、妹はきょとんとした顔になったが、プッと吹き出した。
「何それ、やば。そんなの、こっちだって思ってるし」
「あぁ、そうかよ。ムカつくほどに気が合うな」
睨み合う兄妹。どうやって言い負かしてやろうかと考えていると、先に妹が開口した。
「お金さえ払えば、シスコン野郎の望む、かわい〜妹と会えるんじゃない?」
明らかに馬鹿にした口調に頭に血が上る。
「馬鹿なお前にしては良い考えだ。ネットで調べてみるとするかな」
「すれば? 勝手に」
平然としている様子の妹だったが、耳が赤い。昔から、怒っているときは分かりやすいタイプだった。
「……ウザ」
最後、捨て台詞を吐くと、妹は廊下の奥へと消えていった。残った俺は暗闇を見つめながら、一人、ため息をついた。
* * *
朝食中、妹は一言も言葉を発さなかった。対面に座る俺の方を見ずに黙々と食事をしている。
異様な雰囲気だったが、叔母は何も言わなかった。何にせよ、放っておいてくれた方が有難い。小言を言われる前にさっさと部屋に戻る。
机の上にあるパソコンを起動する。ぼんやりと起動するのを待っていると、バタンッ、と玄関のドアが勢いよく閉じる音が聞こえた。どうやら、妹が出ていったらしい。友達の家に泊まると言っていたのを思いだす。となると、今日一日は顔を合わせずに済む。内心、ホッとしている自分がいた。
そんな時、昨日の妹の発言をふと思いだした。赤の他人に妹になってもらう、か……。
いわゆる、代行サービス。レンタル彼女というのは聞いたことがある。お金を払う代わりに一定の間だけ、恋人になってもらうというものだ。だが、妹になってもらう場合は?
少しの逡巡の後、俺は《レンタル妹》と検索してみた。
……べつに本気ではなかった。ただの興味本位というだけで調べてみただけだ。だが、目当てのページが出てくるまで俺は画面を注視していた。
そのサイトにあるメール送信フォームに要望等を送れば、どうやら《レンタル妹》を送ってきてくれるらしい。妹を送るって字面はどこか変に思えたが、実際そう書いてあった。
どうやら内容としてはレンタル彼女と大体同じようだが、代行者はちゃんと本物の妹のように振る舞ってくれるらしい。まあ、本物の妹と同じだと意味がないのだが。俺はただ、ちゃんと兄として扱われたいのだ。
何かに取り憑かれているかのように躊躇せず、俺は《レンタル妹》にメール送信フォームの空欄を埋めていった。
今まで様々な誘惑を断り、頑張ってきたのだ。少しくらい、羽目を外してもいいだろう。そんな思いもあった。
どんな相手がお望みですかという内容に俺は思案する。お淑やか〜、とか書いてから、羞恥心で爆発しそうになる。が、要望通りの相手が来なくてガッカリするのは自分だ。ここは恥ずかしさなんてものは捨てていくべきだろう。
全ての項目を埋めて送信する。ドッと、身体が疲れた気がした。返信が来るのを待つ間、自分のした行為が間違っていたのではないかと、ふと思った。
段々と後悔に苛まれているうちにメールが届いた。《レンタル妹》からだった。微妙に緊張しながら開けると、パッと画像が出てきた。
それは、猫の画像だった。ネットの海で拾ったものではなく、自身の飼い猫を撮ったという感じの、手ブレの酷い画像だった。
どうやら、この猫の画像は俺を担当する《レンタル妹》のプロフィール写真らしい。だが普通、本人の顔(加工済み)とか、身体の一部分を写したものではないのだろうか。
返信メールの文章は至極まともで、真面目な人間だという印象を受けた。が、実際に会ってみたら全然違ったなんて、よくある話だ。
普通なら、会おうとも思わない相手だ。だが、自暴自棄になりかけている俺は彼女と会うことを即断した。
その選択を後々後悔するなんてその時は全く、思いもよらなかった。
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