第18話 悪食

 目の前の光景に、零斗は頭痛を堪えるように頭を押さえていた。


 ――――こいつは一体何の冗談だと。


 ……ああ、確かに、この世界に転生させられてから散々信じられないものを見せられた。神を名乗る不審人物に、魔法、呪われた剣、迷宮。挙げていけばキリがない。


 ――――だが、いったいどうして。


『なぁぁぁぁ、かじるだけでも良いからさぁ、食わせてくれよぉぉォ!』


 ――――喋る剣などという物を想定できるというのかッッッ!


 これならファフニール以上の魔物が出てきてくれた方がどんなにマシだったかと、“聖剣”とは程遠い、寧ろ触っただけでも呪われそうな剣を、魂の籠らない半目で見つめながら、零斗は回想に耽る。




 邪神龍を無事討伐した後、零斗が下った先で見たのは、二階層や先の十六階層とほぼ同じような構造の通路だった。


 ただ、規模はその二つと比べてだいぶ小さく、人三人が並んで通れるかどうかというくらいの幅であり、高さもそれほどなかった。

 邪神龍を経験した後にしてはやけにしょぼい内装だなと、内心で毒づきつつも警戒を解くことは一切なく、通路内を進んで扉の前に立った。

 

 そこでも大した魔力は感じず、あまりに拍子抜けするような迫力のなさに気が抜けそうになるも、もしやそれが狙いかと、再び気を入れ直して扉に触れた。


 すると、扉に触れた指先から光の軌道が零斗の体を伝い、やがて全身に脈のように光の線が走ったかと思うのもつかの間、ガチャリと、今までになかった“鍵”の解けるような音が鳴った。


 随分と今までと趣向が違うことに零斗が怪訝に思うも、動きは悪かったが重くもない扉を手で押して開く。


 扉の先にあったのは、今までの“部屋”とは異なり、その半分以下しかない広さで、中心に台座のようなものがぽつんと佇んでいただけだった。

 警戒し、慎重に内部を見回してみても、特に罠の類は見当たらず魔力の気配もないことから、緊張を解き、問題の台座の元へ向かった。


「……どう見ても、“剣”だよな……これ」


 そこに伝説の剣よろしく刺さっていたのは、しかし外見は禍々しいの一言に尽きる、はっきり言って悪趣味な意匠の剣だった。


 龍の鱗を思わせるような質感と黒色を基調し、血脈のように赤い線が柄や鍔にまで張り巡らされ、ともすれば羽まで生えていそうな、いかにも中学生が好む『だーくぶらっとそーど』と名がついてもおかしくない剣が台座の中心に突き刺さっている。


 ここにきて、新たな武器となるものと出会えたことは幸いだが、はたしてこれを抜くべきか――――いや、訂正。


 どうか、零斗は悩んだ。


 この如何にもな見た目をした剣に、おいそれと触る程、零斗は間抜けではない。


 触れて呪いにかからないか、また心身が蝕まれることがないか、今のところは何の敵意も感じないこの部屋の罠の起点ではないかと、様々な可能性を想定していく。


 そもそもの話、どうにかしてコレを手にしたところで、ただでさえを四本も抱えたままなのだ。

 これ以上無駄に武器を増やしたところで手に余すことの方が圧倒的に考えられるだろう。


『――――おーィ?』


 しかし、現時点では部屋の先が続いていないというのも事実。

 きわめて不本意ではあるが、やはりこの剣をどうにかしないといけないのだろうか。


『……おーィ?』


 できれば危険な選択は後回しにしておきたい。

 ここは一先ず、室内の探索をしたほうが――――。


『無視してんじゃねえよッッ!! 聞こえてんだろォッ!? そこのっ!』

「…………気のせいであってほしかったんだがなぁ」


 邪神龍と同じように、脳内に直接、テレパシーのようなものを介して零斗に語り掛けてくる謎の声。……まぁ出所は考える間でもなく、だろうが。

 何やら心当たりのないことを叫ばれた気がしなくもないが、ここは一旦無視するとしよう。


「あー……。念のため確認しておきたいんだが、今俺に話しかけてんのは、俺の目の前にある中〇病まるだしの痛々しい剣で間違いねえよな?」

『……そのなんたら病ってのが妙に引っかかるが、そうだァ。俺こそが、世界最強の武器。イドリス様だッッ!』


 はぁぁぁぁと、肺の空気を全て吐き出す勢いで、零斗が深くため息を吐く。

 自分は遂に頭がどうかしてしまったのかと。


 確かに心当たりはある。


 例えば、『回復』によって睡眠しなくとも体が癒えるのを良いことに、ここまで“不眠”で来たとか。たびたび自分の身体に剣を突き刺ししたとか。他の勇者たちに追いつくために死に物狂いで鍛錬したとか。城の連中にかなりこき使われたとか。


 これが邪神龍相手だとしたらわかる。構造上、魔物も立派な生き物であり、意思を持っている。言葉を発さないだけで、考えていることはそれぞれあるのだろう。

 ――――だが無機物。テメエはダメだ。


 意思どころか、だろうが、と。


 それが当然のごとく? 魔法を使ったで? ? 


 ましてや、無視されてというおまけつきだ。


 自分の頭が狂ったと考えた方がまだ腑に落ちる。


「そうだよな……。俺、ここに来るまで考えてみれば日本のブラック企業も真っ青な環境で働いた挙句、自衛隊も裸足で逃げ出すような鍛錬をずっとしてたわけだしな。そりゃ頭の一つや二つ、ぶっ壊れることもあるだろ。うん。――――寝るか」


 零斗が一人ぶつぶつと独り言を言った挙句、現実逃避を行使しようとその場で横になった瞬間、なぜか焦ったような声で“剣”は話しかける。


『……は? いや、待てよォ! まさか寝るつもりか? 『迷宮』まで来ておいて不貞寝ェ? いやいや嘘だろお前』


 その一言に、そう言えば寝るのは何日ぶりだったかと、寝ていないことを思い出してから急激な睡魔が襲ってきたところだった零斗が飛び起きる。


「――――今なんつった?」

『あ? “嘘だろお前”っつったが』

「その前だよッ!」

『“『迷宮』最下層まで来ておいて不貞寝”……』

「そこだよ。……ここが『迷宮』最下層?」


 どこまで続いているのかと、ずっと気になっていた疑問。そして自分の求める脱出に繋がる糸口はそこにあると信じてきた場所。


 それが『迷宮』の最下層。


 剣が喋っているということはこの際、おいておくとして、その言葉を何度も反芻する。


「……ようやく、着いたのか……」


 思えば長かったようで短かった道程。


 これまでの苦労を思い返し、泣く……ようなことはないが流石に感慨深いものがある。よくもまあ、まともな装備も持ち物もない状態の肉体一つでここまでこれたものだ。


 とはいえ『激痛』と『回復』の剣に関しては終始世話になりっぱなしだった。これらがなければ、今頃一階層で死んでいたと言い切れる自信がある。


 何やら遠くを見つめるような目でここに来るまでの思い出を振り返り始めた零斗に、イドリスが語り掛ける。


『……なんか思い出に浸ってるところ悪いが、お前の持つその四本の剣から、の気配がする。てか、お前の体からも同じ気配すんだが、さてはお前、こいつらで自分傷つけまくったのかァ? うーわ、ひくわぁ。武器で自傷するとか、今時のマゾヒストでもそこまでしねえぞォ」

「……同類?」


 ふとイドリスの放った言葉によって零斗の意識が、回想から現実に引き戻される。


『そ、同類。言ってしまえば“生みの親が同じ”ってことよ』

「は? いや、ちょっとまて。こいつらとお前の製作者が同一人物だってのか?」

『そうだが? そいつらは俺よりも前に造られただなァ。『回復』『激痛』『時壊』『錯乱』――って、『錯乱』はボロボロだし、『時壊』に至っては先端欠けてんじゃねえかッ!! テメエ俺の兄弟に何してくれてんだぁぁぁッ!!』


 叫ぶイドリスを無視し、零斗が驚愕を露わにする。


(――――こいつらが……、だと?)


 効果はどうあれ、これらの剣が内包する魔法は、その辺の魔剣とは一線を画す効力を持っている。特に『回復』なんかはそれ単体でも十分すぎる内容だ。それを“試作品”と言い切れるとは。

 一体、どんな腕をもつ鍛冶師なのかと、零斗が一人で震える。


『まぁいい。お前、その四本の剣、俺に――――ォ』

「…………はい?」


 今度こそ、零斗は自身の耳を疑った。

 常人を遥かに超えた聴覚を持つ自分が聞き間違いするなどある筈はないのだが、内容が内容なだけに、にわかには飲み込めなかったイドリスの言葉。


『俺の剣として授かった能力は『悪食』。武器をで、その武器が持つ性質をまるっと再現できるんだよォ。わかったら兄弟の弔いも兼ねてんだ。はやく食わせろォ』


 依然としてよくわからないことを口走る(?)イドリスを半目で零斗は見つめた後、ようやく理解が追いつき、心のうちで呟いた。


 ――――ようは勇者達と同じか、と。


 そして、平静を取り戻した零斗が即答で口にした答えといえば。


「――――断る」


 無慈悲に突き放す一言だった。


『え』


 それから零斗と剣による押し問答が続き、冒頭のようなやりとりに至ったと、こういうわけである。



「何度も言うが、お前に武器を食わせて俺に何の恩恵がある? 俺は武器を失い、得体のしれないお前は強化される。百害あって一利なし。却下だ」

『頼むよォッ!! ここに封印されてから千と数百年くらい前から何も食ってなくて腹減ってんだよおぉぉぉっ』


 さらっととんでもない年数を口にし、人間の姿をしていれば今にも縋りついてきそうな声色でイドリスが泣き叫ぶ。

 対して零斗はどこまでも冷めた、また呆れたような口調で室内の探索をしつつ応えていた。


「その辺の石でも食ってろ」

『お前はその辺の石を食うのかァッ!?』

「そもそも剣を食べねえよッ!!」


 気を抜けば今にも頭痛に襲われそうなやり取りをすること一時間以上。一向に零斗は部屋の先に進む手がかりを見つけられずにいた。


 室内は一階層と同じ材質の、大理石を思わせる質感をした黒レンガで覆われ、それ以外には小うるさい剣が刺さった台座くらいしかない。

 魔物がいつまでも現れないことから、この階層から先へ進む条件は魔物を倒すことではないはずだ。


 ――――となると、考えたくはないが、やはりあの剣がカギを握っているのだろう。

 

「はぁ」


 何度目か分からないため息を吐いて、めんどくさいという表情をしつつイドリスと向き合う。


「単刀直入に聞くが、『迷宮』から脱出する方法は何だ? どうせお前が知ってんだろ」

『剣を食わせてくれたら教えてやる』

「そうか、なら用はない。来た道を引き返すだけだ」

『いやいやいや、ちょっと待ってくれって!』


 にべもなくあしらう零斗に剣が制止をかける。


『分かった。こうしよう、俺がお前を主として契約する。これでどうだァ?』

「……なに?」


 既に部屋を出ようと背を向けていた零斗が、イドリスの言葉に顔だけ振り返る。


『やり方は簡単だ。お前が俺を引き抜けば良い。それだけで契約は成立だ」

「……随分と簡単な契約方法だな?」

『考えていることはわからんでもねえが、にたどり着くのは並大抵の奴じゃだ。そいつか世界にとって善か悪かなんてどうでも良いが、強い奴の方が必然的に俺の食える武器の量は増える。どうだ? 悪くない提案だろ?』


 ――――やはりこいつは『迷宮』の構造を知っている。


 つまり、少なくともこの剣が自身にとっての“敵”であるという可能性は拭い切れないということを意味する。

 だが、逆にイドリスの反応からして、嘘を言っているようにも思えないのも事実だった。


 故郷での小中学生時代、城に居た頃にも散々、嘘や陰口といった悪意ある言葉に触れ続けた零斗は、相手が嘘を言っているかどうかくらいはすぐわかる。


 五感が強化された今となっては、それはより顕著になっているだろう。

 問題なのは、相手が本当に感情があるかどうか怪しい“無機物”だということ。


 ここまで感情表現を再現できている以上、零斗では感知できないような嘘を吐ける可能性も十分にある。そうなってはお手上げ。

 本来なら安全策を取り、取るに足らない言葉と切り捨てるのがいつもの零斗だが。


「……それで俺が得られるメリットは?」

『俺という、世界最強の武器を手にできる』

「自分で言うかそれ」


 不遜にも“世界最強”といって憚らないイドリスに呆れた様子を隠せずにいた。

 さて、これが罠である可能性の方が圧倒的に高い。

 イドリスの言うことに信憑性はない。信じる根拠も一切ない。


 だが、なぜであろうか。久しぶりに若干とはいえ気を緩めて話せた相手ともあってか、不思議と、イドリスの存在がひどく懐かしく感じた。

 同時に、ここまで来ておいて、今更何を恐れるという思いもある。


 呆れ顔に笑みを浮かべ、イドリスの元まで零斗が歩いていく。

 そして、柄に手をかけると同時、零斗は言った。


「――――裏切ったら叩き折ってやる」

『……上等だ、新しい主様よォ』


 さながらそれは握手のように、憎まれ口を交わし合いながら、そこに契約は成立した。


 一気に零斗がイドリスを引き抜くと、紅い閃光が迸り、電気回路のように幾多にも枝分かれした魔力で出来た線のようなものが部屋中を覆いつくす。

 そして、柄を掴む手の甲から零斗の体の中へと、それは一気に収束していき、同時に零斗の右目が紅く変色する。


 新たな契約の誕生を祝うように、イドリスがそれまでの軽々しく、調子のよい口調から一転し、まさにと思える声で言った。


『――――我が名は『悪食』の剣。名をイドリス。新たな主、ハイセレイトをここに認め、汝の生涯に我が身を捧げんと誓う』

「……おう。よろしく」

 

 やたらと仰々しい宣誓に、若干零斗が引き気味に笑いながら応えた。

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