第17話 極撃


『――他愛もないな』


 邪神龍は自身の放った魔法によって生み出された惨状を見ながら、そう呟いた。


 氷塊は全て蒸発し、地面が焼けこげ、煤が舞い上がり、生命の存在を一切否定するかのような惨状。この光景を前に、自分と対峙していたあの人間の命がある筈もないと、邪神龍が、自身が元居た玉座に戻ろうとしたが。

 

 巻き上がった土煙の中から、風を裂く音と共に、邪神龍の元へナニカが飛来する。


 想定外のことに反応が遅れ、鱗と鎧の如き外殻の間を通る程の小さい金属片のようなものが突き刺さる。

 ダメージと呼べるものは皆無だが、小さすぎて取り除くこともまたできない。


 ――――これで挑発したつもりか、と破片が飛来した方を邪神龍が睨む。


「誰が他愛もないって?」

『……ほう、あれを凌いだのか?』


 土煙が晴れ、その中に佇んでいたのはの姿で『回復』の剣を引き抜く零斗の姿だった。


(――――あれを、人間が防いだ?)


 邪神龍の中に疑問が浮かぶ。


 今、自分が放った魔法は若干手加減したとは言え、迷宮内でなければ街一つを壊滅させられる規模の威力だったはずである。

 それを生身の人間が受けて無事で済むわけがない。


 仄かな懐疑は、消えることなく邪神龍の胸にもやもやとしたまま残る。

 

(……何だ、この感覚は)

「……はッ」


 空気を切り裂き、零斗が前進する。


 並みの衝撃では傷一つ付かない黒レンガが巻き上げられて、瞬時に邪神龍の眼前に零斗の姿が現れる。既にその影は『激痛』の剣を引き抜いている。


 だが、移動を始めた時点で零斗の姿を捕捉している邪神龍は、尻尾を振り上げ、その速度をも上回る速さで振りぬき、零斗を壁まで砲弾のごとく吹っ飛ばす。


「がはッ……!」

『……気のせい、か?』


 僅かに邪神龍が抱いた違和感。


 今も轟音を響かせ、壁に叩きつけられる青年からは、先ほどの魔法を防ぐような力を感じない。しかし、それでも部屋中を焼き尽くす炎塊を前にこうして生き延びたというのも事実。


 ――――それよりも、なぜ人間如きが邪神龍自分の攻撃を何度も受けて、未だに死んでいないのか。


「くそッ……たれが……」


 レイピアを思わせる刀身の『回復』の剣を腹部に突き刺すと、零斗の体を緑色の発光が包み込んで、彼についた無数の傷を塞いでいく。

 それを見て邪神龍が目を細める。


(……あれは『魔剣』か? しかし、あれほどの効力を持つ品など世にそうないはず。……まさか、あれはの一振り?)


 彼の手にしている剣を見た邪神龍の脳裏に、ある者の後ろ姿が脳裏によぎる。

 

『――――貴様、その剣をどこで手に入れた?』

「あぁ……? 何だよ、急に……」

『答えよ』


 先ほどまで零斗を見下していた雰囲気が打って変わり、何やら自身の持つ剣の出所を急かす邪神龍に、零斗が眉を顰めて疑義の念を抱きつつも渋々応じた。


「手に入れるも何も、俺がこの国の騎士共に磔にされた時に腕にぶっ刺されて放置されたんだよ。気合で抜け出した時にそのまま貰ってきたけどな」

『……磔? そんなもので磔にしたら、傷も体力も『回復』により塞がれ、永遠に罪人は死ぬこともできずに苦しむだろう? をして何になるというのだ?』

ッッ!! ああ、クソッ! なんだお前、俺の嫌な思い出を蒸し返して楽しいか?」


 零斗の忌々しい記憶がフラッシュバックする。半年間のあの苦痛は思い返したくもない悪夢トラウマである。


 何が悲しくてあの地獄を思い出さなくてはならないのか。あれを前にしたら、迷宮ここに来てからの鍛錬も余裕で霞むくらいだ。お

 かげさまで、並大抵の苦痛では一切動じなくなった上、四本の使い勝手が良い剣も手に入れたわけだが、ありがたいとはこれっぽっちも思っていない。



 ――――いや、待て、と零斗が口を開く。


「――――お前、何でこれの効能が『回復』って知ってんだよ」

『何を抜かすか。それほどの効能を持つ魔剣。大方、奴の作品の一つであろう』

「……奴? 誰のことだ?」

『少なくとも、今から死にゆく貴様に言う必要はない』


 邪神龍が四足歩行から二足で立ち上がり、その巨躯をさらに広げ、悪魔を思わせる翼を中心にその膨大な魔力を一気に開放する。


 充満した瘴気が魔法石の紅い光を覆い、ただでさえ暗い部屋の中を一層視界の悪いものへと変化させる。しかし、確信できるのは、部屋の中心で渦巻く魔力と、その中で一際強い輝きを放つ邪神龍の紅い目が、零斗に一切慈悲を見せる気がないということだった。

 

「……『回復』される前に殺すってか? お前、知性があるような口調の癖に意外と脳筋なのか……?」

『――――


 ゴウッ、と殺気の暴風が、軽口を続ける零斗を殴りつけ、黙らせる。


 ――――膝を折り、手を組んで、ただ安らかな死を祈れ。これから待ち受けるのは、絶対的な破滅である。


 本能が叫び、直感が悟り、理性が諦める。


 今までの零斗の動きは、邪神龍の言っていた通り、本当に些事に過ぎなかったのだと理解させられる。


 これを前に力の強弱など存在しない。皆等しく、塵に帰すだけの理不尽が、目の前の存在にはある。

 そして、その絶望の中心は重々しく、そのを口にする。


『――――邪神龍・ファフニール。二従イ、貴様ヲ排除スル』


 遂に本気になったことで理性が外れかかっているのか、発する言葉もカタコトのようになっている。

 直後、ファフニールの目が一瞬強い光を放ったかと思うと、解き放たれ、漂っていた魔力が、一斉に『魔法』へと変換され、錯覚などではない“重圧”が零斗にのしかかる。

 

「がッ……これは……まさか」


 どの属性魔法にも分類されない通称『無属性』。どう考えてもその中に名を連ねるであろうこの魔法は、零斗の“故郷”で最強の部類として描かれることの多い――――だ。


 いや、それは事実だったのだろうと、実際に受けてみることで零斗は理解した。


『……ヌンッ!』

「ぐッッはぁ!!」

 

 凄まじい重力の中で、ファフニールが軽々しく動き、魔法によって重みが増幅されて、威力の上がった頭突きを零斗に喰らわす。


 大きく発達して捻じれた角が貫いて、ファフニールが頭を掲げると零斗の体が宙に浮かぶ。


 口から盛大に血を噴き出し、今も強力な地に引き寄せられる力でまともな身動きもとれず、頭を振り払った邪神龍によってそのまま空中に放り出され、零斗は地面を転がった。


「がふっ……っ、はっ……はっ」


 大きく空いた穴により、呼吸がまともにできない。


 空気を吸ってもすぐに逃げていき、視界が狭まってくる。その代わりにとめどなく口元から泡も伴って溢れる血反吐。

 強力な重力によって地面に押さえつけられていることで、手足をまともに動かせず、『回復』の剣にも手が届かない。


 その間にも、神龍の名を冠する通り、それに相応しい風格を纏って迫りくるファフニール。


『……コノ程度カ。我ヲ倒ス……ダッタカ? コノ様デ、ヨクモアンナ大口おおぐちヲ叩ケタモノダナ』

「はっ……はっ……。っ!」

『――ッ!?』


 地に伏せ、浅く早い呼吸を繰り返すだけの人間の手が、僅かにだが動いた。

 それに何故か悪寒を覚えた邪神龍が、前腕を振り払って零斗を吹き飛ばす。

 

(何故だ……。何故あの体と重力の中動ける?!)


 『迷宮』内でも一際強大な力を持つ邪神龍は、他の魔物とは異なり理性が備わっている。


 その代わり、冷静な判断の妨げとなる、魔物本来の強い本能と直感は薄まっているのだが、その“勘”こそが、ファフニールの持つ理性がと断ずる内容を訴えているのだ。


 この人間は今やらねばならない。今を逃せば次はない、と。


 息も絶え絶え、放っておいても今に死にそうな人間を前に、ファフニール自身も困惑するほかない未知の感情が沸き上がってきていた。

 

(何なのだ、この感覚は……)


 邪神龍が知る筈もない。

 世界を遍くありとあらゆる生物の頂点に君臨し、など存在しない彼には知る機会などなかっただろう。

 普通の生き物であれば、どんな者であろうと抱きうる感情――――“恐怖”を。


『……忌まわしい。だがこれで終わりだ。――――『皇炎』』


 全身をめぐる魔力に、意識を向け、一点に集中させると共に詠唱。魔法を完璧以上に使いこなす邪神龍にとって呼吸するよりも慣れた動作だ。


 最上級炎属性魔法――――『皇炎』


 しかも、規模は先ほど放ったものの数倍。ともすれば、放った自身でさえまともに喰らえば只では済まない威力。

 重力による壁を展開し影響のないファフニールはさておき、無防備に横たわる零斗が避けられる筈もない。


 ―――ッッ!! と、灼熱の爆風と衝撃波が部屋全体を揺るがし、壁や地面を赤熱させる。


 命を否定する破壊の一撃がもたらした惨状。邪神龍に合わせたこの階層でなければ、威力を受け切れずに崩落していた。

 野に放たれたら、森一つを焦土に還す威力、到底あの人間が受け切れるはずもない。

 やはり自分の抱いた違和感は勘違いだった、とファフニールが纏っていた魔力を解き、満足げに鼻を鳴らす。



 だが、それは直後、土煙が、その中心からの零斗が姿を現した時に、感情表現に乏しい邪神龍が驚愕に顔を染めたように見えた。


『なッ――――』

「……何が終わりだって?」


 これまでの焦燥や動揺。また、部屋に入ってきたも脱ぎ捨て、ただ、冷たく鋭い零斗の眼光が邪神龍を射貫いていた。

 

 どうやって――――。


 そう思うよりも早くファフニールが反射的に、魔法で全身に防護壁を張る。何故そうしたかは、張った自身ですらわからないが……直後にファフニールはそんな自分を称賛したくなった。

 

 突如、凄まじい衝撃がファフニールの半身を襲う。

 防護壁を展開したとは言え、衝撃までは殺しきれなかった故に、その巨体が

 

(馬鹿なッ! この重力場の中、平然と動いた挙句、我の反応速度を超えて攻撃しただとッ!?)


 ファフニールが見据える先にいる『激痛』の剣を構えた青年の表情は今まで以上に“油断”など一切なく、ただ、追撃をすべく、既に地面を蹴っていた。

 数倍にも増えた重力を意に介さず自在に動く零斗に、ファフニールが内心で驚嘆の声を漏らした。


「――――はあァァァァァァァッッ」


 片手で下段に構えた剣が振り上げられ、ファフニールからしてみたら小枝と変わりない細い腕からは、想像を絶する威力の斬撃が放たれる。

 

『貴様、まさか魔法をッ!?』

「……口調が元に戻ってるぞ? さては気を抜いたか?」


 寸でのところで部分的に防護壁を厚くした尻尾で、零斗の剣を受けるファフニール。それを受け流して、僅かに後ろに下がっただけで完全に衝撃をいなし切った零斗。


 そして、彼の問いにただ平坦な抑揚で零斗が答えた。


「魔法? んなもん、俺が使えねえのはテメエが良く知ってんだろ。はっ、もしかしてお前、最初の俺の攻撃が?」

『……なに?』

なんかたかが知れてる。俺の単なるじゃ、お前に傷をつけられないくらい想定内だよ」

 

 目の前にいる生き物はどう見ても人間。保有している魔力も考慮すればそれ未満。


 だが、今も見せた数十倍違う体格を持つ相手の、しかも重力が強化されている中で完璧に衝撃を受け流す程の力。これが人間の力とは到底信じがたい。

 何より、零斗の言い回しにファフニールは引っかかった。


『貴様、まさか人間ではないと申すか?』


 だが、何度見たところで外見は人間であることに変わりはない。

 そんなファフニールに、ニヒルな笑みと小さなため息を交えて零斗は答える。


「いや? はただ筋力と耐久性が常人より優れているだけで、正真正銘、人間だ」


 ……なら一体何が言いたいのか。

 もったいぶるような言い回しにファフニールが若干のいら立ちを覚える。

 だが、急かす言葉よりも前に、零斗が続けた。


「――――ただ、使だけはこの世の誰よりも上手い自信がある」


 剣を下段に構えたまま、零斗は再び地面を蹴る。

 

「ふんッ!」

『くッ……。貴様、まさかだけで我と渡り合うまで力を昇華したとでもいうつもりか』

「……人間ってのは案外、自分の身体のことを知らねえ奴が多い。俺も最近になってそのことに気づいた」


 突如、脈略のない話を始めた零斗に、ファフニールが一瞬怪訝に思う。

 しかし、その後、零斗の口から語られた内容は、永い時を生きた邪神龍でさえもが耳を疑うようなものだった。


 そも、単純な力勝負では、人間はその辺の野生動物にすら劣る。だが、人間は力を制御し、瞬間的な破壊力によってその不利を覆す、を発明した。

 

 零斗が行っているのは、その遥か先。普段ならば決して意識することのないであろう、全身の拡散している力を、自分が望む方向に集約させ、常に可能な限り最大の力を発揮するという技術。


 先ほどから零斗が見せていた、“縮地”もその一つである。


 ただし、力を集約させるということは、反動も普段の動きとは比べ物にならない程大きい。零斗が常人離れした耐久力と筋力を持ったのは、その反動に耐えるべく体が適応した結果である。


「さっき、お前は言ったな。体術だけ、と。――――はっ、馬鹿言え」


 剣を握る手に力がこもる。


「俺にできるのは、常に“全力”をぶつけること。体術だけじゃねえ。力も、技も、知恵も、全てを駆使して戦う。……ちょうど、お前の魔法を凌いだみたいになッッ!!」


 鬼気迫る表情を浮かべ、叫ぶ零斗にファフニールが圧倒される。

 加護による、魔法の才能も、剣の才能も、英雄の如き身体能力も、賢者の如き知識も、そのどれも与えられなかった零斗が気概と闘志だけで手に入れた力。

 

 それが零斗が名付けた力――――それこそ、この『極撃』。


「それにお前、俺がってことを理解してなさすぎ」


 ファフニールが思わず息を詰まらせる。


 そこにあったのはただ目の前の獲物を憐れむ、狩人の如き冷酷な目。ファフニールでさえ薄ら背筋が寒くなるほど、剣呑な雰囲気を纏う人間は、本当に自分の知る『人間』なのかと。

 そして、彼が口にした言葉の先は、その気迫こそが物語る。


 ――――お前が相手にしている者もまた、『迷宮』内の魔物でさえも弄ぶ怪物だということを忘れるなよ、と。

 

 その表情は、この階層に来るまで、零斗が相手を潰せると確信したときにしか見せない、本気の顔。


 直後、それまで火花を散らしながら、零斗の剣と、防護壁で覆われた邪神龍の前足の間で拮抗していた力のバランスが、零斗が足を前に踏み出したことで崩れた。


「うぉらあああああッ!!」

『ぐッ!!』


 踏み込んだ力の大きさを物語るように、零斗の足元の地面に大きな亀裂が走る。

 重力魔法の存在を忘れさせるほどの怪力を前に、ファフニールはその巨体を吹き飛ばされ、壁に激突する。


 だが、それだけで零斗の反撃は止まらない。


 即座にファフニールが飛ばされた場所まで移動し、下段からの切り上げ、切り返し、突きも織り交ぜ、時には蹴り、殴打までも交えた“剣術”というには些かお粗末な動き。


 ――――しかし、合理的な視点で見るならば、完璧と称ざるを得ない零斗の猛攻。


 どうにか致命傷となる軌道から逸らすことで精いっぱいのファフニールは吠えた。

 

『く、図に乗るなよッ!! 弱小種族めがぁぁぁぁッ!!』


 パキパキパキと音を立て、地面を貫くような速さで生えてくる氷塊。轟音を立てて迸る稲妻。ファフニールの周囲を暴風が吹き荒れ、零斗を飛ばさんとする。

 重力魔法、防護魔法も含め、実にの並行魔法行使。自然災害をその身一つで再現せんとするファフニールの魔法は、見る者が見れば言葉を失うに違いない。


 だが、その程度――――今までひたすらファフニールの魔法をに徹してきた零斗にしてみれば、その辺のそよ風と同等、またはそれ以下である。


「お前が格下だと思ってくれてたおかげで、魔法式が読み放題だったぜ? もうお前の魔法は当たらない」

『おのれぇぇぇぇッ!!!!』


 防護壁の応用で前脚を強化し、零斗を踏みつぶそうと脚を振り下ろしてくるファフニールの動きを見切り、着地点の真横で零斗がここに来てから最大の集中力を見せ、静かに構える。

 そして、時が訪れた瞬間、零斗は『激痛』の剣を振りぬいた。


「――――失せろ」


 直後、邪神龍の首が落ちる音が、部屋中に響き渡り、零斗の体が軽くなった。



■■■

 

「……お、あったあった」


 邪神龍を倒した後、やはり塵になった死体の元あった場所から、先ほど零斗が飛ばしていた謎の破片を拾い上げる。

 

「まさか『時壊』がここにきて役に立つとはな」


 そう言って、『時壊』の剣に目を向ける。


 『皇炎』が放たれた一撃目。


 零斗は鍛え抜かれた五感と魔力を読む力を総動員して、魔法の式構造を解析していた。


 魔法の正体とは、魔力により編まれた式や回路が、現実の事象に介入することで起こるだ。


 それを理解してさえいれば、魔法をに破壊するという芸当も、極めて低い確率ながら可能である。


 そのイチかバチかの賭けに零斗は勝ち、魔法を破壊して一見まともに喰らったように見せかけつつ『回復』を発動。

 直後、万全になった視力で邪神龍の鱗同士の隙間を見抜き、二階層で見せた精密な投擲技術を駆使し、『時壊』の剣の先端をへし折って、破片が刺さる“肉”の部分を狙って射出した。


 刺さった破片から発動した『時壊』の効果により、体感時間が狂った邪神龍は、普段ならば一瞬で終わる筈の魔法を発動する工程も、零斗にとってはかなりの長い隙になるまで時間をかけた。


 そして二撃目の『皇炎』も、すでに解析済みであることと、一回目で感覚をつかんだため、再び部分的な“破壊”に成功し、反撃に出たというわけだ。


「にしても、重力魔法を使ってくるとはな……。念のため重量を増やした鍛錬をしていたのが幸いしたな……」


 一階層にいた時に、死んでは塵になってしまう魔物を仮死状態にして、それを担いだまま戦闘するという鍛錬をしていた時期があった。

 あの経験がなくとも、そのうち適応できていたとは思うが、あの時に動けていなければ致命的な隙を生んだに違いない。


「はぁぁ。てか、ファフニールっつったか。お前、本気出すのと気を抜くまでに時間かかりすぎだろ。すんのにどんだけ苦労したか……」


 ファフニールの亡骸があった位置に一人呟く。


 部屋に足を踏み入れた時点で相当な強さを持っているのはわかっていたが、最も警戒すべきは想定外の力を持ち出される時だ。


 故に、零斗は邪神龍に本気を出させるべく、しぶとく生き残っているように見せつつ、かつ死ぬような一撃を避けるために終始、邪神龍の放つ魔法の式を解析することに神経を注いでいた。

 おかげで尋常でない集中力を要求され、間違いなくこの『迷宮』での戦闘で五本の指に入る疲労感が今、零斗を襲っていた。


「まぁ、なんにせよここも無事クリアか。……でも次の階層も魔物がいるのか」


 途方もない疲労に逆らえず、床に身を委ねて零斗がこれから待ち構えているであろう魔物を思う。

 正直、この邪神龍以上の魔物というのが想像もできないのだが、邪神龍を倒した後、普通に下り階段が出現したことから、まだここから下に階層があることが分かっている。

 

「あー、またこの神経削る戦闘しなきゃいけねえのかよっ。流石にきついっての」


 前情報が皆無の『迷宮』である。未知の魔物と遭遇した際は戦いながら情報を引き出していくしかない。

 故に、今回のような戦い方が『迷宮』においては最も安全であると零斗は思っているわけだが、次の階層以降も魔物が出現したらそろそろ最初から本気で殺しに行くべきかと検討し始めた。


「……さて、そろそろ行くか」


 体を起こして、次なる戦闘を想像してうんざりした表情を隠そうともせず、零斗は階段を下り始めた。

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