第16話 邪神龍

 あれから下に降りること、十六階層。

 下の階層に行くほど攻略が難しくなっていくということもあり、零斗の進行速度は徐々に落ちてきていた。

 

 今の零斗は、ようやく十六階層目の魔物を討伐し、魔法陣の前で『回復』の剣を使用していたところだった。


「……危うく死ぬかと思った。そりゃお前、『毒』を使われたらいくらでも関係ねえじゃん」


 そう、今しがた自分が倒した大サソリに呟く。


 思い返されるのは、無数の小型のサソリを使役し、さらにそのすべての個体が異なる種類の毒を使用し、さらには致死性の毒ばかりという悪夢のような状況。


 どれだけ回避しようとも避けた先に子サソリが待ち構え、いくつもの毒を打ち込んでくるので、何度も『回復』のお世話になった。

 あの光景はしばらく夢に出そうだ。


 だが、おかげで毒に対する耐性がかなりついた。極めて不本意ながら、ではあったが。


「さて、回復も済んだし、次の階層に行くか」


 そう言って零斗が既に出現していた階段を下り始める。


 結局、ここに来るまで地上に出るための手がかりというものは一切見当たらなかった。

 そもそも、当たり前のように出口がある前提で考えていたが、『迷宮』のことだから、出口がないということも十分に考えられる。


 悉く人の先入観を否定するような『迷宮』に、を求めても無駄だ。


 ……と、実はその事に、ここ最近になってから零斗は気づいたのだが、今更引き返すこともできず、おとなしく先に進んでいた。


「……だいぶ魔素も濃くなってきたな」


 魔物の強さに比例するように魔素もどんどん濃くなってきている。


「確か、大気中の魔素濃度が高すぎると普通の生物は生存できないんだっけか」


 この世界の生物は、一切の例外なく『魔力回路』という物を持っている。


 そこから大気中の魔素を取り込み、魔力へと変換することで魔法を使えるようになるのだが、あまりに大気中の魔素が濃すぎると変換が追いつかず、過剰な魔素が流れ込み、回路がオーバーヒートのような状態を引き起こすらしい。

 やや強引にかみ砕いて説明するなら、ちょうど気圧のようなものだ。


 よって、ここの魔素は既に一般人なら苦しいほどの濃度にまでなっているのだが、零斗は何故だか回路そのものを持っていないために、特に異常をきたすことはなかった。


 まぁ仮に魔素を取り込んで苦しんだところで、すぐ『回復』の剣を使うだけなのだが。


「……そういや、何気なしのこの『剣』を使ってきてるけど、こんなもん、城はどこで手に入れたんだ?」


 武器に魔法を込め、『魔剣』を製造することは大して珍しいことでもない。


 ただ、その効能はわずかに使い手の筋力を増強するものだったり、刃こぼれを若干軽減するものだったりと、それほど大きな効果は期待できない……はずである。


 対して、零斗が持つ剣は、それ単体でも成立する規模の魔法が込められている。


 そんな剣を生み出した者は、さぞ卓越した技術を持ち合わせた鍛冶師だったに違いないのでが、込められている内容が特殊すぎるため、今の鍛冶師が作り出したというのも考え辛い。


 ……謎だ。


「まぁ、多分どっかの遺跡にでも埋もれてたのを回収したんだろ。どうせこいつらをまともに使いこなせんのなんか俺ぐらいしかいねえだろうし」


 そこからは特に深く考えずに、零斗は階段を降りて行った。




「――――なんだ、ここ」


 階段を降りると、今までの階層とは比較にならない程の圧迫感が零斗を襲った。


 構造自体は二階層と似たようなものだったが、扉の先からあふれ出す魔素が二階層とは比べ物にならない量である。雰囲気も、壁などに交じる魔法石が暗い赤色ということもあり、どこか不気味だ。


 漂う雰囲気も、いくつもの修羅場を掻い潜ってきた零斗ですら緊張するほどに、張り詰めていた。


 そのことから、この先にいる魔物は今まで戦ってきたどの魔物も、比較にも値しない程、別格の存在なのだと、強く思い知らされる。


「……上等じゃねえか。漸く、ボスのお出ましか」


 流れる冷や汗をそのままに、零斗が獰猛に口端を歪める。


 そして、悠然と扉の前まで歩いていき、手を添える。


 すると、手を置いた場所から紅い光が脈打つように扉の端まで流れる。何事かと手を放し、警戒した様子で扉を睨むと、どこからともなく声が聞こえた。


『――――十六階層突破者、資格確認。解除』


 無機質で抑揚のない声でそんなことを読み上げられたかと思うと、扉がゆっくりと勝手に開いていく。


「――――こいつはまた、すげえ奴が出てきたな」


 扉が開いた先で待ち構えていたを見た時、零斗の本能が警笛を鳴らす。全身の肌が粟立つのを感じずにはいられない。


 なるほど、本当に格が違う存在は――――死の恐怖さえも与えないのだと、零斗は悟る。



 そこにあったのは、もはや諦観。死に対して、祈ることしか許さない、絶対的な威圧感。


 闇に溶け込むかのように漆黒の鱗を纏い、目に当たる部分はひび割れ、代わりに結晶化した魔力が紅く光を放っている。


 全長二十メートルはゆうに超え、体高でさえ零斗の数倍ある。


 漂う魔力の気配は、今まで出会ったどの魔物よりも濃く、膨大な量だった。


『――――我が領域を荒さんとする愚かな者よ。許す、名を名乗れ』


 零斗の脳内に直接声が聞こえてきた。

 言葉を操るまで知能が高い魔物など聞いたことがないと、内心で動揺しつつも、表面は取り繕って零斗が答える。


「灰瀬零斗。そういうテメエの名は何だよ。


 恐怖や絶望の一切をねじ伏せ、辛うじて口端を歪めながら余裕を装い、軽口を返す。


『……ほう、我の圧に耐えるか。これは面白い。――我の名は『邪神龍』。覚えておくが良い、弱き者よ』

「宇宙もびっくりの上から目線どうも。んで、俺のことを『弱き者』って宣うのは結構だが、これからそんな“俺に負けるお前”は、限界突破したってことになるんだが、大丈夫か?」

『……くくく、これは存外、楽しめそうだな』


 へらへらと返す零斗に対し、本当に心底愉しそうに邪神龍はそう言った。

 

『さぁ、かかってくるが良い』

「そんな簡単に先手譲っちゃって良いのか? ……ま、そういうなら遠慮なく」


 そう言って、零斗が土煙を巻き上げ、邪神龍の視界から消える。


『――――ほう』


 次の瞬間、邪神龍の懐に入り込んだ零斗が、腹部へと斬撃を浴びせる。

 ――――しかし、いとも容易く零斗の攻撃は弾かれ、その反動で逆に零斗が吹っ飛んだ。


「……ッ!」


 勢いに身を委ねつつ、受け身を取って衝撃を殺し、そのまま邪神龍との距離を離す。

 

『どうやら、口先だけの阿呆ではないようだな』

「そりゃどうも。思ったより硬くてこっちはびっくりだよ」


 幸いなことに折れはしなかったものの、酷く刃こぼれしてしまった『錯乱』の剣をベルトに納め、邪神龍の出方を伺う。


(一応『激痛』を使わないでおいて正解だったな)


 一目見た時点で、正面からの攻撃が通じるか疑問に思った零斗はこうなることを想定し、主力となる武器の損傷を防ぐために『激痛』の剣ではなく『錯乱』の剣を抜いた。


 予想は的中し、零斗の岩をも砕く一撃を、難なくあの邪神龍は防いだ。


『さて、その強がりがいつまでもつか』

「なッ!」


 邪神龍がそう呟くと同時、零斗の両脇に地面から壁のようなものがせり上がる。

 瞬時に魔力の動きを追うと、邪神龍の方から壁に魔力が流れていることから、どうやら魔法を使ったということだけはわかった。


「当然のようにかよ」


 平然と超が付くような天才級の魔法行使に、零斗が失笑しそうになるも、笑っている場合ではない。


 せり上がった高さはちょうど天井に届くか届かないか程。おまけに壁同士の間が詰まるわけでもないことから、これがだということが分かる。


 となれば、次に来るのは必然的にだ。


『果たして、お前に凌げるか?』


 邪神龍の口元に一気に大量の魔力が集中し、熱線となって零斗に襲い掛かる。


 周囲は壁。

 一直線に邪神龍と結ばれた道の中に逃げ場はなし。


 考えるまでもなく、この先に待ち受けるのは逃れられない死だ。


 ――――だが。


「それがどうしたあッ!」


 逃げ場がないなら作ればいいじゃないと、剣ので壁を殴って穴をあけ、外に避難する。邪神龍に攻撃が通らずとも、壁の硬さは所詮“岩”だ。


 この程度でやられる零斗ではない。再び邪神龍付近に接近するが、今度は懐に入りこまずに、周囲で地面に剣を使って傷をつけていく。


 火花を散らしながら駆け抜ける零斗を、邪神龍は何をするでもなくみていた。


『……なるほど、魔法陣を使うか? 物理的攻撃が効かないと判断し、魔法による攻撃を試みるか。が、見たところお前は魔力がないようだからな。魔法陣を使うのは賢明な判断だ』


 当然のように一瞬でこちらの目論見を看破したうえで、称賛しているのか貶しているのか分からないような邪神龍。

 しかし、そっちには目もくれずに、地面に書き込んでいくのは、超簡略化された『強制魔力放出』の魔法陣。


 以前、いくつもの魔法陣を用いて、最初に出会った魔物に仕掛けた物のだ。

 流石にこれだけで奴を殺せるとは零斗も思っていないが、これを使えば、強固な防御はどうにもならなくとも、戦力を割くことぐらいはできよう。


「悠長に眺めてたら、死ぬぞ?」


 そう言って、最後の一角を書き込み、魔法陣を完成させる。


 そして、邪神龍の体から、前回とは比較にならない魔力が放出され始めた。


『攻撃ではなく、我の魔力を奪って魔法を封じるか』


 莫大な魔力が渦巻いて部屋中に流出していく。

 底が見えない量を保有している邪神龍だが、この魔法陣はあらゆる魔力を根こそぎ奪う。魔法さえ封じることができればいくらでも対処のしようが――――。



『――――下らん』


 そんな零斗の考えを一蹴するかのように、邪神龍が全身から黒い瘴気を発する。

 ――――そして、あらゆる魔力を吸収するはずの魔法陣が、爆ぜた。


「……は?」


 今のは一体、何の冗談だと。

 引き攣った笑みを浮かべながら邪神龍を眺める。


 零斗が書き込んだ魔法陣は、何か魔法を発動させるためのものではない。そのため、理論上、許容できる魔力量に上限はない。


 ――――はずなのだが。


 今起こったのは、どう見ても魔力の過剰供給による魔法陣のショートだった。

 

「なんでだけの魔法陣が、でぶっ壊れんだよ……」

『あの程度の魔力、我の保有する総魔力量の一割にも満たないわ。ちょっと力を入れただけで壊れおるとは、貴様の魔法陣も大したことがないようだな』


 ――――今の放出量で一割未満だと……?


 いよいよ、零斗の表情から笑みが消える。


 つまり、魔力量だけで言えば、最初に零斗を追い詰めた魔物の十倍以上を保有していることになる。

 上の階層にいる魔物達がバケモノだとしたら、こいつはまさに。


 

 ――――だ。


「笑えねえ……冗談だな」

『笑わせようとしたつもりはない。単なる事実を述べたまでだ』


 そして、邪神龍が天に向かって大きく吠えた。

 途端に、奴の体から先ほどのような黒い瘴気があふれ出し、あっという間に部屋中に満ちる。

 

『――――その身に刻んでやろう。我と貴様の絶望的な差というものを』


 大地を踏み鳴らし、部屋にいくつもの氷塊を出現させる。

 それら全てをが纏い、氷塊の間を伝うように稲妻が奔る。

 そして、邪神龍の周りには何本もの柱のような炎が渦巻き、部屋の温度を一気に上昇させていく。


「なるほど……そりゃこんだけやれば『全属性』持ちなのは当たり前だよなッ!? クソがッ!」

 

 稲妻の駆け抜ける速度が速すぎて、零斗の目を以てしても追いきれない。まるで結界のように張り巡らされた氷塊と雷。


 だが、それに目を取られていた一瞬、炎の渦の中で、何かが光った。


「――――やばいッ!」


 迫りくるナニカを見る間でもなく、直感で死を悟る。


 まともに食らえば命はないと、本能が叫んでいた。それに抗う理由はない。


 走馬灯すら見えるほど緊迫した状況で、零斗が“本気”の回避をする。


「……間に、あえッッ!!」


 刹那未満の時間の中、地面を蹴り飛ばす。

 僅かに回避が遅れ、左腕から先に未知の感覚を覚えたと思えば、すぐに何も感じなくなった。


 着地のことなど一切考えなかったため、零斗が地面を転がる。


 だが、転がる視界の中で見た。


 ――――地面が赤熱し、大きく直線状に抉れていたところを。


(何が起きた! いや、違う。考えてる場合じゃねえ、早く『回復』しないと――)


 『回復』の剣を突き刺そうとした時、再び零斗の背に悪寒が走る。

 即座に柄にかけようとしていた手を引っ込め、その場から飛びのく。その後は、やはり同じような光景が展開されていた。

 

「回復する間すらくれねえか!」

『ふむ、これを避けるとは“今まで”の者とは貴様も一味違うらしい。……なら、これでどうだ?」


 そう言った邪神龍の頭上に、巨大な炎の塊が出現する。


 ゆっくりと降下してくるそれを見て、この後何が起こるか等は嫌でも想像がつく。


 しかし、悠長に対処する暇も邪神龍は与えてくれず、次々に地面から氷塊と岩の棘が張り出しては消えていく。

 おまけに炎の渦が広がって、奴に近づくことすらできない状況。


 端的に言って、


「即死、回避不能、おまけに全体攻撃ってか。本当にやりたい放題だな、お前――――」


 遂にお手上げだと言わんばかりに、零斗が苦笑を見せた。

 そして、地塊が地面に触れた瞬間、膨大な熱量の暴風が部屋内に吹き荒れ――――零斗が姿を消した。

 

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