第15話 前進

「さて、と。……着いたか」


 鍛錬の日々の中、迷宮内を探索したものの出口らしいものといえば、自分が落ちてきた穴ぐらいのものだったが、一つだけ、零斗の気を引くものがあった。


「……この魔法陣。明らかに罠……だよな」


 迷宮奥部に存在する、一際頑丈な素材で造られた部屋の中にある魔法陣。

 戦闘で不利になった時はよくこの部屋にお世話になったものだと、長かった鍛錬の日々を懐かしむ。


 しかし、回想に浸っている場合ではない。


 問題となるのは、散々魔法の知識を頭に叩き込んだ零斗ですら、この魔法陣をこと。

 そして、魔力を持たない零斗では陣を起動させることができないということ。


 それらの問題を解決しなければならない。


「……まぁ罠だとしても今更だ。発動も多分『回復』でいけるだろ」


 『回復』の剣は、柄から大気中の魔力を吸収し、与えた傷口から治癒力を流しこむという工程で治療する。

 やや強引に解釈すれば、を流し込んで治療するわけなので、発動前の魔法陣に突き刺せば、からものを補充するために、『回復』の剣が魔法陣に魔力を流すことになる……はずだと、自信なさげに零斗が『回復』の剣を見つめる。


「――――ええいままよッ! どうせならとことん行ってやろうじゃねえかッ!!」


 やけくそ気味に叫んで、『回復』の剣を魔法陣に思いきり突き刺す。

 

 すると、魔法陣から光の筋が放たれて、それが幾多にも枝分かれし、部屋中に迸る。そして、這うように流れた光は、出入口のちょうど反対側の壁の中心に収束して輝きを失う。


 直後、地響きがしだしたので、零斗が思わず部屋から飛び出そうとすると、出入り口が壁と同じ材質の煉瓦の壁が築かれ、塞がれてしまっていた。

 

 やはり罠だったか、と歯噛みしつつ、冷静にこの状況を打破する方法を零斗が考えていると、先ほど光の集まっていた箇所が、まるでパズルが解けていくかのように崩れていく。


 ほどなくして地響きは治まり、開いた穴の先に下へ続く階段が出現していた。


「……なるほど、出すつもりはないってか」


 これが上へと続く階段だったら素直に喜んでいただろうが、下に続く階段とあってはどう考えても脱出できることにつながる筈もない。


 だが、それに対し特に落胆する様子もなく、零斗は淡々と階段を下り始めた。


「ま、迷宮がそう簡単に侵入者を出させるわけもねえか」


 下っていく途中で、壁の様子が変わっていく。


 今までは無機質な黒煉瓦一色だった壁に、何やら淡い色の光を放つ鉱石が混じり始めた。


 道を蒼く照らす鉱石から濃密な魔力を感じることから、どうやらこれらはすべて魔法石らしい。濃さから言って、相当な魔力が込められていると推測できるが、魔法の使えない零斗にとっては只の装飾品程度の価値しかない。

 

「……いや、でもこの濃さなら、持ち帰って売りさばくのもありか?」


 高純度かつ高濃度の魔力を保有する魔法石は非常に産出量が少ないため、需要が多く、価値が高い。流石は『迷宮』。売れば財を築けるほどの魔法石がごろごろ存在している。


 それを持ち帰って売れば、いったいどれだけの金を手にできるのかと、そう考えた辺りで零斗はあることに気づいた。


「まて、その間、俺はどうやって持ち歩くんだ?」


 カバンなどといった類の持ち物が一切ないため、持っていくにも一個二個程度が限界なうえ、戦いに不要なものを持ち歩きたくない考えの零斗。


 熟考すること一秒未満、零斗は結論を出した。


「うん、やっぱなし」


 そもそも、その魔法石がトラップであることも十分に考えられるのだ。迂闊に壁から引き抜いて爆発などされたら溜まったものではない。

 そこまで考えたところで零斗は、魔法石のことを忘れることにした。



 下に降りると、何やら一本道の通路に繋がっていた。


 天井は思っていたよりも高く、等間隔に光を放つ魔法石が埋め込まれた柱が並んでいる。


 その奥にあるのは、荘厳な装飾が施された扉。何やらそこの隙間からは、上の階層よりもさらに濃い魔力が漏れ出している。

 まるでかかってこいと言っているかのような構造。

 零斗の吐息以外、一切の音がしない空間は嵐の前の静けさを体現しているのか。


「……こりゃ、また随分と雰囲気が変わったもんだな」


 上の階層が名前に恥じない『迷宮』のような構造だったのに対し、この階層の見た目は言うなれば『ボス部屋』である。

 もしかしたらこの扉の先にいる何かを倒せば、地上へ出る手がかりをつかめるのだろうか。


「まあ、行ってみないと始まらねえか」


 特に考えるそぶりもなく、零斗が通路を歩いていき、扉の前に立ってそのまま開く。


「たのもー」


 気の抜けた声で部屋の中へ足を踏み入れる。

 中は通路よりも更に広く、高さ三十メートル前後、奥行きと幅に至っては百数十メートルほど。体育館六個ぐらいがすっぽり収まりそうな広さといえば伝わるか。


 明らかに階段を降りる際、それほどの距離を歩いていないのだが、迷宮に常識を求めるのがそもそも間違いであろう。


 ――――それよりも、だ。


「……スライム、だよな?」


 部屋の中で零斗を待ち受けていたのは、その部屋の中でも一際、異彩を放つ色のスライム。

 ただし、その辺に生息するソレとは比較にならないくらいの大きさをしており、上の階層にいた魔物の更に倍はありそうな体格であった。


『……』


 そして、スライムがプルルンと何気なく震えた瞬間。零斗の背筋に嫌なものが奔る。

 反射的に横に飛びのいて、零斗が自分のいた場所を見てみると――――扉諸共、氷におおわれていた。


「……なるほど。まともに魔法を使ってくる奴は初めてだな」


 スライムが揺れた際、大量の魔力が動いたのを零斗は認識していた。なら、まず今の攻撃は魔法とみて間違いないだろう。

 それに『属性』は言わずもがな、氷に関連するもの――――つまり『水属性』だ。


「ここに来るまでの魔法石の色が“青”だったからって、ちょっと安直すぎねえか?」


 そう言いつつ、零斗が『激痛』の剣を構える。

 だが、それは“剣術”や“剣道”といった、いわゆるとはかけ離れた、極めてラフで自然な構えである。

 

(水属性……ってことは基本的に警戒すべきは、凍結系とビーム系か)


 この世界における魔法は、主に五つの属性によって分類されている。


 『炎』『水』『風』『雷』『地』である。それ以外は分類不能というのも含め、『無属性』で一括りにされる。

 しかし、というのは滅多に存在せず、今しがたスライムがして見せたような、氷に関する攻撃が『水属性』に分類されるように、大体の魔法は何らかの属性に加えられるのである。


 この属性というのは生まれ持った『適性』によって使用できるか否かというのが決まっていて、勿論零斗は一切使うことができない。所謂『無適性』だ。


 勇者の中には全属性を扱うことができる者もいるが、一般的にこの世界で全属性適性はおろか、基本的に一つの適性しか持たないとされる。

 二つ持っているだけで天才と呼ばれ、五つも適性があれば英雄として扱われる。


 ――――どうも過去にはそれを悪用し、英雄ではなく、ただのバケモノになり下がった者もいたようだが、それは今の状況においてただの与太話に過ぎないので割愛する。


「ったく、俺も魔法の一つや二つ使ってみたかったよっ、と」


 再び足場が凍り付かされるのを跳躍して躱す。


 そして、凍っている足場になんなく着地すると、零斗が縮地の要領でスライムとの間合いを一気に詰める。感覚器官はないが、スライムには周囲の魔力の流れを敏感に感じ取る能力があり、零斗が自身の懐に入ってきたことを瞬時に理解。同時に、攻撃を躱そうと体を変形させ始める。


 ――――だが。



 不可視の速度で『激痛』の剣を振りぬき、スライムの体を上下で真っ二つに両断する。


『……』

「……さて、どうするかな」


 ――――だが、二つに分かれたスライムは何事もなかったかのように動き出し、二手に分かれて零斗を攻撃し始めた。


 片方は流動性の体を変形させ、何本もの触手を生み出し、風を切る速さで零斗に襲い掛かる。

 もう一方のスライムは魔力を集中させて、先端がとがった巨大な氷塊をいくつも出現させ、同じくすさまじい速さで零斗に向けて打ち出した。


 こうなることも知っていたかのように――いや、零斗が、落ち着いたまま氷塊の着地点をすぐに把握。触手の動きを見切り、ともに的確かつ最小限の動きで躱していく。


 傍から見れば神業と言わざるを得ない人間離れした回避術だが、特に顔色一つ変えずに零斗がスライム二体と距離を置く。


(流石『迷宮』。地上の一般常識が悉く通用しねえな、クソッ)


 目の前のスライムに零斗が舌打ちする。



 上の階層にいるような得体のしれない魔物とは違って、スライムは情報が多く出回る魔物の一つだ。

 よって、なら、零斗はもちろん熟知している。


 だが、こと零斗が対峙するスライムに関して言えば、それらは情報であった。


 スライムは原動力となる玉状の魔法石、通称『核』が存在しており、そこから活動できるだけの魔力を供給している、というのが常識だ。

 この手の魔物は割と多く、ゴーレムなどもそれに当てはまる。そして、それらの魔物と戦う際は、決まって核を重点的に狙って、素早く破壊するのが共通認識である。


 だが、今零斗が戦っているスライムに関しては、その最重要な存在であるのだ。


「てめえら、核無しでどうやって活動してんだよ!」


 飛んでくる氷塊を躱しつつ、零斗が悪態をつく。


 核無しで動いているスライムというのは、いわば心臓無しで動いている生物のようなものである。

 つまり、それは普通に考えたらということを意味する。

 

 核さえ壊せればスライムは子供でも倒せる程度の強さでしかない。

 ――――だが、核が無いとなっては、考えうる中でも最凶クラスの魔物が誕生する。


(――落ち着け。こいつらは核が無いこと以外は普通のスライムだ。なら、絶対にこいつらを動かしている“原動力”がある筈。それを探せば……)


 迫りくる触手や高圧の水鉄砲を紙一重で避けながら、魔力の気配に感覚を集中させる。その中で一つ、違和感を抱かせるような魔力の流れがあった。

 

「……あれか」


 無数に存在する、壁や天井に埋め込まれた青色の魔法石の中で、一つだけ他よりも大きな魔力を放つ石があった。

 その代わり、サイズは周囲の魔法石よりもはるかに小さく、気を抜けば見失ってしまいそうだった。


「なるほど、こりゃ相当悪質な仕掛けだな」


 スライムは核があるものという固定概念がある中、突如現れた、常軌を逸したサイズのスライムとの遭遇。一撃でも貰えば致命傷必須の攻撃への対処に集中して、まともな思考も難しい中、無数の魔法石の中に自身の核を紛れ込ませ、討伐を困難にする。


 随分と手の込んだ階層だ。零斗も魔力を感じ取れるという特異な力が無ければ、あの一瞬で核となっている魔法石を見抜けたかどうか怪しい。


 おそらく、普通の者ならば、零斗のように外部に核が存在する可能性を考え、どうにか無数に存在する魔法石の中から見つけ出すということを強いられたに違いない。


「残念だったな。タネは割れたぞ」


 スライムの方に向き直り、零斗が悪戯っぽい笑みを浮かべるも、その目は一切笑っていない。それどころか敵意むき出しである。


『……』


 だが、雰囲気の変わった零斗に気づくことなく、単調だが慈悲のない攻撃をスライムは続ける。先ほどから零斗が一切反撃していないのも、下手に全劇を浴びせたことで分裂され、攻撃の手数が増えることを避けているからなのだが、そうとも知らずにスライムは徐々に間合いを詰めてくる。


「おら、よッ!」


 ベルトから『時壊』の剣を抜き、核らしき魔法石に向けて思い切りぶん投げる。剣はそのまま一直線に飛んでいき、正確に魔法石があった場所に突き刺さり、核を砕いた。


 その直後、スライムだったものたちが塵になって空気中へと消えていく。


「……まぁ、地上にいる種類とはいえ、お前らも元を辿れば『迷宮』の魔物だから当然といえば当然か……」


 てっきり死体は残るのかと思っていた零斗だったが、これまで同様、跡形もなくスライムが消滅したことに若干動揺する。

 何はともあれ、この階層も無事突破らしい。『時壊』の剣を回収しつつ、部屋の奥で光っている魔法陣の元まで零斗が向かう。


「つか俺がここの仕掛けに気づくのが早かったから良かったものの、普通に攻略している奴らからしたら一階層よりむずいんじゃねえか、ここ」


 一階層はただ魔法陣がある部屋を探り当て、起動すれば自動的に次の階層まで進めるような単純な仕組みだった。

 ――――そこにたどり着くまで、命がいくつあっても足らないような魔物と遭遇する可能性があることはさておき。


 対して、この階層に関しては、冷静な思考を保っていなければ攻略は非常に難しいものになるだろう。加えて、一階層の魔物よりもスライム自体の戦闘力は強かった。並みの冒険者のパーティであれば、数分も持たずに全滅していることが容易に想像できる。

 

 想定していたことではあるが、やはり下の階層に行くほど、攻略の難易度は上がるらしい。

 

「……ここって何階層あるんだ?」


 そんな素朴な疑問と不安を胸に、零斗は魔法陣を起動した。


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