第13話 目覚め

 体を起こして辺りを見渡す。


 自分が倒れていたところは若干陥没しているものの、肉体には傷一つない。


 だが、それが無傷でここに着地したわけではないことを示すように、しっかりと大量の血痕があった。それに傷がないとはいえ、ほんのり体が痛む。


 咄嗟の事態に加え、取れる選択が限られていたこともあり、生き残れるかどうかは正直賭けだったが、どうやら上手くいったようである。


「『回復』刺しとけば、後は何とかなるって思ったが……これ、明らかに俺の肉かなんかだよな……」


 己に与えられた《体が頑丈になる》という加護と『回復』の剣に託して、あのまま落ちていったわけだが、それでも着地した際の衝撃に耐えきれずに零斗は気を失った。


 何やらその時に、自身の身体から鳴ってはいけない音が一つや二つで済まないくらい聞こえた気がするが、何はともあれ助かったので良しとする。

 見えてはいけないもの――例えば血に塗れたぶよっとした物体とか――が散乱しているが、それも無視だ。


 ――――そんな事よりと、零斗が周りを見渡す。


 真っ先に目に映るのは、大理石か何かで出来ている黒い壁やら床。


 光源となりそうなものは一切見当たらないのにもかかわらず真っ暗、というわけでもない。それでも地上に比べたら随分と暗いが、動く分には不自由しない明るさである。


 そして先ほどからずっと感じている濃密な魔力の気配。


「――――間違いねえ、『迷宮』か」


 先日訪れた遺跡とは、明らかに一線を画す雰囲気。

 漂う空気は、不吉そのものだと言っても過言ではないほどに不気味だ。時折訪れる地響きが、それが自然の起こしたものではないことを示すように、不規則にかつ小刻みに起こる。


 おそらく、夥しい数の魔物がここを徘徊しているのだろう。『迷宮』はその性質上、魔物とは切っても切れない関係にあるため、それは明白だった。


「……最悪な待遇の城、次は独房。おまけに磔にされた挙句、今度は『迷宮』とはなぁ」


 デイフォモスに来てからというもの、碌な環境に恵まれない自身の運の悪さを常々恨んではいたが、それもここで極まれり、といったところか。


 『迷宮』の発見報告はいくつかあるが、攻略したという報告が上がったのは過去に数度だけ。そう言えば、如何にここが苛烈な環境か分かってもらえるだろうか。


 そんなところへ、生身に一癖も二癖もある剣が四本だけ、かつ魔法も使えず、騎士一人に拮抗できる程度の腕前。


 到底、生存など望むべくもない。


 だが、そんな事知ったことかという顔で、零斗は立ち上がる。


「――――上等だ」


 こと迷宮においては、ただ蹂躙されるだけの存在であるはずの零斗は、まるで自分こそが蹂躙する側だと主張するような、ギラギラと獰猛な眼差しと不敵な笑みを浮かべる。


『迷宮』だろ。……こんなもんで、俺を殺せると思うなよ」


 自分自身の運命に挑発するかの如く、獣が唸るような声でそう言った。

 

 だが、そうは言っても、ここがどの程度の規模なのかということや、出現する魔物の強さ等を把握しなくては始まらない。


 まずは探索からかと、零斗が足を踏み出した時、背を向けた通路から零斗の前方に向かって強烈な風が吹き抜けた――――ような錯覚がした。


「……ッ! なんだこの気配!?」

 

 思わず振り返った時、目を見開いた。

 もはや不可視の壁にでも押されるような圧迫感に、迫りくる何かの足音。これから来る何かがどんな魔物か知る由もないが、確実に言えることは一つ。


 ――――天地がひっくり返っても、この魔物にはおそらく勝てない。


 それが、まだ脅威が姿を現していないにもかかわらず、零斗が抱いた感想だった。


 きっと自分はを相手に何をすることもできず、ただ一方的に嬲られて終わるという確信。


 緊張に自然と足が震え、何もされていないのに威圧感だけで膝をついてしまう。何とか手をついて倒れるところまではいかなかったが、それでも意識を保つのがやっとだった。



「……はは、こいつは……思った以上に……」


 かくして猛スピードで現れた、『魔物のような何か』は、形容するなら、まさしく『死』そのもの。


 殺気や、敵意など、そんな生易しいものではなく。優しく、しかし冷たく自分を包み込むかのような圧倒的なまでの死の気配。

 あまりに濃すぎて可視化した魔力が全身を覆い、零斗の背丈の三倍はあるであろう位置から見下ろして、目の前の哀れな獲物を見定める。


 ――――これが、だって?


 冗談じゃないと、零斗は引き攣った笑みを浮かべる。


(魔物どころじゃねえ。ただの――――だろうがッ!)



『――――クゥ』


 そのは鳴き声のような音を発した後、零斗の視界から僅かな土煙だけを残して姿を消す。


 …………たった一瞬、零斗の思考が止まった。


 それは、刹那にも満たないほんの僅かな時間。何が起きたのか理解する間もなく、やけに静かで、あれだけ鳴り響いていた鼓動の音すらも聞こえない。

 極限まで死に差し迫ったことによる、時間の圧縮。その事実だけで直感に叫ばせるには十分だった。


 すなわち――――避けろッッ!! と。



 直後、零斗の左半身から巨大な衝撃が駆け抜ける。


 そして、勢いそのまま、零斗は壁に叩きつけられた。その時、衝撃からやや遅れてやってきた痛みと、大量の吐血を以ってと理解できた。


 気を抜いている暇はない。視界が赤く染まって、だんだんと霞んでいく中、零斗が即座に『回復』の剣を体に突き刺す。


 しかし、零斗の負った傷が完全に癒えるまで待ってくれるほど、化け物は甘くない。


 あの一撃で死ななかったのが奴にとっては想定外だったらしく、僅かに動きが止まったが、すぐにうなり声をあげ、次の攻撃に備える。


 一方、零斗は一撃を受けただけで既に満身創痍。『回復』の剣による治療が早いからといって、すぐに動けるようになるわけではない。



 ……加えて、あの動きである。

 

「……ゲホッ! てめえアホかッ。なんでそのデカさで物理法則無視した動きが出来んだよッ!」


 零斗の訴えに全く魔物は応じない。


 それもそうだ。人間の言葉など魔物に理解できるはずもなく、ましてやこの世界にはない常識であるを持ち出したところで伝わるべくもない。


 ただ機械のように。本能に忠実に。目の前にいる獲物を殺すことだけしか頭にない。それが魔物というものだ。


『……クゥッ』


 どこぞのタタ〇神も裸足で逃げ出すような風貌に対して、鳴き声はえらく可愛らしかった。尤も、そんな見た目で可愛い声を出されたところでより恐怖感を煽るだけなのだが。


 そんな魔物の意外な声に危うくツッコミそうになるのを抑えながら、零斗が全神経を研ぎ澄まして魔物の動向を注視する。

 一度目は気を抜いていた。ならば今度は、自身の持てる全ての集中力を賭して、目で追うことができなくとも、視認ぐらいはしてやろうという気概で。


 ――――そして、再び、魔物は零斗の視界から姿を消した。

 

 気が付けば、また零斗の身体は、右から壁に、骨が砕ける音と共に叩きつけられ、ズルリと地面に落ちる。


 結果は変わらず、今の零斗の持ちうる全ての感覚を総動員しても、魔物が近くに来るまでできなかった。


 一応『回復』の剣を刺したままだったことが幸いし、即座に治療が始まる。

 

「さて……全くお前に勝てる気がしねえんだが、どうするか」


 逃げるという選択は端から無い。

 そもそも、こんなバカげた速さで動ける魔物から逃げること自体出来るかどうか怪しい。


 かといって、戦うというのも少々無理がある話だ。

 予想はしていたが、力勝負に持ち込むとしても、実際に今の二撃を受けてみて絶対に適わないと分かった。


 ……ならば、どうする。

 既に魔物は攻撃の準備を始めたようで、零斗に対する殺意が膨れ上がっている。


『……クルル』


 一つ、わかったことがある。

 信じられないことに、一応この魔物、らしい。


 もし本気で零斗を殺そうとしているのならば、壁に叩きつけた後、間髪入れずにもう一撃叩きこめばいい。それだけで、いとも簡単に零斗の息の根は止められるだろう。


 しかし、そうしないのは警戒からか、それともあまりに弱すぎる零斗への慢心故か。なんにせよ、一つ言えるのは、今の零斗はということだ。


 もし魔物が全力を出そうものなら、それこそ零斗にとっての最期である。

 成す術なく、瞬殺されて終わりだろう。これまでの経緯から、痛みには常軌を逸した耐性があるとはいえ、流石に死に抗えるような力は零斗にはない。


「――――痛み? 待て、もしかしたら、は……」


 突如、零斗の脳内に一筋の光が奔る。


 そして目を向けたのは刃が鋸のような形をした『激痛』の剣。

 痛みを倍増させるという効果があり自身を散々苦しめた、憎たらしい武器の一つだが、その効能に零斗はある疑問を持った。


 ……直後、零斗は三度目である衝撃に襲われた。

 

「――――がはっ」


 なぜここまでの攻撃を受けて尚、生きていられるのかは不明だが、ひとまずそれは置いておくことにしよう。

 零斗が閃いた、もはや希望にすら等しい仮説。


 それは――――。


 『激痛』の剣が持つと思われている効能が、実は間違っているというもの。


 どういうことか。


 “痛み”というのは大雑把に捉えるなら、体が損傷を受けた際の神経系の反応により引き起こされる感覚である。

 つまり何が言いたいのかというと、この剣が増強しているのは『痛覚』ではなく、ではないか、ということだ。


 他に考えられることとして、『対象の痛み』という概念が増強されていることが挙げられるが、『激痛』の効果がおそらく魔法の一種であること、その際に必要な魔力の規模から鑑みて、その線は無いと見ていいだろう。


 この仮説が正しいとすれば、剣に斬られる痛みも倍増されるが、同時に“五感”が強化されるということにもなる。すなわちそれは、今最も必要とされる、“魔物の動きを捉えることのできる目”が手に入ることを意味する。


 問題は、自分がその倍増された痛みに耐えられるかどうかだが、半年間――――さらには『時壊』によって、体感ではその数倍――もその苦痛を味わい続けた零斗にとって、今更気にすることでもない。

 

 思考している時間すら惜しい。


 こうして考えている間にも、魔物は四度目の攻撃に入ろうとしている。


 その一瞬で『回復』の剣を引き抜いて、代わりに零斗は自身の手首を『激痛』の剣で切りつける。直後に嫌という程味わった感覚が再現されるが、すぐに気を落ち着かせて、全神経を再び視界に集中させる。


 見えてきたのは、磔にされていた間、全く意識することのなかった世界。


 先ほども全力で目を凝らしたつもりだったが、そんなのとは比較にならないくらいの情報量が零斗の頭の中に流れ込んでくる。


 宙に浮く埃の数、相対する魔物の挙動の一つ一つ、聞こえてくる息遣い、影の中で剣呑に輝く紅い瞳の見ている先、それら全てを一つ余さず認識できる。

 ――――同時に、氾濫する情報量に耐えきれないのか、頭の中でブチブチッという嫌な音と共に、ツーと鼻の下を液体が伝う感覚がしたが。


「……だが、これで、ッッ!!」

『クルゥ……』


 零斗がそう叫ぶと、魔物が今度は


 まるで空中で反射するかの如く、凄まじい速度で何度も軌道を変えては零斗の目の前に迫る。


 スーパースローカメラでも見ているかのような光景だが、あくまで感覚が強化されただけの零斗では回避することも、動くこともできない。ただ目の前に迫りくる脅威を前に見ることしか許されなかった。


 そして、魔物の動きを見届けた後、影から手のようなものが伸びて、零斗の身体を叩く。


「……がっっは」


 前方から駆け抜ける四度目の衝撃。だが、今までとは明らかに違う、収穫のあるダメージ。

 しかし、そう何度も受けられる攻撃ではないので、すぐさま『回復』の剣を突き刺して体を癒そうとすると、先ほどまでの研ぎ澄まされた感覚が一気に引いていった。


 どうやらこのは、『回復』の剣的には害だと認識されるらしい。

 だが、それも当然と言える。明らかに己の限界を超えたあの集中力によって、相当な負荷が体にかかっていた。これが『癒すべき異常』であるのは明白だろう。


「……はは、これがお前の力か」

『…………』


 零斗が渇いた笑いを漏らす。

 先ほど見た、生物という枠から完全に逸脱したような身体能力。ただ動きを見ることすらも、常人の零斗には命がけである。


 これが人間と魔物を隔てる壁。覆しようのない絶対的な


 遠すぎる、決して零斗のような、ただ耐久力があるだけの一般人では傷をつけることすらできない存在。それが『迷宮』の魔物。


 ――――いや、いくら何でもこれは『、で片付くような強さじゃない。


 今までにいくつかの『迷宮』に関する書物を読み漁ってきた零斗だが、ここまでの強さを持つ魔物の記述はなかった。精々、地上でも普通に生息しているような魔物が数段強くなったぐらいだと記憶している。


 なら、目の前にいるこの化け物は何だ。


 決まっている。


 ――――未だ良く知られていない『迷宮』の中でもの場所がある。


 そのうちの一つがここで、目の前の化け物はその一匹。


「あー……。運が悪いのは自覚してたが、まさかここまでとはなぁ」


 『迷宮』の中でもさらに上の方に位置する迷宮。そんなものがあること自体驚きだったが、ここまで歯が立たないとは思っていなかった。


 まさしく、自分が最初に直感した内容は間違っていなかったのだ。


 その証拠に、魔物は影の中からおぞましい腕なのか足なのかわからないナニカを何本も出し始めた。おそらく、先のやり取りで魔物は悟ったのだろう。零斗が自身の攻撃を目で追えていたことに。


 そして、魔物としての本能が、自分がこの数分のうちに対応され始めたことを危険と判断した。敵ながら素晴らしい判断力だ。


 片手に握りしめた剣で、今にも倒れそうな体を支えながら、零斗が苦笑いを溢す。


「クソ……生き延びてやるって啖呵切ったのにこんな早くに終了かよ」

『クルルゥゥ……』


 相変わらず小犬を思わせる鳴き声で、しかし、何本もの足で構えた姿勢は、次の瞬間の死を確信させるほどに絶望的で。生き残る可能性など消し去ってしまうような威圧感は、さながら目の前に迫る大災害のごとく。


 いくつにも増えた紅い目のような光はいくつにも分裂して四対にまでになっており、もはや生物であるかどうかも怪しい。


 そんなバケモノと評するにふさわしいソレは、零斗の視界から姿を消した――――。





「――――とでもいうと思ったか? 





 大木のような腕で地面を陥没させるものの、そこに零斗はおらず、少し横にずれた位置に零斗は立っていた。魔物が回避どころか反応すらできないような速度で動いたにも関わらず、ボロキレのような少年は確かに、魔物の攻撃を躱して立っていた。


 ――――いや、という表現は些か語弊がある。零斗はあらかじめ魔物の動きを読み、攻撃が来る位置から離れただけにすぎない。


「『クル』で始まる鳴き声の時、お前は毎回前方から攻撃してきた。念のため、しっかり確認したからな。そんで、いつ攻撃されるか、どこに来るか。そこまで分かってればわざわざ見てから避ける必要もねえ。…………あとそこ、踏んだら痛えぞ?」


 ニヤリと、まさにそう表現するのが正しい笑みと共に、魔物が踏み込んでいる地面を指さす。


「――――俺が即興で書き込んだ『転移』の魔法陣があるからな」


 刹那、地面が光ったかと思うと、円状に魔物の腕が抉られたように消失する。

 突然の光に困惑していた魔物が痛みを認識した瞬間、初めて予備動作以外の声を漏らした。

 

『グォァァァァッッ!!』


 魔物が踏んだのは、本来遺跡を脱出する際の『出口』として使われるはずの魔法陣を、零斗が改造して、踏んだ対象の魔力を強制的に吸い上げてどこかへランダムに飛ばすというもの。


 ただし、安全機構を一切書き込んでいないため、このように体の一部だけを飛ばすという危険極まりない代物になっているのだが、生憎零斗にとっては全く関係のない話である。


「攻撃が単調すぎんだよ。お前、バカみたいに強いと思ってたが、まさか本当に馬鹿だったとはな」


 先ほど手をついたときに、零斗が剣の切っ先を使って魔法陣を書きこんでいたのだが、それに全く気付かなかったらしい。魔物とはいえども、そのくらいは警戒するかと思って、わざわざ諦めた雰囲気を装っていたというのに無意味だったようだ。

 

「さてと、媒体を使ってない上に超手抜きの魔法陣だ。魔力効率は最悪だろうが、見たところお前の魔力は無尽蔵っぽいし関係ないよな?」


 そう言って、再び魔法陣を書きこんでいく。


 安全機構を取る付ける必要もなければ、魔力をショートさせないために綺麗に描く必要もない。魔法陣の暴走を逆手に取っただ。


 しかし、ずっと怯んでいる魔物でもない。すぐに平静を取り戻して動こうとしている。


『……クゥゥ……』

「させるかよ」


 『激痛』を即座に抜き出して、今度はやや深めの傷を左腕に付ける。すると即座に感覚が研ぎ澄まされ、先ほどよりも、さらに多くの情報量が視界に飛び込んでくる。


 ――――足がやや自分から見て左に偏っている。そして鳴き声は『クウ』で始まった。間違いなく左から攻撃される。


 それだけわかると、既に若干前のめりになっている魔物を尻目に、遅くなった時間の中で極限まで力を足に込め、前に踏み出す。

 まるで液状の鉛が全身に纏わりついているかのような感覚に襲われたが、それでも意地と気合で体を動かす。


 筋肉が割けるような音が聞こえるがどうせ『回復』で治るので無視だ。


「……うおぅらッッ!!」

『グルッ!?』


 今度は正真正銘、零斗は魔物の攻撃を。それと引き換えに肉体性能の限界を遥かに超越した動きで足は砕け、全身の筋肉がズタズタだ。


 だが、魔物はまたも自分の書いた『転移』の魔法陣によって体の一部を失っていた。


 これで二度目。四本ある腕のうち二本を奪うことに成功する。

 圧倒的な戦力差がある中で、ただの人間である零斗がここまでの戦果を出したことは、誰かがこの場に居合わせたなら言葉を失う程の偉業。


 しかし、ただ黙ってやられる魔物ではない。


『――グゥォァァァァッッ!!』


 ビリビリと零斗の体だけでなく、この開けた空間の全てを震わす咆哮を上げると、失った手足を再生し、さらに魔物を覆う靄の中から幾多もの棘を生やし、より禍々しい姿へ変貌を遂げる。


 地を踏みならし、もはや一切の加減はしないという強い意思が伝わる。


 しかし、それでも零斗の顔に焦燥といった類の表情はなく、ただ冷静に鋭い、相手を見定める目があるだけだった。


「漸く本気出したか? ……だが、もう


 ――――の魔法陣を書きこむ。


 すると、今までに書き込んでいたものと合わせ、が輝きだし、光の筋を互いに結び付け合う。

 

『グルゥッ!?』


 突然の事態に魔物が驚いたような声を上げるが、零斗が言った通り、今更気づいても遅い。


 魔法陣の輝きが消えた瞬間、魔力の流れが竜巻の如く吹き荒れ始める。それに伴って、魔物が唸り声をあげて苦しみ始めた。


『ガ……ァグァ……』


 今しが零斗が書き込んだ魔法陣は、近くに存在する魔法陣と共鳴して、範囲内に存在する全ての“魔力を保有する物質”から、強制的に大気中へ魔力を放出させるもの。


 書き込みが終わった瞬間に起動するため、術者も巻き込まれる上、魔力という生命力と密接に関係するものを全てを吐き出しては無事では済まない。


 故に、本来なら自爆覚悟の有用性に欠ける式であったが、それも魔力を一切持たない零斗には全くの無関係である。


「……お前がここに来た時から、既に準備は始めてたんだよ」


 端から正面から勝てないと判断した時点で、零斗には真っ向勝負で勝つつもりなど毛頭なかった。最初に何度か攻撃を受けたのはパターンを割り出すためであり、隙を見つけるためでしかない。


 そして、その末に魔法陣を書きこむ隙を見抜き、『転移』を応用した攻撃で魔物に安易に攻めさせず、慎重に、この瞬間だけを狙って計算していた。


「いくら馬鹿みたいに魔力量があったところで、『回路』の性質上、にあるわけじゃない。生憎、俺には魔力を吸い上げられる感覚ってのがわからねえが、きっと最悪な気分だろ?」

『ガァァァッ』


 魔力を使い切っても死にはしない人間と違って、魔物にとっての魔力とは生命力そのものだ。それを全て吸い出されるということは、言うまでもなく“死”を意味する。

 おそらく魔物は死にゆく中でこんなことを考えるだろう。


 なぜ圧倒的格下であるはずの零斗に負けたのか、と。


 そして、それに敢えて、答えるとしたらこうだろう。


「――――舐めすぎなんだよ」


 心底蔑んだ目で、零斗は魔物を見つめる。


 確かにこれほどの実力差。真っ向勝負で挑んでいたら、きっと零斗が瞬殺されて終わっていただろう。

 力で勝てず、反応速度で勝てず。まさしく塵のごとく自身の肉体は消し飛ばされていた。


 ――――だが、そんなのは、城に居た時から何も変わっていない。


 何度も力の差を見せつけられ、その度に心を折られかけ、それでも何とか彼らに近づく術を模索し続けてきた零斗にとって、こんな状況は今に始まったことじゃない。


 自分は、何度でも倒されるたびに立ち上がってきた。その強さをこの魔物がみくびっていただけにすぎない。

 

「……じゃ、黙って死んどけ」


 そうして、魔力の大部分が搾り取られ動くこともままならない魔物の首を、零斗が『激痛』の剣で切り落とした。

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