第12話 ハロー地獄

 撫でるような優しく、穏やかな抑揚で、初めてロマノフは零斗を罵倒した。


「なぁ、零斗よ。貴様らを召喚するのに、何が必要だったか知っているか?」


 天井を、その先にある空を仰ぎ見るかのように、ロマノフが何かを憐れむような目で見つめた。


「……。それが貴様ら、勇者を召喚するのに要した代価だ。我が国の民が、これから生まれる命の安寧を願って、自ら捧げてくれた犠牲者の上に貴様らは立っている」


 零斗は言葉を失った。


 ――――だが、直後に放たれたロマノフの言葉に思わず目を見開いた。


「――――とはいえ、そんなのははっきり言って、

「……何、だと?」


 気づかないうちに、零斗は爪が食い込み、血が滲み出るほどに拳を握りしめていた。

 何を言っている――と零斗が言うよりも早く、ロマノフが続ける。


「民は国のためにあり。国は我のためにあり。そんなのは至極当然のだ。自ら命を捧げるなど、我には到底理解ができぬ行動だが、なんにせよ大いに役に立ったことだけは認めよう」

「……お前ッ! 自分のために身を差し出した彼らを冒涜する気かッ!」

「冒涜? 生憎、民が王のために尽くすのはだ。我はただ事実を述べただけにすぎん」


 何を当たり前のことを言っているのかという表情をするロマノフ。その顔からは本当に、微塵も自分の考えに疑いを持っていないのが伝わってきた。


 ……鎖に縛られず、牢に入ってなかったら間髪入れずに自身はロマノフを殴っていた。

 そう確信できる零斗を他所に、ロマノフが両手を仰々しく広げ、なおも続けた。


「かくして、我は、勇者を手に入れたッ! 魔王を倒すなど、ただのにすぎん。我はいずれこの最強の力を使って、世界をわが手中に収める。――――そのためには零斗。貴様は邪魔なのだ」


 夢物語を喜々として語る子供のような表情から一転。零斗にロマノフが蔑んだような目を向ける。


「黙って戦闘の鍛錬だけしておれば良いもの、貴様はどうやら勘違いをしていたようだな? 我が貴様のような、魔力も持たない『無加護』を城に置いてやっていたのは、使い捨ての駒くらいにはなると判断したからにすぎん。事実、騎士くらいの動きはできていたようだからな」


 ――――“だが”、とロマノフは続ける。


「心底失望したぞ零斗よ。駒に“知恵”などいらぬ。一月の間、何やらに精を出していたようだな。自身の役割も理解できない無能に用はない」

「どうでも良い……だと……?」


 この一か月間、確かに零斗は戦闘技術にさして固執していなかった。


 しかし、それはあくまでただ諦めたわけではなく、自分なりにやれることを模索した結果だ。手を抜いたわけでもない上、他の技能は人並み以上に身に着けた。それも全力で。

 それを今、この男は何と宣った――――? 


「そうだ。お前に駒以上の価値はない。無駄な努力、ご苦労だったな。だが、それもここまで。貴様は――――とする」


 零斗の中で、何かが崩れていくような感覚がした。


 無理やり連れてこられた世界で、ありもしない能力を期待されて、勝手に見捨てられたから努力して期待に応えようとしたのに、その在り方すらも、この男はいとも容易く否定するというのか。



 ――――こいつは一体、『人』を何だと思っているのか。


「フッ。精々、その日まで祈りでも捧げていくんだな」


 驚愕と絶望のあまり言葉を失った零斗を、ロマノフは鼻で嗤うと零斗の前から立ち去った。


「……僕は……一体、何のために頑張ってきたんだ……?」


 ロマノフが立ち去った後、虚しさに満ちた呟くを零斗が溢す。


 別に、強さを認められたかったのではない。


 ただ、他の勇者達、また、魔王を倒そうと志す者らの力になろうと、勇者らしく強くなろうとすることすらも諦め、地味で、誰からも評価されないが、役には立つように死力を尽くした。


 しかし、それもただの通過点だと告げられた挙句、自身の存在意義すらも否定された。


 おまけにその果てに得たものは何だ? 

 

 ――――国外追放、それだけだ。


「……クソッ……何で……だよ」


 思わず嗚咽が漏れそうになる。泣きたくなどないのに、雫が頬を伝う。

 ここにきてから一度も弱音も、涙も見せたことのない零斗が、初めてすすり泣いた。



 翌日。いつの間にか眠っていたらしい。

 零斗が体を起こすと、外には自分の良く見知った人物が二人立っていた。


「……やぁ、颯と新城さん。ここで何してるの……?」

「――何してんの、はこっちのセリフだよッ! お前、何で牢屋なんかに入れられてるんだよッ!」


 虚ろな目でこちらを見つめる零斗に、颯が思わず叫ぶ。

 

「いやぁ、どうも僕は国王暗殺しようとしたらしくてねぇ」


 ――――ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながら零斗が返す。


「んなことは知ってるッ! 俺が言いてえのは、お前がそんなことするわけねえってことだ」

「灰瀬君……本当のことを話して。私も桜井君も、友達がこんな目に遭って黙ってられないよ」


 颯はともかく、珍しく咲夜も怒りを露わにしている。


 ――――ね。


 零斗がその響きに、果たして自分なんかがそう呼ばれて良いのだろうか、等と思いつつ答える。


「――――いや、間違いじゃない。僕はロマノフを殺そうとした。それが真実だよ」


 神妙な声色で零斗は言った。


 ――――あの日、ロマノフに真実を告げられてからすべてがどうでも良くなった。

 どれだけ自分が血のにじむような思いをしようとも、彼らは評価してくれない。見向きもしない。 

 だから、もうなんでもいい。


 しかし、まだ友人を危険な目に巻き込むわけにはいかないという思いは残っている。


 ここで真相を話せば、颯も咲夜もほぼ必ず真相を知った者として何らかの形で巻き込まれるだろう。それだけは断固として避けなければならない。


 その上で発した言葉だったが――。


「――――零斗、さ。気づいてないかもしんないけど、お前って嘘をつくとき、必ず声のトーンが一個下がるんだよ」


 颯の言葉に零斗が思わず顔を顰める。

 それを見た颯は顔を俯かせて、ただ格子の一本をつかみながら声を震わせ、呟く。


「……そんなに、俺たちが信じられないかよ。かよッッ! ……なぁ、零斗。お前にとって、俺らって何なんだ?」

「……ッ!」


 颯の言葉が深く、零斗の胸に突き刺さる。


 そして、理解してしまった。


 ――――ああ、かと。


「俺らさ。何かあった時に真っ先に零斗を守れるようにしようぜって、ずっと頑張ってきたんだ。……だけどさ、当のお前が助けを求めてくれなくちゃ、俺らは何にもできないんだよッッ!!」


 悲痛な叫びに零斗の中で辛うじて形を保っていた何かすらも、少しずつ欠けていく。


 ――――この間抜け自分は何度同じことを繰り返せば学ぶのか。


 こうして彼らは何度も救いの手を差し伸べようとしてくれていた。それを振り払ったのは紛れもなく自分自身だ。


 結局、誰かの救いになろうと、独りよがりでもがいた結果――――颯たちの思いさえ踏みにじった。


 ……あの時、本当に自分が取るべきだった選択は自己犠牲ではなく、助けを求めるべきだったのだと。親友の一言で深く理解する。

 だが、もはや引き返せない。後悔しても何もかも取り返しのつかない所まで来てしまっている。


(……引き返せる場所はいくらでもあったはずなのにね)


 ――――それでも、ここまで来たからには突き通すしかない。


 半ばこれは、最初で最後に零斗が見せるだ。


 願わくば、、と零斗は心を固く閉ざして颯に応える。


「――――二人に、何が分かるんだ?」


 ギリギリと締め付ける胸の痛みに耐え、続ける。


「あぁ、二人にはわからないだろうね。最高の環境で鍛錬出来て、誰からも尊敬されて、思う存分活躍出来て、さぞ楽しい日々だろ?」


 ……自分は知っている。二人が合同での訓練以外に、勇者の中で二人だけが欠かさず自主的に鍛錬を積んでいることを。

 だが、今だけはと、歯を食いしばって耐える。


「……零斗……てめえ、何を……」


 颯が困惑しているのを見て見ぬフリをし、精いっぱいに軽蔑の眼差しを作って、冷たく突き放す。


「――――はっきり言って、迷惑なんだよ。弱い僕を庇って、正義のヒーロー気取りか? 反吐が出る」

「灰瀬君ッッ!? いくら何でもその言い方って……!」

「……いや、新城。良い。よくわかった」


 俯かせていた顔をあげて、颯が咲夜を制止する。

 そして、零斗の方を一瞥し、吐き捨てるかのように言った。


「……その言葉、忘れんなよ。いつか、お前をそこから引きずり出して謝らせてやる。だが、それでお前と俺たちの関係は最後だ。――――俺はもう、お前をダチとは思わねえ」

「桜井君までッ! 二人とも、それでいいのッッ!? ずっと友達だったんじゃないのッ!?」

「良い。これはが選んだことだ」


 どこまでも冷たい眼差しをしたまま颯がその場を去ってしまった。

 そして、残された咲夜が零斗に声をかける。


「ねえ、あの言葉、本心じゃないよね?」

「は? 何を言ってるの新城さん。思い込みで物を言うのはやめてくれないかな? ってか、早くどっかに行ってくれないかな。見てるだけで気分が悪くなる」

「……そう。あくまで、そういうつもりなんだね。わかった」


 依然として冷めた目を向ける零斗に咲夜が呟くと、颯とは対照的に今にも泣きそうな表情を見せて振り返り、颯の後を追うようにその場を去っていった。


「……ごめん。でも、僕には――――この方法しか思いつかなかったんだ」

 

 自身に言い聞かせるかのように、届くことのない謝罪の言葉を二人に呟いた。


 ――――次があるなら、今度はもっと別の方法を模索しよう。


 そんなことを胸にしながら、虚空を見つめた

 


 数日後、零斗は牢から出され、手枷をかけられて目隠しをされた。

 いよいよ、国外追放とやらがなされるらしい。零斗の周囲に複数の気配がしていた。


 しかし、視界を奪われ、無理やり連れられる感覚は思いのほか恐怖感を煽った。途中何度も躓き、その度自分を囲む者らは馬鹿にしていたが、そうやって笑っている連中は一回目隠しして、このバリアフリーの「バ」の字もない城内を歩いてみてほしいものである。


 そんなことを思いながら連れられていると、空気が変わったことから、どこかの部屋に入れられたということが分かった。

 

「……さて、貴様ら、必要なものは持ったか?」

「はっ、こちらに」

「では良い。行くぞ」


 必要な物という言葉に、零斗が僅かに首をかしげる。


 これから囚人を国から追い出すだけなのに何か必要になるのだろうか。しかし、その疑問は目隠しをしているため解決されないまま終わった。


 パキっと例の音が鳴ると共に、目隠ししていても分かるほどの強烈な閃光が部屋を満たす。


 またしても空気が変わったことから、すぐに零斗は転移させられたのだと理解し、周囲を警戒する。


「……もういいですよね。目隠しと手枷外してくださいよ」


 零斗がそういうとすんなりと拘束が外され、視界が開けた。


 見たところどこかの洞窟のようだが、暗いためにあまり周囲の様子が分からない。ここからどうしろというのかと言いたくなったが、山脈や砂漠、凍土といった極限の環境に放り出されなかっただけマシかと思い、手枷の嵌められていた手首を回して、歩き出そうとした。

 

 ――――その時。


「……抑えろッ」


 突然の声と共に、零斗を囲っていた者達が壁に彼を叩きつけて押さえつける。


「何するんだ! もうこれで僕に用はないはずだろッ?!」

「……これから、『無加護』のを執行する。全員、構えよッ」


 すると、零斗の前に剣を持った騎士が四人。構えを取る。見るとそれぞれ異なった剣を握っている。


「な、国外追放が僕の処刑じゃないのか!?」

「陛下の暗殺を試みた貴様を生かすはずがなかろう? おまけに――――真実を知った貴様には生きていてもらっちゃ困るのでな」


 その一言に零斗の表情が凍り付く。


「……やれッ!」

「「はッ」」


 掛け声がかかると、一斉に剣を構えた騎士が、零斗の四肢に切っ先から壁諸共突き刺す。


 今まで感じたことのない激痛に思わず零斗は、喉が張り裂けんばかりの絶叫をまき散らた。


「――――がァぁぁぁあああぁぁッッッ!!!!」

「それらの剣は昔から城にあったが、その能力故に我々はこいつらを常々持て余していてな。……が、今こそ効力を発揮する時だ。痛みを倍増させる剣『激痛』正気を失わせる剣『錯乱』時間の感覚を崩壊させる剣『時壊』どんな傷も切れば癒す剣『回復』――――まぁ、最後のはせめてもの情けだ。精々長く苦しみ足掻け。これがお前に対する、陛下からの手向けだ」


 最後に格の高そうな鎧を纏った騎士がそういうと、零斗を除くその場の全員が懐から魔法石を取り出して砕いた後、姿を消した。


 後に残されたのは激痛にもだえ苦しむ零斗と、響き渡る叫び。


 とめどなく流れ出る自分の血液と、即座に傷を塞ごうとする『回復』の剣。脳が拒絶するほどの倍増させられた『激痛』に、今まで封じ込めていた感情のすべてを根こそぎ引きずり出してくる『錯乱』、一秒が数時間にさえ感じられる『時壊』。それら全てが零斗に襲い掛かる。


 耐えきれずに狂気に呑まれそうになる度、ふっと思考がクリアになったかと思えば、再び全身を蝕む激痛。


 それから、まさに地獄の具現とも呼べる日々が始まった――――のだったか。





 ――――どうやら、夢を見ていたらしい。

 『回復』の剣を引き抜いて、重い体を起こす。


「――――上手くいったらしいな」


 そんな日々に自ら終止符を打ったは、今、目覚めようとしていた――――。

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