第10話 変化

 それからまたしばらく経った頃。

 定期的に魔物の出現する遺跡に調査目的で城の学者たちが向かうらしいのだが、その際、野営などの知識がある零斗が同行させて欲しいと頼み込んだところ、城の雑用を十日分こなすことを条件に許可された。


「……よろしく」

「……こちらこそ」


 お互いにコミュ障である学者と零斗の間で、何とも言えない気まずい挨拶が交わされる。

 しかし、『学者』というだけあってあまり自身の関心がある対象以外に興味がないらしく、『無加護』と呼ばれる零斗であっても変な目で見ることはなかった。


 悲しきかな、しばらくまともな扱いを受けてこなかった零斗は、自分が久しぶりにまともな人間扱いされたことというだけでちょっとした感動を覚えた。

 といっても、他に同行していた護衛の騎士からはやはり侮蔑の混じった目で見られていたが。


「さて、行きましょうか」


 そう言って学者が懐から淡い青色に輝くガラスのような小石を取り出した。


 『転移』の魔法陣起動用の魔法石である。

 使い捨て、かつ、紐づけした魔法陣の中で砕かない限り効果を発揮しないという制約が付くが、魔力の消費を大幅に抑えられ、詠唱も不要になることからよく使われる。


「では行きますよ」


 零斗の問いに学者が端的に答えると、持っていた魔法石をパキっと子気味の良い音と共に砕く。

 すると、足元の魔法陣に光が流れ、零斗達の身を包んだかと思うと、一瞬にして輝きを増し、魔法陣の内部にいた者達の姿を消し去る。


 ――――そういえばこの世界に来た時もこんな感じだったな。


 零斗が感慨深げにそう思うと共に、自分たちは異世界に来たのだと改めて実感した。

 

「……着きました」


 そう言われ零斗が辺りを見渡すと、草木が生い茂る森の中、そびえたつ崖にぽっかりと大きな入り口が空いてるのが目に入った。


 それは明らかに自然によって作られたようなものではなく、四角くレンガのようなもので入り口が縁どられ、両脇には火を灯すための柱らしきものが立っている。

 

 誰が何のために作ったのか分からないくとも人工的に作られた形跡のある洞窟は、この世界では総じて遺跡・・に分類される。

 さらにそこから、明らかに侵入者を排除し、殺傷する意思の構造になっていたら迷宮・・と分類される。俗にいう“ダンジョン”というやつである。


 今回の調査は、『遺跡』を『迷宮』に区分すべきか判断するという内容である。計画通り進めば、二日で終わる程度の規模だ。

 

「ん、持ち物問題なし。後は緊急用の転移魔法陣を書いて、と」


 零斗が手際よく遺跡に入るための準備を進めていく。

 自分自身は魔法が使えないため、発動の際の魔法石と紐付ける作業は騎士の一人に頼むが、それ以外は全て零斗によって行われる。


 慣れた手つきで、式が複雑かつ書き込む量が膨大なために覚えている者が少ない魔法陣を、淀みなく書いていく零斗の姿に、騎士の中から感心したような声が漏れる。

 


「――――これで、準備は整いました。いつでもいけますよ。あ、それと、騎士さんの中から一人か二人、外で待機する人を選出してください」

「……別に必要なくないか?」


 そんな声が上がった時、冷たい口調で零斗が返す。


「……避難用の魔法陣が消えて、何かあった時全滅したいならそれでもいいですよ」


 外で待機する人間は、主に不審な人物が入らないようにすることと、野生動物に魔法陣が消されたりしないように守る、一見地味ではあるものの極めて重要な仕事である。


 昔、零斗の言ったことが現実になって、調査隊計“十七人”が全滅するという悲劇も起こったくらいだ。それを考えれば、いかに待機役が必要なのかわかるだろう。


 零斗の言葉に騎士たちから喉の鳴る音が聞こえ、二つ手が上がった。


「物分かりが良くて助かります」


 ここに来てからの過酷な生活を送るうちに、すっかり逞しくなった零斗の笑顔に、若干騎士と学者たちは引き気味になりつつ、一行は中に入っていった。



 ――――それから、予定通り二日経過した頃、地上に戻ってきた騎士たちは複雑そうな顔をしていた。

 自分たちが『無加護』と小馬鹿にしていた零斗が、間違いなく最大の功労者だと言える活躍っぷりだったからだ。


 的確な判断に、手際の良い野営準備。携帯食といえど、活動するのに必要な栄養バランスに富んだ食事の用意。

 どれを見ても、とてもここ最近のうちに身に着けられるような知識、技術とは思えないものばかりだった。


 それを可能にした、零斗の尋常ならざる努力を想像し、同行した騎士はもちろん、学者さえも感服の一言だった。

 

「……あいつ、『無加護』って言われてるけど、本当に加護ないんだよな……?」

「どうだろうな……」

 

 そんな彼らの疑問も無理はないだろう。確かに、彼らの思う通り、普通ならば一か月で使い物になるほどの腕を身に着けるのは難しい。


 ――――だが、忘れてはならない。日本にいた頃、高校二年生の一学期終了時にして、“自力”で高等教育を文理問わず『全範囲』を修めるという離れ業を行った前例を。


 試験でも常に上位にいることから、身に着けた実力が本物であることが示されており、その集中力と記憶力から生まれる要領の良さは計り知れないものがある。


 しかし、それ以上に、ここにいる時と同様、寝る間も、食事すらも省いて、ただひたすら没頭するという集中力はそれこそ『加護』に匹敵する次元なのだが、零斗が日本にいた時を知らない騎士たちは、そんなことは思いもしないだろう。


 そして、彼らのそんな複雑な眼差しを背に、ふらふらとした足取りで、遺跡の調査に同行した報酬である『大浴場の使用権』をさっそく行使するべく、零斗は大浴場へと足を運んだ。


 大浴場へ行くと、そこには顔の知れた先客がいた。


「……あ? あぁ、誰かと思えば『無加護』の零斗さんじゃねえか」


 ――――葉山真司。なぜかは知らないが零斗を目の敵にして、勇者の中で『無加護』と零斗を嘲る筆頭である。


 こんな疲労している時――――ましてや城でもできれば会いたくない真司がいたことに、零斗は自身の運のなさを嘆いたが、それどころじゃないほど初めての遠征で疲れていたため、さっさと入って済ますことにした。


「……無視かよ。『無加護』の癖に。ところで何でお前が大浴場を使ってんだ? ここは一部の人間以外の使用禁止のはずだろ。それとも何か? ロマノフに土下座でもして使わせてもらったとかか」

 

 聞いていても不愉快なだけなので無視しつつ、シャワーらしきものに手をかける。この世界にもシャワーがあるのかと感心しながらも、零斗は自身に付いた汗や土埃を流し始めた。


 その間、なにやら真司が何やら不満気な表情で零斗を見ていたが、かまわず石鹸で体を洗う。

 そして、泡を洗い流した後、待望の湯舟へと浸かる。


「はぁ……久しぶりのお風呂だ……」 


 ここにきてからというもの、冷たい水を浴びて、布で擦って汚れを落とすだけという入浴と呼べるか怪しいものしかしてこなかったため、しばらくぶりの風呂に思わず気の抜けた声を零斗が漏らした時だった。


「――――おいッ!! 無視してんじゃねえよ!」

「……ん、ああ、葉山君、だっけ? ――――?」


 零斗からしてみたら数か月振りの湯船だ。それを毎日堪能していて、あまり言いたくないが自分の苦労も分からないような者に邪魔されるというのは、気分の良いものではない。

 加えて疲れて苛々していたこともあり、つい調で答える。


 だが、自分のミスに気が付いた時には既に手遅れで、真司は無言で零斗の元まで歩いていくと、首をつかみ上げ風呂から引きずり出し、軽々と零斗を床へ放り投げた。


「かはッ…………」

「――――なんだぁ? 聞こえねえなあ、もう一回言ってみろよ」


 無機質な、だが確実に怒りと屈辱を灯した目で真司が零斗を睨みつける。

 立ち上がって露出した肉体は加護の影響なのか、はたまた訓練の賜物か、かなり筋肉質になっており、そのガタイだけでもそこら辺の小心者なら怯えるだろう。


 しかし、零斗にそんな様子は一切なかった。


 それどころか数少ない気を落ち着ける機会さえも奪う真司の行為に、日ごろ零斗が心の奥底に押しとどめ、封じ込めている感情が噴出しかけていた。


 ――――自分をどこまでも見下したような目。同郷の仲間にも関わらず……それ以上に立場は同じはずなのに、容赦なくぶつけられる悪意。

 


 ……なぜ、ここまでの仕打ちを受けなければならないのか。こっちはいわば巻き込まれただけの一般人。無能だと蔑まれるような謂れはない上、本来なら期待されること自体がお門違いという物だ。

 それでも、何とか期待に応えようと、自分なりに足掻いているのがなぜわからないのか。

 

 ――――何かが、胸の中から零れ落ちた。


 普段、零斗が自身に忘れろと言い聞かせている、明確なという負の感情が初めて表面に出た。


「……君は良いよね。急に手に入れた力で贅沢三昧。――――おまけに毎日違う女性の使用人を部屋に入れてるみたいだしね。さぞ楽しい異世界ライフを満喫だろうと察するよ」

「なっ、なんでそれを……いや、そんな覚えはねえな。つかなんだよ、その反抗的な態度はよぉ? 上にあることないこと言って城に居れなくさせてやってもいいんだぜ?」


 ――――三流悪党が言いそうなセリフを、よくもまあ、こんなに恥ずかしげもなくこうポンポンと言えるものだ。


 ゆらりと零斗が立ち上がりながら静かに呟く。


 そして、幽鬼の如き足取りで真司の元へ歩み寄っていき、彼の目の前で立ち止まった。

 何か様子のおかしい零斗に真司が若干怒りを忘れ、彼の顔を覗き込む。その時、真司は背筋を虫が這うような感覚を覚えた。


「――――こっちはな、のにも死に物狂いなんだよ。毎日気楽に訓練と称したお遊びをしてるテメエにそれが分かるか?」

「…………ッ!?」


 日頃城で訓練しているだけの真司にとって、ここまで明確で濃密なをぶつけられるのは初めてのことだったのだろう。

 実力差は圧倒的だというのに、零斗の殺気だけで彼の先ほどまでの威勢はどこかへ行ってしまった。


「わかったらさっさと退いてくれないかな。少し浸かれば望み通りさっさと出てくからさ」

「……そうか、よ」


 そういう零斗に道を譲ると、そそくさと真司は浴場から出ていった。

 それを見て、ひとまず湯舟に使った後、零斗は頭を抱えてため息を吐いた。


「……はぁ。こりゃ、また、禁止事項が増えるパターンかな」


 疲労、自分への扱い、先ほど真司と出くわした時の状況、慣れない環境。

 それらが全て重なったこともあったのだろう。零斗が普段、無意識に心の中で押し殺してきていた感情が、ここにきて一瞬爆発した。


 だが、感情的になったところで何も生まない上、零斗が心配している通り、真司が告げ口して、より自身が不利な状況になる可能性がある。


 珍しく、考えなしに動いてしまったことに零斗は自己嫌悪に陥っていた。


「あー…………。これ以上縛りが増えたらいよいよ単なる使用人じゃないか……。――――いや、もう寧ろその道を目指してった方が……?」


 思考が迷走しだしたことに気づかず、零斗はその後、しばらく湯に浸かり続けてのぼせかけた。

 

 

 大浴場からの帰り道、時間が惜しい立場なのに無駄にしすぎたと、零斗が自分の部屋に小走りで戻っていると、ロマノフの寝室の方から物音がしてくるのが聞こえてきた。


「……? 普段はあの人ならもう寝ている時間だよね……。念の為に見に行くか」


 ――――何となく、嫌な予感がした。普段から万が一に備え、隠れて所有している護身用の短剣を持っているため、何かあっても対応できなくもないのだが、王室から音がするというのが引っ掛かっていた。

 あの付近は騎士が巡回しているため、その音ではないかと考えたが、まさか騎士たる者が王が寝ている傍で音を立てるような真似をするだろうか。


「……なんだろ。不審者、じゃないといいんだけど」


 自分が行ったところで何になるのか分からないが、最悪の事態に備えて向かうことにした。

 ――――願わくば、何事もなく自分の部屋に戻れますように。

 そんな思いを胸に抱きながら。

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