第5話 帰してください

 閃光が弱まり、零斗が瞼を開く。そして、直後に視界に入ってきた光景に言葉を失った――――。


 

 地面の凹凸さえも区別できない真っ白の地面。太陽も雲も一切ない淡い緑色の空が、大地と地平線で交わっている。


 目につく人工物は目の前にある地面と同じく、現実離れした真っ白の玉座に似た椅子のみ。

 そして、その椅子には、この白い空間で一際目立つ青い髪を棚引かせて、目を閉じた女性が腰掛けていた。


 ――――いろいろ突っ込みたいところがあった零斗だったが、一旦置いておくことにして、真っ先に疑問に思ったことを口に出す。


「――――どこ? ここ」

「……ここはあなたの意識の奥深くです」


 真っ先に思った零斗の独り言に女性が答えた。

 それに思わず零斗は小さくため息を吐く。

 ――これで嫌でも見て見ぬ振りが出来なくなったじゃないかと言いたげな顔で。

 

「……えっと、つまりどういうことですか?」


 引き攣った表情のまま、零斗が答える。


 ――――もしや関わっちゃダメな部類かと、かなり失礼な考えまで浮かび始めたが、待て、と。


 ここだけ見ると、確かに目の前にいる女性から感じるものは、純度百パーセントの胡散臭さと怪しさだけだが、この女性以外にまともな情報源が見当たらない以上、素直に会話に応じておくのが吉ではないかと、辛うじて残っていた冷静な思考がそう訴えかける。


 そう、もしかしたら、これから自分に起こったこと、そして詳しい状況説明がなされるのではないかと、考えを改め、口を開いた女性に、零斗は希望の眼差しを向ける。

 そして、女性の返答はこうだった。


「簡単にいえば、精神と○の部屋のようなものですよ」



 ――――帰っていいですか。そう口に出そうになった。


 なんでそこで、それも神妙な雰囲気を放つ女性からその単語が出てくるのかと、呆れのあまり頭痛までしてきた零斗。


 ……しかし、先ほどこの女性が言ったことを一旦、それも無理やり呑み込むとして、ここは自分の思考の世界。

 そこに入り込んでこられるほどの存在ならば、当然記憶の閲覧も容易に行えるだろう。つまり零斗にとって一番理解しやすい言葉を見つけ、それに置き換えて説明した、と仮定するならば、まぁ完全に納得ができない話でもない。

 そう思った零斗は、やや不本意ではあったが、本格的に会話を進めることにした。


「なるほど。……で、あなたは何者ですか?」

「おっと、申し遅れました。私は『デイフォモス』という、あなたから見れば異世界で――神をやっている者です」

「へぇ……神様か――――――は?」

 

 サラリーマンの名刺交換のようなノリで“神”という単語が出てきたことに困惑と驚きを隠せず、零斗が間抜けな表情で声を漏らす。


「はい、正真正銘の神です。では、早速ですが、灰瀬零斗さん……」

「ちょっと待ってください」

「……はい。どうかしましたか?」


 目を瞑っているのにも関わらず、表情豊かに「何か疑問でも?」とさえ言いそうな神とやらに、もはや敬服の念すら覚えつつ、頭を抱えながら零斗が言う。


「どうかしましたかって……まず聞きたいことが山ほどあるんですけど、話はそれに答えてもらってもからでも良いですか?」


 例えば――――目の前に立つあんたが神だと信用するに値する情報、等と聞きたいことを一気に頭の中で列挙していく零斗。

 しかし、神を名乗る不審者は、その声に首を縦に振ることはなかった。


「――申し訳ありませんが、答えられません。時間がないのです。ただ、これだけは信じてください。私はあなたの敵になるつもりはありません」

「……はぁ、勝手に連れてこられた上に、この状況を呑み込めと、そういうつもりですか」

「……」


 女神は答えない。


 そして溜息を吐きながら、自分の提案を速攻で却下されたことに面白さすら感じた零斗が苦笑いを漏らす。


 ――――敵にならない。

 それは別に味方である・・・・・という意思表示になっていないことを知りながら言っているのだろうか。


 敵を裏返したとて、それは単に敵の敵・・・でしかない。決して味方などと勘違いをしてはいけない。それを理解したうえで話を聞け、とでも言いたいのだろうか。

 ――とはいえ、ここで駄々をこねたところで話が進むわけでもない。

 …………ここは、素直に女性の言うことを黙って聞いておくほかない。

 そう判断した零斗は、改めて女性と向き合う。


「――わかりましたよ。それで神様とやらが、わざわざ僕に何の用ですか?」

「単刀直入に言います。零斗さんには、勇者として『デイフォモス』へ行っていただきたいのです」


 「やっぱりそう来るか」と小声でつぶやき、零斗がため息を漏らす。

 『異世界』『神』という単語を聞いて、半ば予想がついていたため、当たり前のように『勇者』という単語が出てきてもさほど驚かなくなっていた。


 むしろ事の概要が掴めてきたところだ。

 つまりは、この神は自分に典型的な――“異世界転生”をしろと言っているらしい。


「あ―……。なるほど、その異世界に行っては何をすればいいんですか?」


 含みを持たせた言い方で零斗が答える。

 すなわち、どうせ、颯と咲夜も似たような状況なんだろ? と。


 当然だ。

 あの時、不可解な模様に身を囚われたのは零斗だけでなく、近くにいた彼らも同様だったのだから。


「物分かりが良くて助かります。詳しいことは向こうに行ってから説明されると思いますが、簡潔に言いますと、魔王という存在を消して欲しいのです」

「消すとは物騒な物言いですね……。もし、ここで僕が嫌だといったら?」


 返ってくる返事はわかり切っていたものの、念のために零斗が尋ねる。

 何のためにこの空間に連れてこられ、ここまで無礼な態度を取っているのにも関わらず神が全く動じていないのかを考えれば、返ってくる答えは一つしかない。


「――――残念ですが、拒否権はありません」

「……やっぱりそうですか」


 わかっていたとは言え、こうも一方的に話を進められることに不快感を覚えるのは仕方のないことだろう。

 若干、零斗は神を睨みつける――――どうせ気づかれているだろうが、これぐらいの不敬は許されるだろう。


「勇者という存在自体の取り消しは私の力をもってしても出来ません。――しかし、心構えと知識ぐらいは授けることができます。そのためにあなたをここにお呼びしたのですから。」

「と、言いますと?」

「実際にやった方が早いでしょう」


 そう言って女神は何もない場所に手をかざす。すると、虚空から一本の杖が現れた。それを女神が握り、杖の先端を零斗の方へ向ける。


 あまりに自然な動きに、零斗は疑問の声すら上げず、先端を向けられるまで言葉を失っていた。


 しかし、零斗はすぐに我に返り、警戒した目で神を軽く睨む。

 自分に杖を向けているということは何かしてくるという意思の現れでもある。それは明確に“敵にはならないといった”彼女自身の言葉と矛盾する。


「……敵にならないんじゃなかったんですか?」

「――――加護あれ」


 零斗の問いかけには答えず、神が閉じていた目を開き、そう口にする。


 その時開いた彼女の目に、零斗は思わず息を呑んだ。


 まるで夜空の雫を瞳に落としたかのように深い藍色で、白い地面からの光がキラキラと反射して、まさに小さな星空と形容するにふさわしいほどの瞳。


 この世のどんな宝石を集めても、その目の美しさにはきっと敵わないと確信するほどの――――、と思わず見入っていた時、零斗は自分の身体に何かが注がれる感覚がした。


「……っ!? これは……」


 ――――詰め込み教育。敢えて名づけるなら、かつての日本の教育方針がそう呼ばれていたように、これにもそう付けるべきだろう。しかし、今、零斗が味わっているそれは、文字通りの詰め込み・・・・だ。

 全くの未知であるはずの知識が、頭の中に溶け込んでいくかのように入ってくる。しかし、それを不快に感じることはなく、ただ自分の中に何かが入ってくるということを認識するだけだった。

 ――――なるほど、このために杖を出したのかと、零斗はすぐに理解する。


「――――今あなたには勇者としての力を授けました」


 気が付けば神は瞼を落としていた。


「……本当に勇者の力があるんですよね?」

「はい、間違いなく」

「――それにしてはさっきとあまり変わらない気がするんですが……」


 確かに知識といったものが授けられたことは感覚的に零斗はわかっていた。

 だがしかし、勇者というからにはもっと肉体面での変化もあるのかと思っていたが、特にこれといって変わったことなく、試しにその場で跳ねてみても、普段と同じく十数センチほど跳ぶだけだ。

 

「――魔術関係の加護なのでしょうか? ******――」


 聞き取ることもできない言葉を神が発したとき、無数の光の玉が神の周りに現れた。それで零斗の加護について調べているようだったが――――どうも様子がおかしい。


「これは――まさか……。いえ、でもありえないことではないですし……」


 嫌な予感がしていた零斗は意を決して、神に尋ねた。

 

「……あの、僕の加護の内容が分かったんですか?」


 その言葉に、心底、それはもう本当に心の底から気まずそうに神が口を開く。


「貴方の加護は――――《体が頑丈になる》ですね」


 ――――――今、何と言ったか、と零斗が冷静に神の言葉を反芻する。


 確か……体が頑丈になる、と神はそういったか。

 いや、待ってほしい。加護ってそもそもそんな名前なのだろうか。もっとこう、『剣聖の加護』とか、『賢者の英知』みたいな、そんな大それた名前を付けられてもおかしくないはずである。

 ましてや神が直々に授けた物となれば、それでも足りないくらいだ。


 ――――きっと間違いに違いない。そう願望にも近い思いで零斗は聞き返した。


「……えっと、念のためもう一度お願いします」

「《体が頑丈になる》、それがあなたの勇者としての力です」

「――――剣術の達人になれたり、常軌を逸した怪力の持ち主になったり、前人未到の魔法を自在に操れるようになるのではなく、――――ただ、と」

「大変申し上げづらいですが、はい・・。さらに付け加えると、この能力は他の勇者の皆さんもお持ちのようですので、相対的に零斗さん固有の加護はないと考えるのが自然かと……」


 その回答に一縷の希望すら立たれた零斗は、今度こそ膝から崩れ落ちた。




 ――――――ああ、異世界よ。勝手に滅ぶなら滅べ。


 平凡で命の危険など考えもしないような生活を手放して、魔王を倒せとか無理難題吹っ掛けられた挙句、そのために受けた恩恵はなんだといえば、《体が頑丈になる》? 


 はっきり言おう。


 いや、せめて、これが攻撃系ならば、零斗はまだ我慢できた。


 だが――――防御系、てめえはだめだッッ――――!!


 攻撃は最大の防御という言葉はあっても、防御は最強の攻撃なんて言葉がないように、攻撃できなきゃ手の出しようがねえじゃねえかッッ!! 

 しかもそれが大した能力でもないときた。


 じゃあな、『デイフォモス』――恨むなら、そんな加護を寄越した俺の運を恨んでくれ。


 そして、零斗が思考の彼方へ意識を追いやりかけた時、神から声がかかる。


「あ……あの、続けてもよろしいですか……?」


 これまでのシリアスは何だったんだと言いたいくらい威厳のない声で女神が話しかけてくる。それに対し、もう半分どうでも良くなってきていた零斗はそのままの姿勢で答える。


「……どうぞ」

「……こほん。えーと、これから貴方を『デイフォモス』に転生させます。よろしいでしょうか」


 ……この状況がよろしいと思えるなら、きっとそいつの頭がよろしくないだろう。

 ―――――だが、と。

 大きく、おそらく後にも先にも、自身の人生上、最も大きなため息を吐きながら零斗は立ち上がった。


「あー……正直言って、帰して欲しいって言いたいところですけど。――――行きますよ」


 どうせ拒否権などありはしないのだ。ならばいっそ潔く腹くくって開き直った方が早いと、零斗が苦笑いしながら答えた。

 

「……本当に強い人ですね」


 ぽつりと神がそう呟く。

 何の話だと、思わず零斗は聞き返しそうになったが、神が自分を見ながらも、その先のずっと遠くを見据えて呟いたということが分かったので、深くは言及しなかった。


「……期待していますよ」

「……程々に。できる事なら僕以外にそうした方が良いと思います」

「……ふふ、それでこそ貴方です。――――では行きなさいッ、世界を救う者よッ!!」

 

 そして、この不思議な空間から零斗の姿は消えた。


 ……だが、後に残った神はこれから先に起こりうる未来を憂いていていた。


「――――零斗さん。あなたにはきっとこれ以上ない災難に巻き込まれるでしょう」


 デイフォモスで時と空間を司る者として祭られている神――――エーテルには、数多の分岐した世界が見えていた。そしてそれは増え続け、結末を迎えることはない。


 だが、それは永劫に世界があり続けることを意味するのではなく、あくまでも可能性としてずっと漂うだけである。

 その中には当然――――崩壊した未来も含まれている。そして、それら全てを把握するエーテルでさえ、たった今送り出した人間がどの可能性にたどり着くかを知ることはできない。


 あくまでも、過程ではなく結果しか知りえないが、それでもある程度までは“推測”ができる彼女は、これからのあの青年に降りかかる災厄が“見えていた”。

 

「……しかし、あなたはそれを覆せる可能性も持っている。“世界を救う”、それが如何様になろうとも私にできることは見守ることだけです。――――どうか進む未来を間違えないでください」


 そう言い残し、意識の世界から神は姿を消した。

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