第4話 転生と転移

 危険なため、ここに上るものは馬鹿二人以外にいないのだが、今日は違うようだ。それに二人は少々驚き、誰が来たのかと音のほうへ目を向ける。


「あ―……やっぱりちょっと怖いかも……」


 誰かと思えば学校一の美少女と名高い女子生徒、咲夜だった。

 品行方正であり、真面目を装っている(そのつもりはないが)零斗とは違って、根っからの模範的生徒である。

 試験のたびに上位十名の名前が張り出されるが、決まって一番上に書かれる名前は彼女のものだった。


 余談だが、零斗は一通りの知識が身についているものの、特に試験対策をしないため、決まって凡ミスをやらかし五位と六位を行き来している。


 話を戻して、その上彼女は運動神経も良く、部活ではしばしば県大会にいっているらしい。


 そんな彼女がこんな危険なところに来るのは意外だったので、零斗は呆気に取られていた。

 一方で、咲夜と知り合いである颯は普通に声をかけた。


「あれ、新城じゃん。何でこんなとこ来たんだ?」

「あ、桜井君…………と、灰瀬君、だよね? 覚えてるかな、一年生の時一緒のクラスだったよね」


 零斗からして見れば、学校の有名人をそうそう忘れるはずもないが、まさか単なるクラスメイト、それも特に交友関係もなかった自分の名前を憶えているとは恐ろしい記憶力である。

 流石、学年一の生徒は違う。


 急に声を掛けられて、返す言葉を考えておらず、頭が真っ白になった零斗は、とにかく何か返事をしなければと口を開く。


「……多分」

 

 零斗の口を出たあまりに素っ気ない返事。それに咲夜がやや首をかしげるが、すぐに颯がフォローに入った。


「あぁ……悪い、新城。こいつ人見知りが激しいんだ。最初はこんなだけど、慣れてきたら面白い奴だから、あんまし気を悪くしないでやってくれ」


 颯がそう言ったことで零斗の反応に得心言ったらしく、咲夜がなるほどと、呟いてふわりと笑う。それを見ると我が学校にファンクラブなるものが存在することも納得がいった。


 零斗の心臓が撃ち抜かれたような衝撃と共に鼓動が速さを増していく。間違っても顔に出さぬようするのが精いっぱいな程に。

 ――――しかし、次に桃色の唇から放たれた言葉で、一気に零斗の思考は夢心地から現実へと引き戻される。


「大丈夫だよ。……それにしても灰瀬君って、小動物みたいって言われない?」

「――――なッ!!」

「ぶふっっ! 新城、それはダメだって……」


 零斗の最も気にしているところ。身長は四捨五入して辛うじて百七十センチ、加えて若干の幼さが残る丸みを帯びた中性的な顔立ち。

 声変りを迎えたというのに少年と間違われる高い声。

 それらも相まって、ファミレスに行っても、自分だけに渡されるお子様ランチのメニューに、ショッピングモールを歩けば、新人係員に迷子と勘違いされる始末。


 つまるところ、零斗が最も気にしている――――コンプレックスだった。


「え……え、どうかしたの、桜井君?」

「……小動物」


 爆弾を投下した張本人は自分の発言が原因だとは思いもせずに、既にツボに入って転がりそうな勢いの颯と、対照的に地面に「の」の字を書き始めた零斗を、咲夜は困惑した表情で見ていた。


「あー、笑った。零斗。新城でさえこういうんだ。ちゃんと現実を受け止めろよ」

「……うっさい。牛乳は毎日飲んでる」

「えと、何か気に障るようなことを言ってたらごめんね?」


 ひとしきり笑った颯が、まだ若干落ち込んでいる様子の零斗に追撃を浴びせたところで、ようやく咲夜が自分の発言が原因だと考えが及んだらしく、よくわからないという顔をしたまま謝罪した。


「ところで、私も一緒していいかな? お昼まだなんだ」


 柔らかく微笑んだ咲夜に、零斗は再び鼓動が早まるのが分かった。そんな零斗に気づかずに、颯は平然と許可を出す。


「ああ、別にいいよ。お前もいいだろ?」

「……」


 零斗は無言のまま頷いて同感の意を示す。そして、そんな二人を微笑ましいものを見るかのような目で見届けた後、咲夜はお弁当を食べ始めた。


「――――おい、零斗。なに照れてんだよ」


 弁当を食べていた零斗に、颯が耳元で囁く。


「……別に照れてなんかないよ」


 颯の言葉に対して、短く零斗が答える。

 ――――確かに、咲夜の動きに心ときめかないと言い切れば嘘になる。だが、その一方で、零斗は立場を弁えてもいた。

 その考えは、ふと颯の方を見ると一層と強まる。


 小さい頃、親の都合で引っ越していった颯は、当時から女の子からモテていた記憶がある。それが偶然、この高校で再開を果たし、成長した彼を見た時は、思わずすげえとこぼしそうになったことを、未だに零斗は覚えている。


 高い背にスラリとした長い手足。日本人で金髪にしている者は総じてチャラく見えることが多いが、父親がイギリスだかの海外出身でそっちの血も継ぐ颯は、堀が深い顔立ちをしていて、元々髪の色素が薄かった彼は、むしろ金髪がよく似合っていた。


 さらに、颯は長期休暇になると両親と海外旅行をすることが多く、英語をネイティブ並みに使いこなし、ドイツ語や中国語などの他の言語もある程度までは話せる上、咲夜以上に運動ができるときたものだ。零斗には劣るものの、人並み以上には勉学にも秀でており、正直言ってモテない理由がない。


 普段近くにいる零斗に彼の連絡先を聞く女子もいるくらいだ。零斗にしてみれば、羨ましい気持ちがないわけでもない。


 しかし、それが恨めしいかと聞かれれば違うと断言できる。むしろ、彼が自分の友人であることが誇りであるくらいである。

 ――――同時に、颯のような存在が身近にいるからこそ、零斗には強くわかるのだ。彼らは住む世界が違うと。


「どうだかな。って新城、それ美味そうだな」

「ああ、これ? 良かったら一つ食べる?」

「良いのか? サンキュー!」


 彼らを見ているとそれは強みを増す。自分は咲夜のような人間に心をときめかせておくだけで十分なのだと。

 ――――それは、いわば、主役と脇役の関係。心のどこかでそう理解している零斗にとって、こうして見ているだけで事足りる。

 端的に言えば、縁のない話とでもいうべきか。


「……ん? 零斗、どうした?」

「いや、なんか良い感じだから、僕がいたら邪魔かなぁと思って」


 しかし、咲夜のような美少女と仲良く飯を食べているというのが羨ましいのも事実。嫌味な口調で零斗が颯にそう言いながら撤収しようかと考え始めた時。

 颯はニンマリと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、零斗に答えた。


「……はっはぁん?さてはお前、ヤキモチだな?」

「なっ……別にそんなんじゃないよ」

「――――灰瀬君がヤキモチ? なんで?」


 先ほどから薄々察しのついていたことだが、咲夜はやや天然らしい。零斗が嫉妬していると言われても、なぜなのかさっぱりわからず、やはり首をかしげている。


 今までどうやって人間関係を気づいてきたのだろうかと零斗が疑問に思うが、きっと彼女の人気の高さから向こうが勝手に話を進めてくれていたのだろうとすぐに想像できた。美人というのも考えものである。

 

、じゃないからね?」

「あー、はいはい。そういうことにしておくよ」


 そうは言いつつも颯はニヤニヤしたままである。

 ――――こいつ何も分かってねえな。そう心の中で悪態をつきながらも、零斗は何だかんだこの状況を楽しんでいた。



 以前、まだ零斗が高校に来る以前、その外見をよくからかわれていた。


 そして、それは次第にそれはエスカレートしていき、やがていじめられる理由の一端を担うというところまで行きかけたが、幸いなことに教師に良い人がいたため大事には至らなかった。今でもその人に感謝してもしきれない恩がある。


 しかし、表面上は和解という形式でいじめが止まったとはいえ、自分も周囲のクラスメイトもそれ以来、気まずくなり話すことはなく、そのまま高校に上がったという経緯もあり、友人と呼べる存在は全くと言っていいほど、いなかった。


 常に上っ面だけ笑って、知り合い未満の者に適当に話を合わせ、空気のように振舞うだけの日々。

 多感な時期だったこともあり、零斗の性格はそこで大きく形成され、完全な卑屈にはならなかったものの、どこか捻くれたものになってしまった。


 その後、高校に来てからまたいじめに近いことが再発するのではないかと身構えていたが、一年生の時にも別段、いじられるようなことはなく、二年になってからはこうして颯とも再会し仲良くしている。


 そんな何気ない平凡な日常を過ごす中、この歳になって漸く零斗は友人という存在のありがたさを理解した。


「ふっ、ははは。本当、颯は話が通じないな」

「な、なんだ、急に笑い出して。……もしかして怒った? だったら謝るから笑いながら怒るのだけは勘弁してくれ。普通に怖いから」


 ――――それはそれとしてこの馬鹿は本格的に一度しばくべきだろうか。


 零斗が笑顔の裏に青筋を立て、そんなことを考えていると、突然、身動きが取れなくなった。まるで空中そのものに固定されたかのように指一本すらも動かすことができない。


 何事かと足元に目を向けると――――現実ではまず見るはずがない、しかし、やけに見覚えのあるような幾何学模様が白い光を伴って浮かび上がってきた。


「……っ!? なんだこれッ」


 真っ先に声を出したのは颯だった。そして、それに続くように咲夜も悲鳴に近い声を上げる。


「な、何これ……」


 二人は慌ててその場を離れようとするも、どうやら零斗と同じような状態らしく口元を動かすので精一杯のようだった。


「何なんだ一体……動けねえ……」

「この模様はなに……?」


 近くで恐怖と混乱で言葉を発する二人を見ながら、零斗は冷静に状況を分析し始める。


 ――――落ち着け、こういう状況はこの場の誰よりもと、まず自分に言い聞かせる。


 状況を整理しろ。

 原因不明の拘束の対象は自分も含めた三人。昼食をしていたら、突然、光で描かれた謎の模様が現れた。

 そして、間を置かずに自分たちは一切の動きが取れなくなったと。


 だが、動きを制限されているのはあくまでも抵抗手段を封じるためと。現に脈拍、呼吸、発声、思考は全く問題なし。

 何が起こったかの確認は完了。

 何が起きていることも把握。


 では、次にだ。


 考えろ。この状況に類似しているものから次に起こることをできる限り想定――――。



 あ、あかんやつやこれ。


 理解不能。

 そう零斗が判断を下すまで、およそ一秒半。

 現実逃避すべく、フェードアウトし始めた彼の意識を――――目に入ってきた模様が、待て、と掴んで強引に引き戻す。


 この浮かび上がっている模様。それが零斗の知るアレ・・と酷似しているのは果たして偶然か。もし仮に、零斗が思い描いているものと一致しているのならばこの現象も説明が――。


「零斗、大丈夫か?」


 零斗の理解が及んだ時、颯から声が掛けられる。


「うん、平気。どうすれば抜け出せるか考えてただけだよ」

「そうか……。抜け出せそうか?」

「いや、無理だね。お手上げかな」


 ――――上げられないけど。


 そう付け足し、零斗は相変わらずの軽い笑いを見せる、颯と咲夜もそれをみて不安げな表情が和んだ。

 緊張をある程度解せたところで、零斗は自身の確信にも近い推測を口にする。


「でも大体はわかった。この模様。――――信じられないけど、これがだとすれば、この変な状況も説明が付くと思わない?」

「……ッ!? 零斗、この状況でよくふざけられるな?!」


 零斗の発した突拍子もない言葉に颯が声を荒げて反応した。だが、それに対し、零斗は落ち着いたまま答える。


「逆に聞くけど、そうじゃないとしたらこれは一体なんだっていうつもり?」

「そ、それは……」

「ありえないって気持ちは僕も同じさ。――――でも、考えられる理由としてはこれが一番妥当なんだよよ」


 一応、他の可能性も考えてはみた。

 が、どれも、ここにいるでという条件にかけると、自然に除外されていった。


「じゃあ……誰が何のために……?」


 咲夜の呟きに反応するかのように突然三人に耳鳴りがしたかと思うと、その直後、ブツッという電子音のようなものと共にどこからともなく声が聞こえてきた。


《……あー、あー。初めましてこんにちは。まずは唐突な拘束を謝罪しましょう。申し訳ございません》

「「「!?」」」


 やけに鮮明に響いてきた声に、最初は校内放送か何かかと思ったが、そもそも耳から入ってきたような音ではない。どうしてもおかしな説明になるが、奇妙な感覚だった。


《突然ですが、私はとある世界で神と呼ばれる存在です。あなた達は選ばれました》

「……何言ってんだ?」


 颯が零斗と咲夜が抱いた思いを代弁する。突然神だと言われてもこちらとしては怪しい宗教の勧誘か、頭が極めて残念な人かという認識しかできない。

 そして自称・神とやらはそんな三人の思惑に構わず続ける。


《ちなみに、この言葉はたった今動けない方に向けて話しています》

「……なるほどね。大体わかってきた」

「マジかよ零斗、俺はまだ何が何やらって感じだ」

「私も………」


 零斗は中学生の頃、前述した通り、話し相手が皆無であり、さらに例のあの病気を発症していたため、このような状況に遭遇する漫画や小説を見漁っていた。


 それは殆ど例外なく、主人公やその友人が”異世界”に送られてしまうというもの。さらに、声の言い回しが明らかに今この場にいる三人を特定するものでないことから、きっと同じ状況に陥っている者が他にもいるのだろう。

 

《これから貴方達には、こちらの世界『デイフォモス』でとなってもらいます》

「……は?」

「え?」


 二人が間抜けな声を上げる。

 零斗も予想はしていたが、まさか本当にそんなことが起こるとは思っていなかったため、一人失笑する。


《時間がありません。では――――行きましょうか》

「行くってどこに……うわっ!?」


 颯がすべてを言い切る前に魔法陣・・・が強烈な白い閃光を放った。その突然の光に、辺りにいた生徒たちが目を覆う。

 そして、ようやく異変に気が付き、彼らが騒ぎ始めた頃には三人の姿は消え、給水塔には食べかけの弁当とレジ袋だけが残されていた。


 ――――こうして、この日、地球上からの人間が消えた。

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