第3話 懐かしき記憶
空が白み始め、夜が明け始めたばかりの時間に、風を切るような音が響く。僅かな光を反射して振られるソレは、まるで三日月のような残像を描いていた。
そして音がやんだかと思えば、今度は音の発生源らしき人影が一息吐いた後、忘れていた呼吸を荒々しく再開し始める。
「――――はぁ……はぁ。……んぐ」
持参しておいた水筒を手に取り、一気に喉を潤す人影の正体は、
流石にこの時間、彼の生活する城内は寝静まっているため、颯の周りには誰もいない。
故にこうして人目を気にせず、騎士の演習像である中庭を貸し切って存分に鍛錬をしていた。
しかし、勇者である彼は加護のおかげでこんなことをしなくとも、日ごろの訓練だけで十分に成長できる。
それを敢えて一人で朝練と称して行っているのは、忘れようにも忘れられないある出来事がきっかけだった。
「――あと、三百回ぐらいは振っとかねえとな」
そう呟いて、深呼吸を数度繰り返した後、再び素振りを再開する。そうすることで無駄な思考をすることがなくなり、素振りだけに集中できる。日々、戦闘をする際は平常心が重要だと言われ続けている颯にとって、欠かすことのできない重要な動作だ。
――――しかし、このところ平常心であろうとすればするほど、颯の脳裏にある人物の後ろ姿がチラついていた。
最初のころはそんなことなど全くなかった。
しかし、日が経つに連れて無意識のうちに気がかりになっているのか、だんだんとその頻度は増していく。
素振りの回数が二百回を超えたところで、颯は素振りを中断する。
――――自身の親友がこの地を去ってから、早くも半年以上が経つ。
そのことがずっと颯に重くのしかかっていた。
「……ダメだ。集中出来てねえし、今日はこれくらいにしとくか」
そう言って颯が地面に剣を置き、あらかじめ持ってきていた手ぬぐいで額に流れる汗を拭った。そして、地面に座り込んで一息つき、空を見上げた。地面がむき出しということで、せっかく用意してもらった高価なズボンが汚れるが、そんなのはお構いなしである。
颯が休憩していると、そこへ彼が良く見知った少女がやってきた。彼女はまだ起きたばかりらしく、美しい、意匠の凝った寝巻き姿のままである。ふんわりと女子特有の甘い匂いが土埃の立つ中庭に漂う。
そして、颯の姿を見ると柔らかい笑みを浮かべて、彼に声をかけた。
「早いね、桜井君」
少女の名は
休んでいるところへ声をかけられた颯は、身体をあまり動かさずに顔だけを向けて少女に笑い返す。
「ん。あぁ、おはよ。新城」
二人はこの世界に来る前から見知った中である。故に、以前と同じように話すことが多かった。とはいえ、最近は訓練と座学の頻度が増しており、その機会が減っていたのだが。
そのため、こうして話すのは結構久しぶりのことであった。
「今日も
咲夜が颯の横に座りながら話しかけた。
颯とは違ってパジャマなので、咲夜は汚れが付かないように自身の周りの空気を操作して土埃を払い、接地する部分は魔力で出来た薄い防護壁で覆う。
並大抵の魔法使いならば言葉を失う程の高度な技術だが、加護を持つ咲夜にとって、この程度は剣を振るうよりも遥かに容易いことである。
「あぁ。魔王を倒すためにもっと強くならなきゃな」
「ふふ、そうだね。私も、もっと色んな詠唱とか魔法陣を覚えなきゃ」
「……ははは、こんな会話。日本にいたころじゃ信じられねえな」
まだここにきて数か月だというのに、二人にしてみれば日本にいて学生をしていた頃が果てしなく遠い記憶のように感じられた。それほど、ここで過ごした日々が濃いということなのだろうか。
少なくとも、以前の颯たちではこんな感覚を味わったことはなかった。新しい常識に、新しい知識、どれをとっても新鮮すぎて付いていくのがやっとな日々。それらが楽しいと感じる一方で、どこか寂しさを感じることもあった。
「……剣を振るなんてこと考えたこともなかった自分が、今じゃ魔物を何十頭も切ってるんだからな」
「私も、最初のころは気持ち悪かった魔法を使う感覚も、気づいたら慣れちゃった」
「ん、大体のことは慣れてきたんだよな。――――大体は」
一転して曇った颯の表情に咲夜は、すぐに彼の考えに行きつく。何度も夢じゃないのかと疑った出来事であり、ここにきてから、かつての日本にいたころの記憶がやけに遠く感じる一番の要因。
「――――灰瀬君の、
「……俺は何かの冗談だと思った。……いや、今でも俺はでっち上げだと思ってる。あいつが、あの零斗がそんなことをする奴に見えない」
脳裏に焼き付いて離れない、自分たちの友人の変わり果てた姿。鎖でつながれて独房に入れられた彼に、どう声をかけるべきかもわからなかったあの日。
――――かつて、同じ故郷の仲間であり、颯にとっては親友だった者が処刑されるなど、誰が想像できようか。あまりに現実離れして衝撃的だった出来事は、到底受け入れられるものではなかった。
勇者だったということで、辛うじて極刑は免れたものの、国外追放という二番目に重い刑を科され、『転移』の魔法陣に鎖でつながれて歩かされていた姿はもはや見るに堪えなかった。
「……どうしているのかな、灰瀬君」
「わかんねえ。けど、あいつなら、きっと今でも生きてるはずだ。いつもみたいにへらって笑いながら、何だかんだで生きているはずなんだ」
そう、半ば願望染みた颯の言葉に、咲夜は何も言えなかった。
■■■
「起立。気をつけ。礼」
四時間目の授業が終わり、昼休みが始まると同時に二人の生徒が席を立って、猛スピードで教室から出た。
――――零斗と颯である。
周りの者はまたかと呆れつつも、どこか楽しげな笑みで、走り去る二人を見送った。
周囲の教室にいる者も慣れたもので、四時間目が終わった後は彼らを見送ってから教室を出る始末だ。さて、そうまでして二人が廊下を駆け抜ける理由――――、それは。
「よしッ! 俺の勝ちだな」
「ぜぇ……はぁ……。あ、あのさ、体格差考えてよ……。ていうか、毎回言ってるけど別に早さ競ってないし……」
本校舎の最上階に位置する屋上の特等席。
珍しくこの学校は屋上が解放されているため、自由に行き来することができる。しかし、その中でも彼らが知るとびきりのスポットは、今二人が座っている給水塔の上だった。
気を抜けば落ちそうになることを除けば、柵にも囲まれず辺りを一望できる、この学校一とも呼んで差し支えない場所である。
颯が発見してから昼食時になると二人で一斉に向かうのだが、いつからかどちらが早く着くのかという勝負になっていた。無論、運動神経が抜群に良い颯に零斗は一度として勝てたことはなかったのだが。
「はぁーッ! 気持ちいいっー!」
颯はおもいっきり伸びをして後ろに倒れこんだ。その様子を見て零斗は落ちる心配はしないのかと、苦笑いしながらも颯の横でお弁当を広げ食べ始める。いつも後のことを考えずに突っ走る颯に振り回されている零斗は、こうして颯の横で苦笑いしているのが板についていた。
「いただきます」
「おっ。俺も食うか」
颯も起き上がり、コンビニのレジ袋を広げて、いつも欠かさずに買っているミックスサラダのサンドイッチを食べ始める。何やら颯曰く、健康志向とのことらしいが、はたしてそれが健康に繋がるかと聞かれたら微妙なところである。
そして、サンドイッチを頬張りながら、颯が話しかける。
「零斗さ、今日の数学の時間寝てたろ?」
「……あはは。バレてた?」
その指摘に零斗は、特に悪びれる様子も見せずに笑いながら答えた。真面目そうな雰囲気を出しつつ、しっかりと手を抜くとこは手を抜くというのは零斗の特徴だった。おかげで第一印象だけは良い男という、残念な呼び名が定着しつつあるのだが。
「問題書きながら、先生がお前の方すげえ睨んでたぞ。絶対嫌われてんだろお前」
「――――いや、僕が寝てたのには大事な理由がある」
神妙な表情に切り替わり、真剣なトーンで零斗がそう切り出す。
「どうせ眠かっただけだろ」
しかし、慣れた仲である颯には後に続く言葉の想像が容易にできたため、半目で零斗が用意していた言葉を返した。
「はぁ……。それでなんで毎回試験で上位にいるんだお前……。あぁぁぁぁ、世の中不公平過ぎねえかあああ!?」
颯が外であることも忘れて大声で不満を嘆く。彼は勉強をしても、翌日には半分以上が抜け落ちてしまうため、寝ていてもできる零斗を羨ましいと思っている。
とはいえ、彼自身も平均以上の点は取れているため、決して、絶望的に頭が悪いわけでもない。
問題は近くにできる奴がいるということなのだ。
しかし、零斗とて、本当に理由もなく寝ているわけではない。休日などを利用して一気に独学で全教科の勉強を進めるため、学校の授業が極端に遅れているように感じ、退屈してしまうのだ。
確かに最初の頃は真面目に受けていた。ノートもつけて、発言もそれなりにすることで、教師からの評価は今より高かった。
だが、休日を繰り返すうちに予習しては、さらに予習を重ね、いつの間にか授業の進行を大幅に上回る範囲までやってしまっていた。
気が付いたころにはもう手遅れで、復習までこなしてしまい、授業で学ぶことがないという始末。
そんなこんなで高校二年の夏休みにして高校の教育課程の範囲を終えてしまったため、現在はかなり踏み入った内容を勉強している。
しかし、それが興に乗ってくるとついつい時間を忘れてしまうため、徹夜することも少なくなく、結果として退屈な授業中に意識を失うだけである。
とはいえ、それが傍から見れば怠け者と捉えられてしまうのも、零斗は重々承知してはいるため、そう言われるのもしょうがないと、否定するようなことはしなかった
「まぁ、家でそれなりに勉強はしてるからね」
「そうだなぁ、体育の成績くらいか? あまり良くないのは」
「個人競技はそれなりにできるんだけどね……。集団での運動があんま得意じゃなくて」
「――――つまりは天性のボッチか」
「……それ、言ったのが颯じゃなかったら、今頃張り倒してたよ」
颯がケラケラと笑うのを零斗が半目で睨みつける。
――――失礼な、友達なら両手で数えられるくらいにはいる。……多分。
胸を張って言うことでもないようなことを零斗が内心呟いていると、給水塔のはしごを上ってくる音が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます