第2話 目覚め
あれからも繰り返される、死んだ方がマシだとさえ思える地獄の体験。幾度となく自分というものが壊され、その度に無理にやりつなぎとめられ、意識が再構築されていく感覚は、とても表現しようのない苦痛だった。
そんな日々を繰り返していくうち、次第に零斗は、自分自身が心が壊れていくその過程を、別のところから傍観していることに気づいた。
「――――あぁぁぁがぁぁッッッ……!!」
――――なぜ。
そう問うても、この場所には答えるどころか、聞いてくれる者さえもいない。圧倒的なまでの孤独。今頃、外界では自分という存在がいなくなっても、何も変わらず時間が過ぎているのだろう。
そしてそれが――――これ以上ないほど憎ましい。
「あああ嗚呼ァァぁあ唖ッ――――!!」
……どうして。
そんな声が冷たい風が吹きつけるこの場所で、木霊し消えていく。
生きる気力など、疾うの昔に消失している。それでもなお、自分をここに縛り付けている呪いの剣が憎い――――。
「――――――――ッッ!!」
自分の思いなど虫けらのように踏みにじられ、なかったことにされる。まるで
思い出したかのように向けられる眼差しには蔑み以外のものはなく。まるで自分が
そんな奴らが心底、殺しても飽き足らないほどに――――憎い。
――――しかし、それ以上に、そうまでされても生に縋りついている自分自身が最も……憎い。
なぜ、ここにくるまで非道な扱いを受けたというのに、それらから逃げることも諦めることもしなかったのか。
それは
強引に未知の世界に連れてこられようと、どれほど奴隷の如き扱いをされようと、自分は人の役に立ちたかった。誰かに手を差し伸べられるような存在になりたかった。
それだけが、自分の存在意義であるような気がしていた。
それは勇者としてこの世界に降り立つ――――よりもはるか前。世の不条理を理解した時と共に、そんな理を覆すような者に憧れてから、常に心のどこかで抱いていた、零斗の純粋な願い。
それを我が物顔で振りかざし、何の感慨もなく使いこなす、自分と同郷の者らを見た時はどれほど発狂しそうになったことか。自身がどれほどそのような存在に憧れ、人知れず努力していたか等、彼らには知る由もないだろう。
――――だが、それでもと、別の道を模索し、足りないなら足りないなりに埋め合わせようとした結末がこれか。
そう自身の惨状を虚ろな目で見ながら、零斗は自嘲的な笑みを零す。
声は渇きと無理を重ねた絶叫でしゃがれ、苦痛でもがき暴れたことにより体中には傷がつき、五感すらもまともに機能していない。
これが自分の思い描いていた
――――どうだ? これ以上なく無様ではないか。
「――――ぶッ、ははははははッッ!!」
空腹の上、突然笑ったことで腹が痛むのも気にせずに零斗は笑い声をあげる。
傍から狂人その者と言われかねないが、そう評する者にこそに言ってやりたかった。
――――そうまでしたのは紛れもなくこの世界そのものだ、と。
その直後、突如として、地が僅かに揺れる。
まさか平衡感覚さえ狂ったかと零斗が思っていると、パラパラと振ってくる小石を見て、それが現実であることを悟る。
確実に何かが起こる。
根拠はなかったが、なぜか確信をもって断言することができる。さらに、それが決して状況が転じるような兆候ではなく、不吉の前兆であることも。
しかし、それすらも零斗にとっては面白く、人知れず大いに笑った。
■■■
しばらくして、また幾度となく迎えた苦しみに耐え抜いた末、あれから零斗は精神崩壊を迎えたのかと思えば――――今や、静かに目を閉じ、穏やかな呼気と共に眠りについていた。
剣の輝きが復活しようと、冷めた眼差しで一瞥して、声すら漏らさずに微睡に身を委ねる。
零斗がここに閉じ込められてから、はや半年以上が経とうとしていた。
その間、絶え間なく、しかし不規則に訪れ続ける、地獄を巡った猛者さえ泣き叫んで許しを請うような苦痛。
だが、そんな痛みを、死ぬことも、忘れることさえも許されずに受け続けた末に、零斗は――――どうでも良くなっていた。
身を悶えさせるほどの苦痛? だから何だというのか。体が勝手に反応するのは仕方ないにしろ、それにわざわざ苦しむのも
そして、その間にたまりに溜まっていった憎悪も、悲哀も、憤りも、後悔も、狂気も、全てが心が許容できる限界量を越えてしまった故に、今の零斗には、もはや何の思いも
『錯乱』で掻き乱されてめちゃくちゃにされる思考に、記憶すらも朧気になり、自分が何なのかも理解できない。
さながらそれは、電気信号で動く人の形を真似たナニカと大差なかった。
もはや、全てがどうでもいい。ただいつか、何年、何十年先に訪れるであろう『死』だけを期待して――――。
――――本当に、それで良いのかと、頭の中で誰かが叫ぶ。意味すら分からないその問いに、まとまらない頭で答える。
――――誰かの役に立ちたかったのではないか。悲痛な声に嘲笑すら伴って、一言吐き捨てる。
刹那、零斗の頭に強い痛みが走る。
痛みなど、とっくに忘れたつもりだったが。
そう思っていると、気が付けば零斗の頬を雫が伝っていた。その時、深くに沈んでいた思考が一気に浮上し、頭が覚めていく。そして、たった今、理解した。
――――今しがた、自分は“中身”が空っぽになっていたのだと。
一瞬でも自我を失いかけた
――――考えれば当然だ。常人ならとっくに正気を失うほどの経験。それが『回復』によって強制的に繋がれていただけ。
しかし、いくら肉体は治癒されるとはいえ、その苦痛に耐えきれない
その答えは既に先ほどの自分の経験からとっくに分かっている。
「……どうしろって、言うんだ」
殺されることなく自分が
しかし、そこから打開する術はない。ゆっくりと、壊れていく様を何もできずに見せつけられるだけだ。
これが悪夢ではなかったらなんだというのか。この時、死ぬことが許されなかった弊害で、永らく失われていた『恐怖』が姿を現した。
■■■
どれほどの時間が経ったのかもわからない。いや、そもそもその事について考えること自体、無駄だ。何せ、『時壊』の影響で体内時計は無茶苦茶に狂っている。考えたところでわかる筈もない。
――――それよりも考えるべきことがある。
零斗はあれから思考を巡らせ、“何が間違っていたのか”、その
なぜそんな無為なように思えることをしているのかと思うだろう。
仮に、あのまま自分がゆっくりと死んでいくだけならそんなことを思いつきもしなかった。
あの経験を前にしては、死はむしろ待ち望んでいたと言っても過言ではなく、事実、ここしばらくのところは生に対する執着もほぼなくなっていた。
――――だが、自分が自分でなくなっていく。その感覚だけは、
“あの状態”が永遠に続くくらいなら
故に探す。
例え、何度
当初に自分が抱いていた疑問、何がいけなかったのか。
それを問いただしたければ、まずは――――
かつて自分は願った。
誰かに手を差し伸べられるような者になりたいと。それをいつからか、
故に、この世界に来た時から既に自分は
――――そもそも、
犠牲の上に成り立つ救いなど、それはもはや救済ではない。ただ“次の犠牲への橋渡し”を体よく言い繕っただけに過ぎない。
――――また地響きがした。これで何度目か分からない。しかし、確実に回数を重ねるごとにその規模は大きくなっている。そして、その度、零斗が閉じ込められている空間には亀裂が入りこんでいっている。
その具合から直にここが崩落するのは目に見えていた。周囲は岩壁、それが崩れればいくら『回復』の剣があるとは言え即死――――。
だが、
地響きがそれから数回繰り返された時、ふと零斗は気が付いた。そして、なぜこんな簡単なことに気が付かなかったのかと、己の考えの浅はかさに思わず失笑した。
それは、何故自分を見捨ているような奴らに
そんな輩に時間を費やすなんぞ、まさに無駄の極みそのものではないか。
つまりは大前提として――――自分は、自分が在りたいように在ればいいのだと。つまりは、
救いたければ救うし、見捨てるなら見捨てる。何も、片っ端から目をかける必要なんてなかった。――――そもそも、一個人にそんな真似ができるはずがなかったのだ。
理不尽を強いるこんな世界なんぞ、人類なぞ魔王に滅ぼされちまえクソがという言葉に添えて中指を立ててやれば良い。
そうして何が悪い。少なくとも自分は、
そして、
「――――死んでやってたまるかよ」
ビキビキビキッッッ――――と、遂に限界に達したらしいこの空間は、罅が連鎖的に広がっていき、大きな揺れと共に崩落を始める。その時、零斗が自身を抑えていた剣が罅割れによって解かれ、久しぶりの自由を手にする。
手足に剣が刺さっていて満足に動かせなかったが、裏を返せば
「――――オッッらあッッ!!!!」
凄まじい激痛が体内で暴れまわるが、そんなの散々味わった零斗にとって知ったことではない。剣を引き抜いて、『回復』の剣だけを刺さったまま放置し、他の剣を床に放った。そして、残された『回復』の剣は自身の機能を果たすべく、柄の部分から零斗の体内に治癒に必要なエネルギーを流し込む。
即座に剣が刺さっていた箇所の傷が塞がり、剣を引き抜いたことで使い切った活力が零斗に戻ってくる。
それを確認すると同時に立ち上がって、放った剣を振ってくる瓦礫の下敷きにならないよう、拾ってはベルトに差していく。
「よっし、回収完了。さて、どうやって逃げるか」
正直、啖呵を切ったは良いものの、拘束を解かれた後に脱出する手段を全く想定していなかった。このままではせっかく解放されたところで、生き埋めになってめでたくあの世行きである。
どうしたものかと、周囲を見渡すと、不意に浮遊感に襲われた。
「ッ!? なんだこりゃ!?」
天井や壁だけでなく、床さえも崩れていると零斗が気づいたのは、彼が宙に放りだされて数秒経過したときだった。そして、感じる下から身の毛がよだつほどの濃密な魔力の気配。
――――信じられない程強力な何かが、この下にいる。
何故かそう、確信した。
それだけでも、零斗に危機感を抱かせるには十分だったのだが、何より、放り出された穴の底が
常人ならば、このまま落下したところで地面に叩きつけられ即死。まして既に下降を始めているとあっては生還は絶望的である。
そんな万事休すかと思われた状況。だが、零斗の頭の中には、自分が死ぬ可能性など微塵たりとも存在せず、ただ冷静に状況を俯瞰し、生き残るために碌に回らない頭脳をフル回転させる。
(どうする。どうすりゃこの絶体絶命みたいな状況から脱せる?)
持ちうる全ての能力を脳が発揮すべく、勝手に不要と判断された情報が除外される。
そうして出来た、白黒で時間の進みが遅くなった世界で、零斗が今までの記憶から使える知識を洗い出していく。
その間、数秒、数分、はたまた数時間だったか。
否、
無数の思考の果てに、自分がするべきことを理解した零斗は、
――――これがダメだったら、本当に自分は散々浴びせられた罵倒の通り、加護無し――『無加護』だったのだろう。潔く来世に期待するしかない。
しかし、仮にもあの自称「
「――――まさかリアル紐無しバンジーを異世界でやる羽目になるとはなッ!」
深い穴の中を落ちていく中で叫んだ言葉が反響するのを残して、零斗は速度を増して落ちていった。
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