第3話 シュンの息子

「え?」


 マサはその問いにはっとして、祖父を見て聞き返した。


「ここを出たいかって聞いたの?」

「そうだよ」


 すると、マサはは握り飯の最後の一口を頬張ってから頷いた。


「そりゃあ、出たいし、本当は戻りたいよ。だって、ヤンもカグも前に住んでいた場所にいるもん。ここじゃ、会えないし……遊べない」


 ヤンとカグはマサの友人だった。ヤンは商人をしている家の跡取り息子で、カグはそれこそ地主の息子だった。


「まあ、そうだよな」

「……」


 すると、シュンは腕を組んで天井を仰いだ。


「でもなあ、多分今のまんまじゃ戻れねえなあ」

「そうなの?」


「そりゃあマサ、薬代って言うのは馬鹿にならないぞ。リフはその肩代わりをしてたんだ。借金もたんまりあるだろうよ。じいちゃんには言わないけどな」


「じゃあ、戻れないってこと?」


 シュンは、マサを見て頷いた。


「そう考えたほうが良い」

「……」


 マサは俯いて拳を握る。


「俺、こんな生活望んでなかったのに。父さんはなんで貧乏人なんて助けたんだろう。助けなきゃよかったのに……」


 マサの口から漏れ出る本音に、シュンは静かに言った。


「リフは志を貫いたんだよ」


 だが、マサは頷かなかった。その代わりに、椅子から激しく立ち上がり、今まで胸の内に秘めていた怒りをシュンに爆発させた。


「じゃあ、じいちゃんは俺を友達から離しておいて、母さんにも苦労をかけて、それでも志の方が大事だっていう父さんの肩を持つの⁉︎」


「……」


「お金って、自分の家族の為に作るもんだってヤンの父さんは言ってたよ⁉︎ それなのに、俺の父さんはいっつも他人のことばっかだ! 俺たちのことはどうでもいいとしか思えない!」


 マサの目には涙が溜まっていた。


(そりゃあ、マサの気持ちも分かるさ……)


 リフがシュンの元に家族を連れて来た時、マサが嗚咽を堪え目を真っ赤にしていたことをよく覚えている。それは、先生や友達と離れたことに対する悲しみを顕していた。そんなマサを見て、リフは悲し気な笑みを浮かべていた。


「ミエやミチにも苦労を掛けていて申し訳ないと思いますが、マサには特に悪いことをしたと思っています。あの子にとって、あの村が故郷でしょうから……」


 リフは心の内をそのように吐露した。だから、マサの気持ちは痛いほどわかる。しかしシュンは、リフがやってきたことが立派であると思うがゆえに、マサの肩を持ってやることもできない。


 シュンは、自身の若かれし頃のことを思い出す。


 シュンが大黒柱であった家庭は、貧しくはなかったが特段豊かな生活をしていたわけではなかった。それは、シュンが仕事をしていなかったからである。彼は家庭を持つまで他の男たちのように仕事をしていたが、妻を娶るとすっかり仕事を辞めてしまったのだ。


 それでも当たり前に生活が出来ていたのは、今いる山や平地の田畑の土地を友人から譲り受けていたことと、今は亡き妻のマリが染物の技術を持っていたからだ。


 マリが染めた綿や麻、時折絹の反物を都である京に卸す。それによって生活に余裕があった。のちに彼女は、はやり病で亡くなってしまうが、それによりリフは医師を目指すようになり、彼女が地道に蓄えたお金に手を付けなかったお陰で、シュンはリフを医学に精通した京の学校に入れることができたのである。


 シュンにとってリフは勉強熱心で心の優しい自慢の息子だ。それが医師になるというのだから反対する気は毛頭なかった。きっとリフならできると思ったし、いい医者になるとも思っていたのである。


 そしてリフはやはり腕のいい医者になった。しかし、京には彼を欲しがる権力者たちも沢山いた。それ故にリフは権力争いから逃げるように、妻とマサ、生まれたばかりのミチを抱えて、都である京を去ったのである。


 それからリフは故郷で開業するが、そこで医者を続けることは容易なことではなかった。


 彼を頼って治療して欲しいという患者がやってくる。しかし、来る患者の半数以上が治療費どころか薬代も出せない貧乏な人たちばかりなのだ。理由はリフ以外の村の医者が貧乏人を患者として扱わなかったからである。


 その為、リフは治療費が出せない患者がやってくると、決まって「診察料と薬代は、お金が出来てからでいいですから」と、笑って受け入れた。


 孫の顔を見るために山を下りたシュンが、その様子を見て息子に尋ねた。

 何故、そんな自己犠牲を働くのだ、と。

 するとリフは朗らかな笑みを浮かべてこういった。


「父さんも知っているでしょうけど、僕は母さんみたいな人を助けるために医者になったんです。本当に医術を必要としている人の助けになるために。医者になった今だから言えることですが、母さんはちゃんとした医者に見せれば助かった。だけど、この村にはいなくてダメでした。だから今度はそうならないように、僕はできる限りのことをしたいんです」


 そう言ったことを、シュンははっきりと覚えていた。もう五年以上経つだろうか。


 しかし、志というものは持っていても金を稼いでくれるわけでもないし、彼に名誉を与えてくれたわけでも、救いの手を差し伸べてくれるわけでもなかった。困っている人に手を差し伸べたのはリフ自身であり、人々の手を掴めなくなったのは金が底をついたからである。お金の為に働かないとはいうものの、金がなければ何もできない。本当に、世の中とは世知辛いものである。

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