第2話 バスケガチ勢とバスケ見る専 

 それから30分ほど経った頃だろうか。


「あ、やっべ」


 ごそごそとポケットの中を探っていた私は、ふと思い出したことがあった。


「今度はどうしたの」


 相変わらず私の対面で文庫本を読んでいた遥は、顔をあげて小首を傾げる。


「スマホが無い」

「えっ?」

「多分学校に忘れてきた……。やらかしたー……」


 脳裏でぼんやりとした情景が蘇ってきた。


 置き忘れたのは多分ロッカーの中だ。

 なんの授業だったか忘れたけど、なにかの授業でロッカーを開けた時に、そこへポンと放り出した記憶がある。

 これはかなり大きなやらかしだぞ。入学早々何をやってんだか。


 ほんのわずかな逡巡の後、私は決意を固める。

 ため息を一つついて席から立ち上がった。


「しゃーない。今から取りに戻るか」

「え?今から行くの?」

「流石にスマホを一晩中学校に置いとくわけにもいかないじゃん」

「うーん……それもそっか」


 これが教科書とかだったら、一晩でも二晩でも楽勝に置いておくけど。

 スマホは個人情報が山ほど入ってるからね。スマホを落としただけなのに、的事態になりかねない。


 私の言葉に一瞬考え込んだ遥だったけど、結局異論を唱えることは無かった。


「じゃあ今日はもう解散しようか。そろそろ暗くなってきたし」


 遥が手に持っていた文庫本に栞を挟む。

言われてガラス張りの内壁から外を眺めてみると、地平線の向こうで夕日が3割ほど沈んでいた。4月上旬とはいえ日が沈むのはまだ意外と早い。


もう外は結構寒くなってるんだろうなあ。

 ……そんな中、私はこれから学校に向かわないといけないわけか。一方の遥は自宅へ帰ってゆっくりぬくぬくと過ごすと。

なんだこの格差社会は。現代日本の縮図のようなこの歪な構図には一石を投じざるを得ない。


「……ねーねー遥。遥この後暇?どうせ暇でしょ?」


 私は遥の後ろへと回り込み、背後から半ば押しつぶすような形で遥に抱きついてやった。

驚いた遥が素っ頓狂な声を出す。


「ど、どうしたの急に。なにも予定はないけど」

「じゃあさ、学校戻るのについてきてくれない?ね?」

「え?嫌だよ……。ひーちゃん一人で行ってきなよ」

「そう言わずにさー。私と遥の仲でしょ?」

「ちょ、ちょっと……恥ずかしいからそういうの止めて」


 私が腕の力を一層強めていくと、遥の掌が私の顔を押し戻してきた。きょろきょろと辺りを見渡しているところを見ると、周囲の視線が気になるみたいだ。

 仕方ないので一旦腕から力を抜き、自分の席へと帰還することにする。


「ていうか、なんで私についてきて欲しいの?一緒に行っても私なんにもすることないよ?」


 少し頬を紅潮させながら遥が尋ねる。


「だぁーってさー……心細いんだもん。まだ入学して2日だよ?校舎の構造もうろ覚えなのに、真っ暗闇の中をちゃんと歩けるのかなって」

「だ、大丈夫じゃないかな。もう高校生なんだから」

「それに夜道の一人歩きは危ないじゃん?日本の治安もどんどん悪化してるって言うし。遥が隣にいてくれたら心強いんだけどなー。ちらっちらっ」

「……それで、本音は?」

「私一人だけ面倒なことしないといけないのがなんとなく癪だから」

「うん、分かった。ひーちゃん一人で行ってきてね」


 ばっさりと切り落とされて、私はがくっと肩を落とす。しまった、なんて高度な誘導尋問なんだ。

 まあ仕方ないか。どうやら今日の遥は新しく買った小説に夢中みたいだ。このお店に入ってからも半分以上の時間を読書に費やしている。

一人で延々と二次絵描いてた私が言えたことでもないけど。


「それじゃ遥、また明日」


 鞄を肩にかけて、今度こそお店を後にしようとする。

 しかしそんな私の背中を遥の声が呼び止めた。


「あ、ひーちゃん。明日入部届出しに行くつもりだから、忘れないで持ってきてね」


 言われて私はピタッと足を止めた。そして思い出す。


 ああ……そういえば新入生は明日から入部届を出せるようになるんだっけ。

 初日からきっちり出しに行くとは、几帳面な遥らしいことだ。


「遥はやっぱ女バスだよね?」

「うん。そうだよ」

「ほんっと、バスケ馬鹿だね遥は」


 私はからかうように笑った。


 飾り気のない黒髪、日焼け一つない白皙。

 制服は改造の気配すらなく、そして片手にはカバーのかかった文庫本。

 パッと見の遥はいかにも文学少女、といった風体だ。

まあそれはあながち間違いでもない。読書は遥の趣味の一つだ。


 しかし実際のところこいつは、小中とバスケに打ち込んできたとんでもないバスケガチ勢なのである。

 そして今まさに高校でもバスケ部に入ろうとしている。

 バスケ愛ならそんじょそこらの奴には絶対負けない、それが立臣遥という女なのだ。


「ひ、ひーちゃんだってそうでしょ?」

「まあバスケは好きだけど。でも私は見る専だから」

「見る専、って……」


 遥の言う通り、私もまあ結構なバスケ好きだ。

実際中学の頃は遥と一緒にバスケ部に入っていたし。


 しかし遥と決定的に違う点は、私は高校でバスケを続ける気が無いってことだ。

 文字通り“見る専門”を目指すつもりである。

 女バスには遥と一緒に入るつもりだけど、マネージャーを志望しようと思っている。


「………」

「ん?どうかした?」


 そのとき、遥が私のことをじっと見つめていることに気が付いた。

 なんか意味ありげな視線だ。私は多少たじろぎながらも、遥かの真っ直ぐな視線を正面から受け止めることにした。


「ひーちゃん、どうしてバスケ辞めちゃうの?」


 数秒の沈黙の後、遥がそんなことを尋ねてくる。

 その問いかけに微かな圧力を感じて、私はほんの一瞬言葉につまった。


「だって、練習とかしんどいじゃん。女子高生になったんだし、これからは青春を謳歌しないと」

「……青春?ひーちゃんが?」

「お?なんだこら全面戦争か?」

「ご、ごめん」


 ギロリと睨みつけると遥が慌ててペコリと頭を下げた。


 別に彼氏もいないクソ陰キャでも青春謳歌していいだろ!

むしろjkという一番モテる時期に勝負をかけないと、私みたいなもんは一生モテないんだよっ。私の栄光時代は今なんだよ。


「でもひーちゃんあんなに上手かったのに……勿体ないよ?」

「上手かった?いやそんなことないって」

「うちの中学じゃ一番上手かったよ。みんなひーちゃんに憧れてて……」

「ないないない。遥は私のこと買いかぶり過ぎだよ」

「もう……」


 まだ不満げな顔をしている遥。

しかし私が適当にあしらっていると、それ以上は何も言ってこなくなった。

 その隙に私はさっさとお店の外に出る。そして早足で学校を目指した。


 遥の言いたいことも分かるけど、私の気持ちは変わらない。

 これからの私は見る専のバスケ好きだ。

 優れたシューター(主にステフ様)を愛でるために青春を捧げるのだ。

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