第1話 日暮長閑と立臣遥
「はあ……ステフ様」
タブレットに映ったイラストを眺めて、私はうっとりとしたため息を漏らした。
画面の向こうから長身の黒人男性がこちらを見ている。
超イケメンだ。
肉体は筋肉隆々としていてたくましいが、表情は穏やかで知性を感じさせる。
私の理想がそこに詰まっていた。
にしても、もうちょっと小顔の方がいいかな?
そう思って画面の上でガリガリとペンを動かすと、ステフ様の輪郭がさらにいい感じにシャープになっていく。やっぱ液タブって便利だわ。
「はあ……やっぱいいなあこれ。尊いなあ……。エモいっつーかマジエモい」
はあはあはあはあと荒い息をつきながら、私はタブレットの画面を穴が開くほどに見つめる。
尋常じゃない様子だけど、別に具合が悪かったりするわけじゃない。
ただただ幸せなのだった。多幸感が体の隅々まで行き渡っている。
ただ幸せ過ぎて心がしんどいと言うだけであって。ちょっと何を言ってるのか分かりませんね。
ステフ様の鋭い眼光が私を射抜く。
体温や息遣いさえそこに感じられる気がした。
これはもはやイラストの域に留まらない。召喚獣みたいなもんだ。マスターたる私の呼び出しに応じて、ステフ様がここに現界してくれた。
令呪をもって命ずる。結婚してください。
「オ゛♡ ヤッベ♡」
「ひ、ひーちゃん……さっきからちょっとうるさいよ」
と、私が気持ちよく妄想に浸っていると、そんな声が脳内に割り込んでくる。
視線を上げると、対面に座った女の子が私をじっと見つめていた。
「え?私なんか言ってた?」
「かなり言ってたよ。変なことばっかり」
非難がましい視線が飛んできた。
その大きくて黒い瞳に私の姿が映っているのが見える。
こいつの名前は
ざっくりと説明するなら、小学校くらいからの幼馴染だ。
真っ黒な瞳と真っ黒なセミロングの髪が特徴的な、高校一年生女子。
ちなみに私の名前は
「なに描いてたの?」
遥が少し身を乗り出し、こっちの手元を覗き込んでくる。
私は見えやすいようにタブレットをちょっと傾けてやった。
「はい。私とステフ様の夢絵」
ちょっとドヤ顔しながら端的にそれだけ答えた。
今回の絵はかなり上手くいったからな。きっと遥も分かってくれるはず。この尊さはDNAに素早く届く。
しかしそんな私の期待は外れて、遥は果てしなく微妙な顔をするばかりだった。
「ステフ様って、あのバスケ選手のことだよね」
「うん。私の王子様」
「そ、そっか。……それで、夢絵っていうのは?」
「だからー、つまりこっちがステフ様でこっちが私なの」
イラストを指さしながら説明する。
ああそっか、遥はオタク文化に疎いもんね。そもそもの単語が分かっていなかったわけか。
この世には夢小説というものがある。
ざっくりと言うなら、漫画やアニメの男キャラと、『現実の自分』との絡みを妄想して書く小説のことだ。
で、その夢小説の“イラスト版”が夢絵。
例えばこのイラストでは男女が仲睦まじく抱き合っているけど、この女の方が私で男の方がステフ様なのだ。
なに言ってんの?とかそういうことを冷静に突っ込んではいけない。
とまあそんな感じでざっと説明したんだけど、遥はまだピンときてない様子だ。
「でもこのひーちゃん、現実と全然違わない?」
「え?ど、どこが?大体こんなもんでしょ」
「だってこの女の人金髪だよ。ひーちゃんは髪の毛染めたことなんてないでしょ?」
「それはまあ……誤差だよ誤差」
「ピアスとかも現実のひーちゃんはしてないよね。前やろうとしたけど怖くて断念したもんね」
「い、いや別に怖いとかじゃないから!ただ親からもらった大事な体に傷をつけるのは言語道断だなと思っただけで……」
「そもそもステフさんって結婚して……」
「あーもーうるさい!」
遥の鋭い追及を強引にぶった切った。
こいつめ、的確に人のウィークポイントを突いてきやがって。
その術は私に効くからやめてくれ。
「多少現実と齟齬が出るのはしょうがないじゃん。だってステフ様だよステフ様?そのまんまの私だとノーチャンスだもん」
夢絵で自分を美化するぐらい別にいいじゃんかよ。
フンと鼻を鳴らして、タブレットをまたテーブルの上に放り出した。
「NBAのオールスター選手だもんね」
「そうだよ。年収いくらだと思ってんの。億だよ億」
「り、リアルだなあ」
「ていうかオールスターとかいうレベルじゃないからね。歴史上でも屈指のプレイヤーだからね。遥はリスペクトが足りないよリスペクトが」
NBAって言うのは、世界で一番レベルの高いプロバスケットボールリーグのことだ。
そしてその中でぶっちぎりナンバーワンプレイヤー(私的)なのが、なにを隠そうステフ様なのである。
ステフ様は3Pシュートが得意だ。俗な言い方をするなら“シューター”になる。
どんなに密着マークされていても、どんなにゴールから離れていても、シュートを撃てばとても高い確率で沈めてくる。その芸術的な精度の3Pシュートは、いつか無形民俗文化財に選定されるはずだ(嘘)。
「ステフ様と一緒にバスケ出来たら死んでもいいなぁ……」
まあ、絶対無理だろうけど。
私は頬杖をつきながら憂いを帯びた吐息を漏らした。
せめていつか、一度でいいから生で見てみたい。直に声とか聞けたら最高。握手なんか出来たときにはそのまま尊死するかもしれない。
「ひーちゃんは本当にシューターが好きだよね」
そんな私を見て遥がクスリと笑う。その拍子に肩口まで伸びた髪がふんわりと揺れた。
遥の言う通り。私はシューターが大好きだ。
バスケットには色々なポジションがあるけど、私はやっぱり遠くからシュートを撃ちまくる人が好きなんだ。
なんでかって聞かれても分からない。そういう風に生まれ落ちたからだ、としか言えない。
ふと視線を下に落とすと、ステフ様が変わらない笑顔を浮かべていた。
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