020212【湯治】
長年連れ添っていた文章というやつはある日素知らぬ顔をして私の元を去って行ってしまった。仕方なく湯治でもして帰りを待つ他無かった。
そうと決まれば前々から決めていた宿がある。山を越えて、驚くほど真直に生えた竹林を抜けた先、深々と雪が降り積もる場所にそれはあった。
私は暫くそこに居たが熱い湯など浴びた所でどうも手隙になってしまい良くなかった。そのため部屋から来ては出て行く彼や彼女らの背中に無秩序に想いなどを重ねてみてはその気を紛らわすなどしていた。彼は不貞の因果によるもの、彼女は旦那に先立たれた未亡人、彼は彼女はと、一寸した戯れである。
今朝もまた、一人の女性が宿に入ってきた。雪にも劣らない程の白い肌をしているにも関わらず、その髪は鞣した皮のような艶やかさである。
私は彼女にそれまでと同様に重ねてみようと試みたが、どうも上手くいかなかった。どんな因果も彼女には陳腐に感じ、相対するものが見つからないのだ。我を忘れてその女性を凝視してしまったせいか、不意に私の部屋を見上げた。
慚愧の念に襲われた私は急いで窓辺から離れて茶などを沸かし始めた。
数日経った宵のうちのことである。いよいよ手隙も極まってきたので、未だ行ったことのない宿の外れにある足湯場に出向いた。
どうやら一人、先客がいるらしい。
近づいてみるとあの時の女性である。
このような外れに赴いて女性を見るなり身を翻して逃げ帰るなど失敬な真似は出来るはずもなく、震える足を静かに同じ湯に浸けた。
すぐ横には白い足がある。水面の揺れにより、白い足は滲むように現れては消えている。
女性は明らかに気が付いているのにも関わらず、私が明らかに緊張しているのにも関わらず、何事も無いようにそこに座っているだけである。
私は何か、責められているような思いがして居心地の悪さを感じた。
すると徐に女性は足を湯から上げて、立ち上がり、私の太ももの上に濡れたその足を置いた。
普通このような場面ではこの失礼な女性に対し侮蔑の言葉を浴びせて部屋へ勇敢に帰るべきなのだろうが、生憎それが出来るほどの気概は持ち合わせていなかった。
私は私の足に置かれた足に夢現を感じながら、ただ自分を恥じる事しか出来なかった。
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