020104【眼鏡とサルトル】
今日はA氏が朝からいたため、お昼頃まで家でゆっくりした後に出かけることにした。
「どこか行きたいところはある?」
彼に尋ねる。
「革ジャンが欲しいからBに行きたい」
丁度私も眼鏡の調整をしてもらいに行きたかったため支度をして一緒に家を出た。
私は眼鏡を六つほど持っている。
収集癖があるわけではなく、それぞれの場所や会う相手によって使い分けている。例えば、仕事の時はメタルフレームのスクエア型であったり、プライベートは黒縁やべっ甲などだ。
「僕だったら絶対なくしちゃうし、なにより面倒だ。けど、君が何個も使い分けるのは見ていて楽しいから良いことだね」
そう彼は言ってくれて、定期的に行く眼鏡屋にも嫌な顔をせずに付き合ってくれる。
そもそも、私は眼鏡が好きではなかった。掛けているのも面倒だし、なにより眼鏡をすると自分の認識している顔との差異に違和感を覚えた。そのため、大学を卒業する頃までは頑なに裸眼でなんとか過ごしていた。けれど、社会人になり、日常生活に支障が出るほどになってしまったため仕方なく購入を決めた。丁度、ひどく窮屈な人間関係に悩んでいた時のことだった。
当初は近所のどこにでもある眼鏡屋へ行こうと考えていたが、彼の勧めもあり今も通う眼鏡屋で作ることを決めた。
そこの眼鏡を掛けてみた時、不思議とジャン=ポール・サルトルの嘔吐という作品が想起された。私はその時に実存主義的な、大げさに言うと私という存在について再認識をさせられたような気がした。眼鏡という小さな道具に過ぎないもので、私という存在が新しく固定され、自己によって認識され、新しい自分が発現したような気さえした。
私はそれを購入し、ある種のペルソナを掛ける事になった。もちろん、眼鏡ひとつで性格や人格が変化するわけもなく、顔だってただ眼鏡を掛けているだけなので傍から見れば大したものではないことは重々承知をしている。また、これによって人間関係が劇的に改善されたかと聞かれれば否であり、今でもうまくはない事は確かである。
しかしながら、私にとってはいくつかの場面に合わせて眼鏡を選ぶことでその場と眼鏡とのいわば親和性、共通項があることによってまるで自分自身もその場に溶け込めているかのような安心感を覚えることが出来るようになった。
彼は眼鏡を似合っているといつも言ってくれるが、決まって最後にはこう付け足す。
「それでも、僕は掛けてない方が好きかも」
そのため、彼といる時はあまり眼鏡を掛けないことにしている。
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