020103【びっくり箱】

 朝起きて、A氏は今日も家族の集まりでいなかった。天気もよく、一度洗濯を回して干してから出かけることにした。

 私が大抵一人で出かけると言えば、近くのスーパーかレンタルビデオ屋である。そのレンタルビデオ屋は書籍も販売しているため勝手がよく頻繁に通っている。そして今日も散歩がてら向かうことに決めた。

 映画は本と同じくらい好きだ。大学生の頃、構内の図書館で映画を好きに見ることが出来たので少しでも講義の間があれば片っ端から見た。受付の女性とは家族と会うよりも多く顔を合わせていたのではないかと思うくらいだった。また、その視線は明らかに勉学に励んでいる純粋無垢な学生に向けられるものでは無く、毎回いつ叱られるのかと戦々恐々としていた。

 その結果、棚一面にあった映画は大学二年目になる頃には余すところ無く鑑賞し、むしろ何が無いのか、借りられているのかが分かるほどにまでなった。また、当然中には一見すると興味のないジャンルもあった。例えば、アメリカのティーンエイジャーが性に対してディスカッションをするという教育要素の強いドキュメンタリーなどだ。しかし、実際に見てみると想像していた内容と全く違ったりすることもあり、また、その逆で期待をしていたものに裏切られることも多かった。私にとってそこは何が出てくるのか開けてみないと分からないびっくり箱のように思え、胸躍り、居心地が良かったのを思い出す。

 そして現在、その箱は近くのレンタルビデオ屋に移っている。現在とは言わず、大学三年頃からは移行しているが卒業してから時間的余裕が極端に少なくなったため飽きること無く今に至っている。

 学生時代と比べてひとつ大きく変わった点としては、大抵の場合は行ったとしても何も借りないで帰ることが多いことだ。並んでいるタイトルや、パッケージ、裏面のあらすじなどをじっくりと読み、想像を膨らませて楽しんでいる。そんなことをしていると平気で二時間ほど経ってしまうためそもそも見る時間も無くなってしまうのも一因ではあるが、そのように背丈よりも高いびっしりと詰まっている棚を縫うように歩いていると、学生時代の興奮が不意に蘇り、それだけで心が弾み、足取りが軽くなる。

 しかしながら、一方で全く変わらない点もある。それは、うろうろと徘徊した挙げ句、何も借りないこともある私に向けられる店員さんの視線は、学生時代に経験したそれと同じであるということだ。

 次こそは、何かを借りようと決意して家に帰った。

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