第三十九話 ハイジ、犬と養殖を始める
十二月に入ってすぐの日曜日。わたしは、タロに大事なことを確かめることにした。タロのせいにして、わたしが直視しないで逃げ回っていたこと。それに、きちんと区切りをつけようと思ったんだ。
オトナのタロと、まだ子供のわたし。わたしの告白がタロに拒絶されることは、最初から覚悟しておかなければならない。でも福ちゃんと同じで、ちゃんとステップを踏んで涙を涸らさないと、わたしは先に進めなくなるだろう。
恋が甘酸っぱいもの、素敵なものだなんて、誰が言ったんだろう? ティーンズ小説の中に出てくる御都合主義的な展開なんか、絶対に待ってない。胃をぎゅうっと掴んでねじ上げるような片恋の痺れ。タロの「ごめん」の一言で全てが崩れ去る恐れを心の中のどこにも隠せずに、それでもわたしの鼓動はこれでもかと早く、強くなる。
タロが好き。タロが好き。タロが好き。変わらないビートで、絶え間なく、絶えることなく、ずっと。
告白の場所は、国見公園にした。相変わらず誰もいない、吹きさらしの広場。ロマンチックのロの字もない、高台にあるただの空き地。でも、ここはタロにとって特別の場所らしい。海と神家しか知らなかったタロが、初めて眺望っていうものを味わった場所。休みの日には家でぼーっとしていることが多いタロが、唯一ここには何度も足を運んでいることを……わたしだけが知っている。
冬の海は、穏やかでも濁りを噛んでいる。緑を帯びた海面にわずかにさざ波が浮いて、それを巻き取った風がここまで吹き上がってくる。嗅ぎ慣れた潮の匂いに体を預け、眼下の海をじっと見つめる。
そう、ずっと不思議だったんだ。わたしがタロを意識するようになってからは、周りにいる誰もがわたしの片恋に気づいていたんだろう。ぎごちない恋心は、最初から丸見えでばればれだったんだ。
でもね、わたしがタロに片想いしてることをみんな知ってるのに、その誰一人として「やめろ」と言わなかったの。お母さんも杉田先生も黒部さんも、スタンスはみんな「がんばれ」だったんだ。どうしてだろう? どうせ玉砕するんだから……そういうこと? いや、違うと思う。みんな、わたしの性格をよく知ってたってことだよね。
「なんちゃってリケジョかあ……」
お母さんにそう言われた時、むっとしたけど何も言い返せなかった。本当のリケジョなら、ちゃんと自分の感情を理性で整理して、進むにしても諦めるにしてもさっさとけりをつけるでしょ? そういう容赦ないど突き。
他の人はそんな厳しい言い方はしなかったけど、やっぱり言いたかったことは同じだったんじゃないかと思う。好きならなぜ前に出ないの? 好きという気持ちを、なぜ行動に結びつけないの? それがもどかしいからこその「がんばれ」だったんだ。
でもね、みんなはタロに感情を伝える難しさを知らない。タロが好きとか愛してるとか、そういう感情をどこまで理解できているのか、一番身近にいるわたしにすらわからないの。
そして、タロを駆動している一番の思いは「独りになりたくない」だ。わたしの好きという感情が、タロの中で孤独で上塗りされてしまったら、わたしには耐えられそうにない。好きという告白には、好きかそうでないかで返してほしい。でも、タロがそれを理解できるかどうかわからない。
ああ、ほら……また堂々巡りになっちゃうよ。
今までなら、ここで足が止まってどつぼってたんだ。それを……もうおしまいにしよう。タロにどこまで伝わるか、タロからどういう返事が返ってくるか。自分の中で勝手にもやもや妄想してオチをつけちゃうんじゃなくて。まず、ちゃんと言葉にしよう。形にして見せよう。
「ああ、すまん。遅くなった」
背後からタロの声がして。心臓がどきんと跳ね上がった。
「話っていうのはなんだ?」
振り返ったら、タロの方がわたしよりずっと不安そう。それを見て、なんか気持ちが落ち着いてしまった。
「あのさ、タロ」
「うん?」
「神家の中で、タロがわたしに言ったこと。変わってない?」
「……」
タロは、ふっと俯いてしまった。
「ダメ、か?」
「ちゃんと質問に答えてほしい。変わってない?」
さっと顔を上げたタロが、食事の時にするみたいにわたしに三拝してから言った。
「変わっていない。俺の嫁になってほしい」
その瞬間、想いが弾けた。わたしはタロの胸に飛び込んだ。
「好き! タロが好き!」
なんか、いろいろ言おうと思ってたけど。それしか言葉が出てこなかった。わんわん泣きながら、わたしは何百回「好き」を繰り返しただろう。タロのことを意識し出してからわたしの中に無限に畳み込まれていった想い。その重みで、わたしはもう潰れそうになっていたんだ。
困ったような顔をしてわたしを抱きとめてくれていたタロが、わたしの頭上でひょいと言った。
「ノリも、俺の請願にちゃんと答えてくれ」
それは……わたしにとって嬉しいのと悲しいのと半々。好き、を、好き、で返してくれないこと。そうじゃないかと思っていたけど、やっぱりそうだったね。でも、わたしは想いを伝えた。それと同じものが返ってこなかったって怒るのは、わたしのわがままだと思う。タロの求婚にまっすぐ答えよう。
「いいよ。承けます」
福ちゃんが言ってたみたいに。恋愛っていうのには、いろんな形があるんだろう。そして、わたしたちのそれは、きっと養殖なんだと思う。神家で何も知らないうちに出会って、始まった二人の歩み。それはまだ
もう一度、タロにだけでなく自分にも言い聞かせるために。返事を繰り返した。
「聞こえた? 承けます」
「ありがとう」
タロはいつものように柔らかく笑っているだけ。でも、わたしを抱きとめている腕に、しっかり力がこもっているのを感じて。
わたしは……どうしようもなく幸せだった。
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