第十八話 ハイジ、犬に慰められる
家を出たタロの生活をはらはらしながら見守っているうちに、いつの間にか中間、期末テストが終わって、終業式が目の前になった。田舎町でも年末は年越しの支度で賑やかになる。乙野高校の生徒も寮生や下宿組は全員親元に帰るから、雰囲気が浮き足立つ。
でも、わたしは帰りたくなかった。おばあちゃんちを離れれば、その間おばあちゃんにもタロにも会えなくなるから。でも、まだガクセイのわたしにそんなわがままは言えなかった。
「はあ……」
「ハイジや。ブルーじゃのう。アルムの山々が恋しくなったかや?」
マリに定番の突っ込みを食らって、思わず言い返す。
「逆だよ。帰りたくねー」
「ほよ?」
「わたしにとっては、ここがアルムだよ。ロッテンマイヤーのいるとこには行きたくねー」
「げははっ! そんなかちんこちんのお母さんかや」
「んにゃ、お母さんは放置系なんだけどさ。親父がなあー」
「まあ、しゃあないじゃん。あたしら、卒業までは縄付きの山羊だよ」
「めー」
「てか、相方はどうした?」
「クララ? 面談だよ」
「ああ、そうか。ハイジは次?」
「そう」
二学期の成績をもとに先生からいろいろと指導が入るけど、まじめにやってれば突っ込まれることはない。そして、わたしはまじめにやってたよ。勉強も、部活も。だから、とんでもない爆弾が落ちるなんて予想もしてなかったんだ。
◇ ◇ ◇
「拝路か?」
「はい」
「入れ」
「失礼します」
進路指導室。待ち構えていた各務先生の表情は鬼のようだった。まず、それに度肝を抜かれた。
「何か、あったんですか?」
「あった。おまえの成績におおごとが」
「は?」
中間のできは今いちだったなあと思ってたけど、点数はそんなに悪くなかった。でも、期末はまあまあだと思ってたんだ。そして、実際の点数もまあまあだったと思う。だから、各務先生の指摘がショックで、目の前が真っ暗になった。
「海洋研究科120人の、百番台。一学期の中間と期末は上位三分の一に入ってたから、急降下どころの話じゃない。底抜けだ」
「ええー? だって点数そんなに……」
「おまえなあ。いつまで中学生でいるつもりなんだよ!」
先生が、全力で怒鳴った。う……。
「いいか? 海洋研究科は、県内だけじゃなくて全国から学生が来る。おまえだってそうだろ?」
「は……い」
「地頭がいい連中ばかりなんだよ。そういうやつらは、基礎を瞬殺して、どんどん応用に取り組む。定期試験の問題じゃ易しすぎて優劣がつかないんだ」
ばさっ! 先生がわたしの前で広げた点数の頻度分布と席次表を見て、絶句する。
「うそ……全教科平均点が80越してるなんて」
「当然だよ。試験問題は海洋研究科専用じゃない。普通科と共通なんだ」
知らなかった……。
「今のおまえの成績だと、普通科でも中位だ。これじゃあ、どの大学にも推薦が出せん」
とんでもなくショックを受けてたわたしに、先生は一切容赦しなかった。
「おまえはぽかが多すぎる。問題を理解していないんじゃなく、集中できてない。それに、一問間違えたら順位がどんどん下がるっていう現状を全然理解できてない」
うるさ型の各務先生が、それ以上一切の説教をしなかったとこ。それが……わたしの最悪の状況を示していた。
「まだチャンスはあるが、次の試験で挽回できないと、普通科転籍ということになる。それを肝に命じてくれ」
「は……い」
わたしの十六年間で、最低最悪のショックだった。これまで、頭がいいと言われたことはあっても、どうしようもないバカだと言われたことは一度もない。でも、今目の前にある現状は、そのまま認めるしかない無残な数字だった。
頭がパニクったまま廊下をよろよろ歩いていたら、生物部の水谷部長に捕まった。
「あー、拝路さん。よかった。ちょっと個別に話があるの」
あとにしてくれないかなと思ったけど、水谷部長は生物部の総指揮者。一部員のわたしには逆らえない。部長のあとにくっついて生物室に入ったら、部長が部屋にがちんと鍵をかけちゃった。
「あ、座って」
「はい」
「ええとね」
部長が、気の毒そうに予想外の話を切り出した。
「一年のうちは共同研究。話し合いでテーマを決めて、その中で分担してデータを取って、それぞれでまとめて、総合プレゼン。そう言ったよね」
「はい」
「あなたのグループの他の部員から苦情が出てるの」
え?
「あなたの分担だけ、データやまとめのクオリティが低いって」
「……」
愕然としちゃった。
「あのね」
「はい」
「乙野高校の海洋研究科。研究ってついてるのは、だてじゃないの」
「はい」
「研究をするには、ものを知ってるだけじゃダメ。自分がなぜそれを知りたいのか、動機をきちんと固めること。それをどうやったら明らかにできるか、手法を探すこと。そして、自分が集めたデータで何が言えて、それをどうアピールするかを考えること。ある意味、アートに近いの」
「う」
冷や汗が出て来た。
「共同研究では全員が高いモチベーションを共有しないと、一番低いところに足を引っ張られる。気の抜けた分担者が混じることは、自分たちを汚される感覚になる。それは裏切りに近いの」
「は、はい」
部長は、淡々と話を続けた。
「夏にいろいろあって、ハンデを抱えたことはわかってる。それが拝路さんに影響してるってことは、ね」
「はい」
「でも、それは拝路さんの事情であって、他の子に迷惑をかける言い訳にはならない」
「は……い」
一枚の紙切れが差し出された。
「退部届け。やめろって……ことですか?」
「そう。生物部は、自由参加の他の部活と違うよ。入部の時に試験を課してるの」
そうだった。
「試験に落ちた子が黙っていないわ。あんなレベルで部員を名乗れるなら私を入部させろ。そう言われたら、断れなくなっちゃう」
大所帯の生物部を仕切っている部長は、情では動かないんだろう。わたしへの宣告は冷徹だった。
「来季。二年は個人でテーマを立てて、自力で調査することになる。その計画書を年明けに出して。研究計画の水準が基準をクリアできてなかったら、レッド。強制退部にはしたくないから、自分から引いてほしいけど。それを受け入れられないなら、技能不足による退部という公告を出さざるを得ない。ごめんね」
恥を公開したくないから、自分からやめて。そういうことか。泣き叫びたくても、涙が出ない。それくらいの、最低最悪のショックだった……。
◇ ◇ ◇
おばあちゃんちに帰って、自分の部屋で布団をかぶってわんわん泣いた。
わたしはガキだ。タロのことを心配できるような器じゃない。まだ自分のことすら自分でちゃんとできてない。どうしようもなく未熟で、バカだ。
夕飯の時に居間にこなかったのを気にして、タロがわたしの様子を見に来たけど。顔を見せたくなかった。バカな自分の姿を見せるのが恥ずかしくて。
「ノリ、どうした?」
返事しないで黙ってたら。タロがぽそっと言った。
「俺をどやす元気があるんだから、ちゃんと使え。もったいない」
タロはそれ以上なにも言わずに、自分の家に帰っていった。
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