第十九話 ハイジ、犬と祈る
思い上がるな! それは、わたしが神家の中でタロにぶつけた言葉だ。そっくりわたしに返って来ちゃった。
自分のことを棚に上げ、タロの救世主のような顔をしてふわふわ漂ってた半年。その間に、わたしは成長したんじゃなくて、ものすごくたくさんのものを時の隙間に落としてしまったんだろう。
わたしは帰省を取りやめることにした。両親には成績不良で厳しい警告を受けたこと、部活も取り組みに真剣さが足りないと退部勧奨されたことを正直に伝え、年明けすぐに研究計画書を作らないとならないからと説明して、雑念を振り払うことにした。たぶん……学校から親にも通知が行ってると思う。わたしがタロといたいからっていう邪道な理由でないことは、わかってくれるはずだ。
本当にしゃれにならない。だって今の成績のままじゃ、乙野高校に残る理由がなくなってしまう。普通科なら呉の高校でいいじゃないか。親にそう言われても、一切反論できない。タロのことは一度棚上げにして、自分のことに集中しよう。自分がぐらぐらじゃ、タロにすら呆れられてしまうだろう。今は、タロの方がずっと進化してるから。
使えるものは親でも使え。その精神で、タロがお世話になってる水試の所長さん、黒部さんにわたしが夏にまとめたレポートを見てもらった。黒部さんはとてもフランクで朗らかな人だけど、仕事が絡むとがらっと態度が変わる。返ってきたコメントは超辛口だった。
「水産ちゅうのは、利益が出てなんぼじゃ。俺らが何か調べる時には、それやってなんぼ儲かるちゅう下衆な話をせんとならん」
「なるほどー」
「のりちゃんのは、そこがどうにも弱いのう。
部長よりはソフトな言い方だったけど、黒部さんの言ってることも部長と全く同じだった。
「一つ例を出そか」
「はい!」
「ベラの仲間にキュウセンちゅうのがおる。こっちではギザミちゅうとる」
「あ、食べたことあります。おいしいですよね」
「はっはっは。そうじゃな。キュウセンはな、最初は全部雌じゃ。成熟して大きうなると雄に変わる」
「えええっ!?」
「売れるんは、主にサイズのある雄ちゅうことじゃ。おもしろいじゃろ?」
「はい。知らなかったー」
黒部さんが、太い指をわたしの目の前にぽんと突き出した。
「今。のりちゃんはおもしろい言うたじゃろ」
「はい」
「それぇ、二回目に聞いても、おもしろいと思えるか?」
がああん……。
「事実ちゅうのは、どこかに引っ掛けてつないでいかんと残らん。ただおもしろいだけなら使い捨てじゃ」
うう、部長が言った動機が弱いってそういうことだったのか。
「ほいでな」
「はい」
「魚種の調査は、俺らもよくやっとる」
「タロから聞いてます」
「それと同じことするんは、無駄じゃと思わんか?」
がああん……。
「そうか……」
「俺らが銭を使うてやるレベルのことは、高校生ののりちゃんには絶対にできん」
「そうですね」
「じゃあ、どうすればええ?」
そこが手法を考えろってことなんだ。そっか……。
「三つ目」
「はい」
「調べましたー言わんでも、データは見りゃあわかる。じゃあのりちゃんは、俺らには見えん何を見せてくれる?」
うう。全然……考えてなかった。
「部長さんに、研究ちゅうのはアートじゃ言われたんじゃろ」
「はい」
「魚はそのまま食えるが、アートは食えん。じゃけんど、芸術家は吐いて捨てるほどいっぱいおる。なぜだと思う?」
わからない。思いつかない。
「ううう」
「はっはっは。簡単じゃ」
「どうしてですかー?」
「夢があって楽しいからじゃ」
黒部さんが、にっこり笑った。
「おまえー、よくこんなばかなこと考えよるなーちゅうんが、研究っちゅうもんじゃ」
「そっか……」
「やれー言うてやらされてる間は研究にならんのう。それは水産加工場で魚さばいてるおばちゃんと同じじゃ」
黒部さんが、窓の外に広がっている養殖池をぐいっと指差す。
「あがいなでかい入れ物あったら、何ができるかなあ。わくわくしながらそれぇ考えるんが、研究ってもんじゃろ」
はあああっ。だめだあ。部長にどやされた、そのまんまだ。
ぎしっ。椅子を鳴らして黒部さんが立ち上がった。
「なあ、のりちゃん」
「はい」
「太郎を好いちょるじゃろ」
「う……」
いきなりの突っ込みをかわせなくて、真っ赤になっちゃった。
「それも研究じゃ。全部そろっとる」
「ああっ!!」
そうか。確かにそうだ。なぜタロが好きなのか、自分で納得いくまで考える。どうやったらタロに気持ちが伝えられるか、方法を考える。タロとどうしたいのか、そこをアートする。
「楽しいことなら全力でできる。がんばれ」
黒部さんは、タロとは違ったやり方でわたしを励ましてくれた。
「ありがとうございましたっ!」
◇ ◇ ◇
タロ絡みで考えたいことは山ほどある。でも、それを考える前に自分自身のことを頭痛がするまで考えないとならない。年末年始はねじり鉢巻で、勉強と部活の遅れを取り戻すべく机にずっとかじりついていた。
タロとの時間を作れたのは、元旦に浜岡神社に初詣に行った時だけだった。祈ったことはただ一つ。タロとのことをちゃんと考えられるようになるくらい、わたしが成長できますように。それは、ずいぶんと曲がりくねったお祈りだったかもしれない。でも今のわたしのままじゃ、すぐ退場になってしまう。それじゃあ、タロを神家から連れ出した意味が何もなくなる。
わたしの祈りは、ものすごく切実だったんだ。
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