第十七話 ハイジ、犬を送り出す
楽しかったことのあとには、がっかりが待っていた。学園祭が終わってすぐに、タロがおばあちゃんの家を出たんだ。おばあちゃんちと大野さんの家とは五十メートルくらいしか離れてないから、わたしは大げさに悲観しすぎなのかもしれない。
でも。タロがうちに来てからずっと感じ続けていた、ほわっとした存在感がなくなって。そこに大きな穴がぽっかり空いた。家の中だけじゃなくて、わたしの心の中にも。おばあちゃんも、無意識にタロを起こそうとして手が空振ることが何度かあって。慣れんもんじゃとぶつぶつ文句を言ってる。
それでも、朝晩のご飯の時にはまるで本当の家族のようにタロがテーブルに着く。わたしは……それだけで十分満足しないとならないんだろう。もぐもぐご飯を頬張りながら、部屋がどうなっているのか聞いてみる。
「ねえ、タロ。電化製品とか家具とかどうしたの? 買ったの?」
「ほとんど必要ないんだが、ないと不便だと所長に言われて」
「うん」
「中古を分けてもらった」
田舎だと、これがないあれがないと誰かに話をすれば、大体のものは「あげるよ」っていう人がいるから、それで揃っちゃう。
「買い替えの時の古いのが、ぽつぽつ出るもんね」
「ああ。俺はそれで間に合う」
「あとで見に行っていい?」
「かまわんが」
そう、タロの引っ越しは、拍子抜けするくらいにあっという間だったんだ。新居に必要な大物は小野さんと所長さんとでもう運んでくれてたし、うちから持ち出すタロの私物は何もなかった。本当に身一つ。
所長さんが気を利かせてくれなかったら、がらんどうの家に布団だけってことになったんじゃないかな。それは、神家でわたしが見た光景と何も変わらないと思う。
そうなんだよね。わたしがなんでこんなに寂しいって感じてるか。わたしの気持ちの変化とか想いに、タロがこれっぽっちも気づいてくれないからだ。一緒にいる時にすら伝わらなかったことは、離れたらもっと伝わらないんじゃないかな。それが……気になって気になって仕方がないんだ。
最初にがっつりどやした、タロの薄味な感情。それは、わたしに付いて神家を出たあとも全然変わってない。もっと薄くはなってないと思うけど、わたしが期待してたほど濃くもなってないんだ。それに……ものすごくがっかりしてるわたしがいる。
「はあ……」
◇ ◇ ◇
夕飯のあとで、タロの新居に行ってみる。
空き家になってからまだ一年もたってないって聞いてたけど、大野さんの家の中はずいぶんくたびれているように感じた。物理的に傷むっていうより、主人を失って魂が抜けるっていうのに近いかもしれない。タロの気配が加わることで、元気を取り戻してくれればいいけど。
「思ったよりきれいだね」
「俺には十分すぎるよ」
目を細めたタロが、くるっと居間を見渡した。
「他になにか要るものある?」
「いや、とりあえずこれでやってみる」
タロのそっけない返事を聞いて、思わず苦笑しちゃう。ほんとに、これ欲しいあれ欲しいがないもんなあ。服もあるものを選ばずに着るし、どんな電化製品もあれば便利だけどなければそれで構わないって感じ。究極の自然派だ。いくらお給料が安いって言っても、かかるのが光熱費と食費だけならお釣りが来ちゃうだろう。
「なんか足りないものがあったら言って。調達手伝う」
「すまんな」
小さな平屋って言っても、それなりに部屋数はある。でも、タロは居間だけで全部済ませるんじゃないかな。これなら、神家と大して変わらないね。
「あれ? テレビとかは?」
「いらない。苦手なんだ」
知らなかった。おばあちゃんはすぐにテレビつけちゃうけど、タロはテレビに関心なかったんだな。
関心がない……かあ。心を動かすための原動力や燃料って、何かに関心を持つことだと思うんだけど、タロのそれはうんとこさ少ない。今のところ、わたしに対してちょっぴりあるっていうだけ。そこが……心配なんだよね。
タロのこだわりのなさは、タロのポリシーとか好みっていうことじゃなくて無関心から来てるんだ。物に対してだけじゃなくて、人に対しても無関心。前よりは、人との距離を近づけようと努力してるけど、話題が続かないと雰囲気が重苦しくなるから、すぐ黙っちゃう。
おばあちゃんもわたしもよくしゃべるから、わたしたちからのアプローチはすんなり受け入れるし、だからこそ会話になる。でも、クララと最初に会った時みたいに、タロからのアプローチがなければ、みんなそこで会話を打ち切っちゃうんだ。水試で他の人とちゃんとコミュニケーションが取れてるのか、心配だよ。
今の状態じゃ、わたしの気持ちに気づいてくれることはまだまだなさそうだなあ……。
がらがらの部屋を一緒に見回していて、ふと気づいた。
「ねえ、タロ。朝は、自力で起きられてる?」
「あ……」
今までは、そして今も、おばあちゃんが起こしてるんだよね。おばあちゃんは早起きだから、タロが起きてから水試に行くまで十分時間がある。でも、普段からぼーっとしているタロの寝起きは、ほとんど石。動かないってか、動けない。本当に自力で暮らすなら、家を出る時間から逆算して起きないと遅刻ばっかになっちゃう。
「目覚まし時計がいくつかいるなあ。それに」
「まだ何かいるのか?」
「今まではうちに同居だったから連絡に苦労しなかったけど、電話がいるよ」
わたしがスカートのポケットからスマホを引っ張り出したら、タロが首を傾げた。
「それは。なんだ?」
こりゃあ、告白以前にまだまだ社会訓練が必要みたい。先は長いなー。とほほ。
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