第十五話 ハイジ、犬と父親を取りなす
もやあっとした想いを持て余しているうちに、学園祭の前日になってしまった。そんで今、親がこっちに来てる。両親が来たのは高校の入学式以来だ。お盆はお父さんの方の実家、横浜に行ったから、こっちには来なかったんだよね。人が五人になったおばあちゃんの家は、すごく賑やかになってる。
おばあちゃんとお母さんは久しぶりの親子の会話を楽しんでて、台所がとっても賑やかだ。それはいいんだけど、反動が全部居間に流れ込んでカオスになってるわけだよ。お父さんとタロの間になんとも言えない微妙な空気が漂ってて、間に挟まってるわたしはめっちゃしんどい。何がしんどいって、二人揃って相手の立場とか状況が全然わかってないんだ。
お父さんは、タロが記憶を失っているんだという前提をすぐに忘れる。根ほり葉ほり、タロの魂胆を聞き出そうとするんだ。だあかあらあ、何も覚えてない人に突っ込んだ話したって意味ないでしょ!
タロはタロで、娘を持つ親なら当然するであろう心配を全然理解できてない。この人はなぜしつこく俺に絡むんだろうって、そういう困惑を露骨に顔に出す。
なんちゅうか。どっちも日本語しゃべってるのに、わたしが無理やり通訳しないとならないって、おかしくない? うう。
外国人同士っていうより異星人同士みたいな会話は、タロがトイレに行くって逃げたところで一旦途切れた。わたしは思い切り脱力する。
「はああああっ……。ねえ、お父さん」
「なんだ?」
「無くした記憶を思い出させようとするなら、お父さんのやり方はまるっきり逆効果だよ」
「どうしてだ?」
「お父さんが聞き出そうとしてることは、もう小野さんや児玉さんが何度もタロに聞いたことだから」
わたしの指摘に、お父さんがしぶぅい顔をした。わたしはお父さんを嫌いではないけど、時々鼻持ちならないなあと感じることがある。大手機械メーカーの技術部長っていうポジションにいるせいか、すっごい上から目線。相手と同じ目線まで下げて考えることができない。それに、いろんなことを無理やり理屈で説明しようとする。
わたしは好きでリケジョになったわけじゃなくて、お父さんの指図に理詰めで対抗してるうちにこうなっちゃったんだ。お父さんは、それに全然気づいてないと思う。さすが俺の娘だとか思ってるんじゃない? あほか。お母さんも、よくこんな理屈っぽい人を好きになったもんだと思うけど、それこそマリが言ったみたいに蓼食う虫も好き好きなんだろなあ。
会話が不毛なエンドレスループ発動にならないよう、お父さんにしっかり釘を刺す。
「ねえ、お父さん」
「なんだ」
「ミスをした部下に、ミスを繰り返させないためにはどうするの?」
「は?」
いきなりタロの話から離れたから、お父さんがびっくりしてる。
「そらあ、ミスをしないよう、正しい操作や手続きを教えるしかないだろ」
「うん。わたしもそう思う。でも、お父さんが今タロにしてるのは、なんでおまえはミスするんだって責めてることなんだよ?」
「む……」
はあっ。もう一度しっかり言わなきゃ。
「過去を思い出せない人にどうしても過去を思い出せっていうのは、取り返しのつかないミスを過去に戻ってやり直せっていうのと同じくらい無茶なの。わかる?」
わたしにやり込められたのが不愉快なんだろう。お父さんがむすっと黙り込んだ。
「もう一つ。もしお父さんがタロの記憶を無理やり引っ張り出して、それがタロの命に関わるような出来ごとだったら、お父さんは思い出させたことに責任を取れるの?」
「もういいっ」
ぷいっと顔を背けたお父さんは、すねたように外に出て言った。わたしとお父さんのやり取りを見ていたのか、戻って来たタロがこそっと謝った。
「すまん。なんか俺が失敗したんだろ?」
「いやー。お父さんはああいう人。タロだけでなくて、誰に対しても偉そうな態度なの」
「そんな風には感じなかったが」
「まあね。慇懃無礼っていうか」
「ふむ」
「お父さんなりに、わたしのことを気にしてくれてるのはわかるんだけどね」
「そうなのか?」
もし。もし、わたしが本気でタロへの気持ちを確かめたり、固めたりするなら。タロではなく、わたしが一度タロの影響圏を出なければいけないんだろう。今度はタロにもダメを出しておこう。
「お父さんの心配は当然なの」
「どういうことだ?」
「血縁のない未婚の男女が同居する。それは周りからよく思われないの」
「……」
「うちは、おばあちゃんがいるってことと、タロの記憶喪失が同居の言い訳に使えてるけど」
「それが、そろそろ……ってことだな」
「うん。タロは水試で働きだして、お給料をもらうようになった。今の状況はどんどん不自然になるの」
俯いてしまったタロが、ふっと息をついて顔を上げた。
「それについて。話がある」
「うん」
「所長さんに。住むところを紹介してもらったんだ」
「えっ? ほんとに?」
「この並びに空き家があるだろ」
「大野さんとこね」
「そうだ。今、売りに出されてるんだが、売れないらしい」
そうだろなあ……。ここも、田舎のご多分に漏れずどんどん過疎化してる。高校が有名になって若い人が一時的に増えてるって言っても、ここに残ってくれる人はほとんどいない。みんな、卒業と同時にここを離れてしまう。町の人口を増やす役にはあまり立ってないんだ。今は、わたしみたいに下宿してる子がいっぱいいるけど、将来的には受け皿がなくなって全寮制になっちゃうのかなあって、そう思う。
「そこを借りるの?」
「ああ。所長さんの話だと、お金はいらないらしい。誰かが住んでくれれば家が荒れにくいからと」
「そっかあ。そこは田舎の良さだなあ」
「助かる」
「家事はどうするの?」
「覚える」
タロはきっぱり言い切った。まあ、タロには物に対する執着がほとんどないから、掃除も洗濯も楽だと思う。炊事もお刺身さえあれば、あとは要らないって感じだもんね。
また一歩。タロが、わたしを置いて遠くに行ってしまう。わたしはそれを望んでいたはずなのに……ものすごく寂しい。
「いつ? いつ、ここを出るの?」
「ノリの祭りが終わったらすぐに」
「うん……わかった」
「ただ」
そのあとずっと俯いていたタロが、小声でぽそっと言った。
「
思わず泣きそうになっちゃった。
「ううん! わたしは嬉しい。おばあちゃんも喜ぶと思う」
「必要なお金は払う」
「わかったー」
ああ。お父さんの心配は、タロがここを出ればぐんと少なくなるだろう。でもタロがここを離れることで、わたしの心の揺れは大きくなる。お父さんにそれは……わかんないだろうなあ。
「ご飯だよー」
お母さんの声がして、刺身が山盛りの大きなお皿が運ばれてきた。
「のりちゃん、パパ呼んできて」
「わかったー」
まあ……お父さんはいいんだけど。お母さんの態度や感情が今いちよくわかんない。不気味なほど冷静っていうか。わたしとタロのこと、どう思ってんだろ? ああ、めんどくさ。はあ……。
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