第六話 ハイジ、犬と朝ごはんを食べる

 タロは、とりあえず一日で神家内外の環境差を乗り切ったみたい。今朝はもう起きてて、客間でぼーっとしてる。


「タロー。朝ごはんだよー」

「うん?」


 わたしを見てこくんと首を傾げたタロが、変なことを言った。


「朝にもがあるのか?」

「へ?」


 ど、どういうこと? ちょっと考えて、もしやと思ったんだ。


「ねえ、タロ。もしかして、神家では一日一食とか?」

「いや、もっと少ない。数日に一回、下手をすれば月に一回だな」


 おいおい。神家の中ならいいけど、それじゃあここで保たないよー。


「昨日の晩ごはんくらい食べなさいとは言わないけど、ちょこっとでも口をつけて」

「わかった」

「たぶんね、あそこよりここの方がお腹空くと思うよ」

「なぜだ?」

「こっちでは、いっぱい動かないとならないから」

「む……」


 それは、タロにとって想定外だったんだろう。動くのは嫌だなあという感情がはっきり顔に出た。


 わたしは、神家の中に居た時に、そこの狭さにびっくりしたんだよね。十二の神で空間を分けてるせいもあるんだろうけど、閉所恐怖症の人なら泡吹いて倒れるくらいの狭さだった。独房みたいなとこにじっと座ってるだけなら、お腹なんか空くわけないじゃん。運動量少なすぎ。どうして動かないとならないかは、後からゆっくり説明しよう。


 早起きのおばあちゃんは、いつものように岩場に出てあおさを採ってる。もう戻って来る頃だ。おばあちゃんがいるところではこんな会話ができないから、朝ごはんが済んだら外に連れ出そう。


「のりちゃん、太郎さんはもう起きちょる?」


 あ、おばあちゃんが戻ってきた。麦わら帽子を外して、腰につけてた小さなびくをわたしに手渡す。中には摘みたてのあおさが入ってる。わたしは、さらっと答えた。


「起きてるよー。朝ごはんだよーって声かけた」

「青海苔採ってきたけん、お味噌汁に入れぇ」

「はあい」


 豆腐と海藻とねぎだけのシンプルなお味噌汁。お湯の中で寝ていた豆腐がくつくつ揺れ出したところにお味噌を溶いて、最後にあおさを放つ。ぱっと磯の香りが漂って、あおさの色が一段と鮮やかになった。最後にちょっとだけねぎを放して、と。


 ご飯とお味噌汁、開きアジの焼いたの、おしんこ。絵に描いたような和食の朝ごはんだ。もちろん、おばあちゃんに合わせてる。うちの朝はパン中心だったからこっちに来たばかりの頃はとまどったけど、今はすっかり慣れた。横浜の友だちに話したら、びっくりしてたけどね。ノリにそんな生活できんのって。ただの和食だったら、うーんと思ったかもしれない。でも、ここのは食材の鮮度が全然違うもん。何を食べてもすっごくおいしいんだ。


 お盆にご飯とお味噌汁を乗せて運び、テーブルに並べる。あ、タロが来た。


「おはよう」

「うむ。おはよう」

「もうちょっとでアジが焼けるから、そしたらいただきますにしよ」

「ああ」


 タロが、お味噌汁を見て固まってる。昨日は「おあずけっ、よしっ」という感じだったけど。今日のタロの顔に浮かんでいるのは不安だ。これは食べられるんだろうかって顔。


「ああ、タロ。無理しなくてもいいよ。昨日、晩ご飯をいっぱい食べたでしょ? 朝ご飯は量を調整したげる」

「助かる」


 ほっとしたように、タロがわたしに向かって三拝した。


「いただきます」

「どうぞー」


 まだぱちぱち言ってる焼きたての開きアジをテーブルに運んで、朝ごはんのスタートだ。

 おばあちゃんは、いつもみたいにテレビをつけてニュースを見始めた。アナウンサーの声を通奏低音みたいに聞き流しながら、黙々とご飯を食べる。いつもはおばあちゃんと賑やかにおしゃべりしながらの朝ごはんなんだけど、記憶喪失の人に話しかけてもと思ったのか、おばあちゃんは黙ってる。雰囲気が重いなと思って、あえて話しかけた。


「ねえ、おばあちゃん」

「うん?」

「このあと、老セン行くんでしょ?」

「行くが。昼も向こうで食べてくるけん」

「わかったー。たぶん、タロのことで駐在さんが来ると思うから、わたしたちはそのあと出かけるー」

「小野さんにハタのお礼言うといて」

「うん」


 昨日と違って、わたしたちよりも少ない量の朝ごはんに苦戦していたタロは、なんとか完食して頭を下げた。


「ごちそうさま」

「おそまつさまー」


 昨日の晩ごはんもそうだったけど、タロはどうも火を通した料理が苦手みたいだな。熱いからってことじゃなくて、そもそも生系しか食べてこなかったのかもしれない。晩ごはんの時には、お刺身を必ず組み込むことにしよう。お酒が好きだったおじいちゃんもお刺身必須派だったから、違和感はないよね。


「それにしても、なあ……」


 台所で食器を洗いながら、ぷっとむくれる。タロは確かに穏やかだし、礼儀正しい。でも……自分から何かしようっていう気がさらさらないんだ。今も客間でぼーっとしてて。わたしやおばあちゃんが身の回りのことをしているのを、当たり前ーみたいな顔でつらっと見てる。神様ならそれでいいのかもしれないけど、今はただの犬男じゃん。その態度はいかがなものか。


 まあ、今はまだいいけど。今は、ね。でもその態度のままなら、わたしは結局ノーサンキュー。プロポーズを受け入れるどころか、カレシとしても問題外でしょ。第一印象でどかあんとフォールインラブってことじゃなければ、女の子は男の子チェックが厳しいんだよ? いきなり拉致られたわたしは、タロの第一印象最悪なんだし。そういう現実を、タロにしっかり知ってもらわないとね。


「ふうっ」


 今日も夏らしいすかっ晴れ。台所から見える海の青が強い日差しで褪せてきた。日中は暑くなるから、午前中のうちに行動しなきゃ。これからがタロの慣らし本番だ。夏休みも残り少なくなってきたし、忙しくなるぞー。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る