第七話 ハイジ、犬を駐在さんに会わせる
「のりちゃん、居るかい?」
「はあい」
朝ごはんが済んですぐ。おばあちゃんが、巡回バスに乗って老人福祉センターに出かけた。入れ替わりで、駐在所のおまわりさん、児玉さんが、開けっ放しの玄関に首を突っ込んだ。児玉さんが来るまでは出かけられなかったから、このタイミングで来てくれたのはすごく助かる。
付き合いの長い地元の人ばかりの小さな港町では、着任してまだ三年の児玉さんはわたし同様ヨソモノに近い立場だ。四十過ぎで、独身。年相応の中年ぽさはあるけど結構ダンディーで、お堅いおまわりさんらしくない。でも人懐こい性格でお酒も強いから、町の人たちにはすごくモテる。がらっぱちなおばちゃんたちにいつもいじられてるけど、からっとしてる児玉さんは全然気にしない。とことんカントリーライフを満喫してるっていうか。確かに、こんな小さな町じゃ泥棒なんか潜みようがないもんね。
タロを連れて玄関に行ったら、児玉さんがタロをすいっと見回した。
「記憶喪失っていうのは彼かい?」
「そうですー」
「思った以上に男前だなあ」
「あはは……」
とことん平和な田舎町にとって、タロの出現は久しぶりの大事件だったわけで。小さな子供からじいちゃんばあちゃんまで、タロのことはもう広く知れ渡っているらしい。まあ、情報源が小野さんだからなー。
「児玉さん、彼の身元を探す手がかりが何か見つかりそうですか?」
「いや、家出人の届け出とか、何かトラブルに巻き込まれたとか、身元につながる有力情報が何かあればいいんだけど、さすがに名前だけじゃ探りようがなくてね」
そうだろなあ。ってか、偶然にでもそういうのがあってもらっちゃ困るんだ。
「小野さんが変わった名前だって言ってましたけど、参考にならないですか?」
「字がわからないからね。いぬかんや……かあ。最初のは犬だろうけど、後ろがなあ」
うっ。タロに、それで行こうって言っちゃったけど、漁師さんなら見当ついちゃうかも。神家は、漁場なんだよね。突っ込まれるかもってひやひやしたけど、児玉さんには全くそっち系の知識がないみたいであっさりスルーされた。
「まあ、町役場の福祉課にも話を通して、対応策を考えます」
「助かりますー」
「ええと。太郎さんも、何か思い出す努力をしてね」
「はい」
タロは、素っ気なく返事だけを返した。ぼーっとしてるタロを見て、児玉さんが首をかしげる。
「君は、思い出せないことがあっても不安じゃないのかい?」
し、しまった! そっち方面から探りが入ると思わなかった! どうしよう!?
めっちゃ焦ったけど、タロの返事は模範解答だった。
「俺は。まだ……何がなんだかわからないので」
「そりゃそうだ。昨日の今日だもんな」
「はい」
ほっ。タロ、ナイスアンサー!
児玉さんは、尻ポケットにねじこんであった黒い手帳を引っこ抜くと、それをぺらぺらめくって何やら書き込んだ。それから、手帳を乱暴に尻ポケットにねじ込み直して。ひょいと表札を見上げた。
「のりちゃん」
「なんですかー?」
「表札が賑やかになるなあ」
あ。確かにそうだー。
「おばあちゃんが
「いぬかんや太郎ってこったね。はっはっは!」
からっと笑った児玉さんは、手を伸ばしてタロの肩をぽんぽん叩いた。
「あんたは運がいいよ。名前だけでも思い出せたんだ。本当に全部真っ白けになっちまうと、自分の置き場所探すのに苦労するからな」
「児玉さん、そういう人がいるんですか?」
そしたら、児玉さんから溜息つきの重たい返事が。
「ホームレスの人たちさ。彼らの中には過去を無理やり切り捨てようとする人が結構いる。絶対真っ白にはできないのに、真っ白にしようとしちゃうんだよね」
「うわ」
「実際のところ、真っ白じゃ社会から何も得られない。だから、彼らは居場所の確保に苦労するんだよ」
そっか……。
背後の海原を見返した児玉さんが、笑顔を取り戻す。
「こういう郡部は人と人とのつながりが濃いから、自分を見失っちゃう人はうんと少ない。私にとっては天国さ。はっはっは!」
「そっかあ」
「じゃあ、引き続き身元の確認を続けます。のりちゃんも、彼から何か聞き出せたら教えてね」
「はい!」
「それじゃ失礼します」
鼻歌を歌いながらミニバイクにまたがった児玉さんは、あっという間に小さくなっていった。タロが、児玉さんの後ろ姿をずっと目で追ってる。
「タロ、どしたの?」
「あの人は……いい人だな」
「てか、ここの人はみんないい人だよ。わたしはすっごく暮らしやすい」
「そうか」
これで、スポークスマンの小野さんと、グランドサポーターの児玉さん、両輪を確保できた。まだ学生のわたしに直接できることはすごく限られてるから、信用できる大人にタロのガイドを頼めるのはすごく助かる。さあ、これでやっと話をする条件が整った。
「タロ。出かけるよ」
「どこへ?」
「こっからちょっと高台に上ったところに、小さな公園があるの。公園ていう名前はついてるけどほとんど人が来ないから、突っ込んだ話をしやすい」
「突っ込んだ話、か」
「そう。早くその話をしておかないと」
「どうなるんだ?」
「わたしじゃなく、タロが破滅する」
タロは、がっくりうなだれた。
「わかった……」
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