ルポ・39:伝説の存在

 ハンナにより示された、マリアヴェーラを助けられる可能性。

 ジェシカの同意も得たそれは、確かに希望であると思える。


「ハンナ……なぜ、そんなことを教えてくれるの……?」


 だが、リンにとっては俄かに信じ難い事なのであろうか、戸惑いがちにハンナに問うた。それも無理はないだろう。ハンナにとって、リンは婚約者を奪った憎い存在であるはずなのだから。


 だが。


「……言ったでしょ。貴女は憎いけれど、アランの忘れ形見であるマリアヴェーラは憎めなかったって」


 ハンナは、リンを見詰めながら静かに答える。


「最初はマリアヴェーラも憎く思えたけれど、育って来たあの子の顔立ち……特に、あの優し気な瞳は。リン、貴女ではなくアランにそっくりじゃない。そんなあの子が苦しむ姿を見たくないのは偽りのない本音だわ」

「ハンナ……」


 リンの瞳から涙が零れる。

 そう、確かにハンナはアランを深く愛し、そしてその忘れ形見であるマリーをも愛していたのだった。


「まあ、私も含めアラン、リナヴェーラ、ハンナは良くも悪くも幼馴染だしね。みんなで遊んだ幼い頃のままって訳にはいかないけれど、ハンナの気持ちに嘘は無いと言うのはキミにも解るだろう」


 微笑んだジェシカに肩を叩かれ、リンは零れる涙を拭いた。


「……ありがとう、ハンナ。ジェシカも」

「私は何もしてないよ」

「貴女からの御礼なんて要らないわ。私は私のしたいことをしているだけ。それよりも、早くマリアヴェーラの治療計画を立てないと。そう言えば、あの指輪は……」


 ハンナが、指輪の無くなった自分の指を見ながら呟くと。


「うむ、私が預かっている。これだな」


 ガーランドが、ハンナの指から抜き取った指輪をジャケットのポケットから取り出した。


「とりあえず、私が預かろうか。ハンナもそれで良いかい?」

「構わないわ。あ、でも……」


 ジェシカに答え掛けたハンナが、気まずそうに口籠る。


「でも、その指輪……というか、ゲパルツⅢも併せて私が勝手に持ち出したものだから。自治魔導士評議会と国家総合技術省の認可……最終的には国王陛下の許可が無ければ勝手な事は出来ないわ……」

「あ、そうか。それは困ったね……」


 ハンナの言葉に、ジェシカが眉を顰めた。


「それは私がなんとかしよう。今回の件全て、私が預かる事にする。ハンナ魔導士、君は私の依頼によりマリアヴェーラの治療のために指輪とゲパルツⅢ……いや、ヴェスティを持ち出した事にしたまえ。自治魔導士評議会と国家総合技術省に話を通すのはちと面倒だが、マリアヴェーラの容体が悪化したので急遽必要になったと言う事で陛下に取りなしてもらえば恐らく問題あるまい」


 すると、様子を見守っていたガーランドが、指輪をジェシカに渡しつつそう言った。


「……宜しいのですか? しかし、それでは私の違法行為を罰する事も出来なくなってしまいますが……」


 ハンナが戸惑いがちに答えると、


「構わない。一人でも死人が出ていれば難しかったが、ゲン殿とカブ殿のおかげでそれも防がれたし、騒動そのものが我が屋敷の敷地内だけであったからな。どうとでもなる。それに……」


 ガーランドは、ハンナに向かって微笑みながら言葉を重ねた。


「それに、だ。幼い頃、厳しい私の目を掻い潜ってリナヴェーラを外に連れ出してくれた君たちのおかげで、あの子はここまで自立心を持つ事が出来たのだと思っている。もちろん、アランも含めてな。その、ささやかな礼の一つとでも思ってくれたまえ」


 その、ガーランドの言葉に一同は顔を見合わせる。


「お父様……」

「侯爵様、ありがとうございます。私の処遇についてはまた後程ご相談させて頂くとして、今は何よりもマリアヴェーラの件を進めましょう」

「そうだね。では、先ほどのハンナの話から思いついた私の腹案を話そう。あくまでも、理論的には可能かもしれない、という前提なんだけれど……」


 ジェシカが語り出した腹案とは、至極シンプルなものだった。


 人造魔宝石ディグノモンドの嵌め込まれた指輪にマリーの溢れる魔力を貯蔵し、指輪からも溢れそうになったら、もしくはある程度まで魔力が貯まったらヴェスティに受け渡して消費してもらう、というものだ。


「どうかな? ハンナ。先ほどの君の様子を見ていると、不可能じゃないと思うんだけれど」


 ジェシカの問いに、ハンナが答える。


「ええ、可能だと思うわ。ただ、いくつか難しい点が有るの。まず一つ、人造魔宝石ディグノモンドに吸わせる魔力量のコントロールが極めて難しい。先ほどの私も、自分の意思に関係なく多くの魔力を吸われて枯渇しそうになって焦ったわ。またその逆に、人造魔宝石ディグノモンドから従機械生命体マリオニクス……いえ、ヴェスティに受け渡す魔力のコントロールも難しい。これをコントロールするには、非常に繊細かつ微妙な調整セッティングが必要になる……」

「なるほど。そういった技術は魔力医としての私は専門外だからね……」


 難しい顔で黙り込む二人の専門家。

 厳としても何か力になりたいが、どうにも口を挟めるとは思えない。


(うーん……)


 ジェシカとハンナに倣い、厳も難しい顔で黙り込んでいると。


「そんなの、主が調整セッティングすれば大丈夫だよ。なんたって、主は創造者マイスティンなんだから」


 ひょい、と顔をのぞかせたカブが得意満面のドヤ顔で言い放ち。


「な、なんですって!? 創造者マイスティン!?」

「本当かい!?」


 ハンナとジェシカがガタ、と立ち上がりつつ叫ぶ。


「マ、創造者マイスティン!? ゲン様が!?」


 それに少し遅れ、リンも驚愕に叫び声を上げた。


「……まあ、そうだろうな。ゲン殿があの伝説の異邦者デーフレムドであるのならば、同時に創造者マイスティンで有ってもなんら不思議ではない。いや、今思えば両者を併せ持つからこその伝説、なのだろうな」


 そして、ガーランド侯爵のみが得心したように呟くと。


異邦者デーフレムドですって!?」

「ゲ、ゲン様が異邦者デーフレムド!?」

「……ははっ。私はもう驚きすぎて言葉が無いよ」


 その呟きを聞いた三人がまたしても驚愕し。


「……うわあ、なんかもんのすごくハードルが上がった予感……カブちゃん、勘弁してくれよー……」


 ドヤ顔のまま、隣にやって来たカブに向かって厳がごちる。


「ふふ、ごめんね主。でも、マギーも言ってたでしょ。主と私は全次元記録層アカシャ・クロニカに示されていた存在だって。私は全次元記録層アカシャ・クロニカに直接アクセスすることは出来ないけれど、主と深い縁を持つ機械生命体メカニクスなら、動物で言うところのにそれを理解しているんだよ」


 カブはペロリと舌を出してから、かつてハルピュイアの長のマギーが語っていた言葉を口にした。


「だからそれ、クッソめんどくさそうで嫌なんだってばさ……」


 うんざり顔の厳がイヤそうに言うが、


「でも、そんな主だからマリーの事を助けられるんだよ? それとも主はマリーを助けたくないの?」


 なぜか嬉しそうなカブにそう煽られ。


「カブちゃん……ホントそういうとこさあ……あーもう解ったよ。やるよ、やるともさ!」


 ぐうの音も出なくなり、両手を上げて降参した。



全次元記録層アカシャ・クロニカ、か……まさかそんな単語を聞かされることになるとは。」


 そして、厳とカブ以外でその言葉を理解できたのは、この場においてはガーランド侯爵のみ。


「……お父様、なんなのですか。その、全次元記録層アカシャ・クロニカって……」


 理解できなかったものの代表として、と言う事ではないだろうが、リンがおずおずと父に尋ねる、が。


「今はまだ、お前たちが知るべきではない。だが、ゲン殿がこの世界に顕れ、そして

従機械生命体サーヴァニクス……いや、カブ殿と共に旅をしていると言うのならば」


 ガーランド侯爵は言葉を区切り、天を仰ぎ。


「近い将来、知らざるを得なくなるだろう。そして恐らくは、この世界に大きな変革が齎されるはずだ。だからそれまでは、知る必要はない……いや、知るべきではないのだ」


 再び視線を娘に戻し、僅かに微笑みつつ、幼子に諭すごとくそう伝えた。

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