ルポ・33:慟哭と歓喜
「失礼致します。マリアヴェーラ様が御到着なさいました」
ドアの外から掛かった声に、執事のバリアンスが素早くドアを開ける。
「母様……」
すると、メイドに連れられたパジャマ姿のマリアヴェーラが、荒い息を吐きつつ、今にも泣きそうな様子で現れた。
「マリー!」
リンはマリアヴェーラに駆け寄り、抱き上げようとする。
「失礼致します」
だが、マリアヴェーラを連れて来たメイドにより、それを阻まれてしまった。
「母様!」
「マリー! あなた、何をするの!?」
今まさにリンに抱き着かんとしていたマリアヴェーラは悲鳴を上げ、リンはメイドに対して激高するが。
「お屋形様のご許可が下りていませんので」
二人の間に立ち塞がったメイドは、そう冷たく言い放った。
「ふむ……ダリア、下がれ」
「はい、お屋形様」
ダリア、と呼ばれたメイドは恭しく頷き、リンとマリアヴェーラの間からすい、と身を退く。
「母様!」
「マリー!」
リンはダリアをキッと睨み付けてから、愛しい娘を抱き締めた。
「母様……」
「マリー、ごめんね。もう大丈夫よ」
「母様……おじ様とカブちゃんは……?」
母にようやく逢え、安心したのかマリーは朱い右瞳から大粒の涙をポロポロと零している。
「ゲン様たちは……って、マリー、あなた熱が酷くなっているわね……」
愛娘の問いに、どう答えればよいのか悩むと同時に、体温が非常に高くなっていることに気付いたリンは、
「……お父様、マリーを寝かせてあげたいのですが。お部屋を貸して頂けますか」
こちらを見詰めている父親に、そう要求した。
「ああ。部屋は用意してあるし、我が家専属の魔法医も待機しているので安心するがよい。それと、貸してほしいなどと他人行儀は止めたまえ。ここはお前たちの家なのだからな。だが、その前に……」
ガーランドはそう言いつつ、マリアヴェーラを抱き上げたリンへと近づいて来る。
「お父様、何を……?」
その様子に、リンが不審げに声を上げる。
「そう警戒するな。初めて会う孫娘に、挨拶するだけだ」
にこやかに微笑んだガーランドは、リンに抱かれたマリアヴェーラに視線を落とすと、
「初めましてだな、マリアヴェーラよ。私はガーランド・ヴォン・ヴラド。お前の母、リナヴェーラの父親にして、お前の祖父だ」
そう、優し気な声で言った。
「私の、おじいさま……?」
「そうだ。どれ、リナヴェーラよ、少し抱かせてくれぬか?」
マリアヴェーラは、不安げな視線で母親と祖父を交互に見やる。
「母様……」
「……マリー、この方は本当にあなたのおじいさまよ。大丈夫だから」
リンはかなり迷ったが、父に娘を静かに渡した。
「あ……」
マリアヴェーラが小さく声を上げ、リンの手に縋るようにしたが、ガーランドはマリアヴェーラを腕の中に収めた。
「……ふむ、軽いな」
マリアヴェーラを横抱きにしたガーランドは、まずその軽さに驚く。
それは、今まで抱いて来た同じ年頃の孫の中でも、例がないほどに軽かったからだ。
ガーランドにはリンの他に子供が二人おり、リンは末っ子となる。
長男・ローランドはリンよりも5歳上。現在は王国三色騎士団のうちでも最強との声が高い白騎士団の副団長を務めており、いずれはヴラド侯爵家を継ぐことになる。
子供は長男長女の二人で、それぞれ15歳、12歳になっている。
長女ルナヴェーラはリンの3歳上。十年前……ちょうどリンが実家を出奔したのと同時期に王弟へと輿入れしており、一男二女を設けていた。
身も心も健康に、幸せに過ごしている同年代の従兄妹たちとはあまりにもかけ離れたマリアヴェーラの姿を見て、ガーランドは心を痛める。
両親の駆け落ちの代償などというには、過酷過ぎる運命に翻弄される孫娘を哀んでしまうのはやむを得ないだろう。
「右腕と左瞳は、魔力暴走により失ったか……」
更に、ガーランドは悔し気に表情を歪める。
かつて、ガーランドの目の前で頭部そのものが破裂して死んだ祖母の姿がまざまざと蘇ってしまったのだ。
「これは確かに、早急な治療が必要だろう……む?」
腕の中の哀れな孫娘に心を痛めたガーランドだったが、鼻を衝く腐臭に気付き眉を顰める。
「かなり臭うな。風呂に入れたいところだが……熱が下がらねば無理か」
そう言いつつ、リンの腕にマリアヴェーラを返した。
この時のガーランドに悪気など無かったのは間違いない。
だが、繊細な少女の心は大きく傷付けられ――
「ひぐっ……ふえっ……ふええええん……」
厳とカブが連行されるのを見せられたり、体調が悪化したり、突然見知らぬ者たちに家から連れ出されたりと、マリアヴェーラの心には負担が蓄積していたのも併せ、トドメとばかりに祖父から吐き出されたその言葉に。
マリアヴェーラはたまらなくなり、泣き出してしまった。
「お父様! なぜそんな酷い事を言うのですか!?」
父の手から返って来たマリアヴェーラを抱き締めたリンが怒りに叫ぶ。
「む……だが、臭うものは臭うのだから仕方あるまい。まずは魔法医に診察させるが良い」
少し戸惑った様子を見せたガーランドだったが、すぐに落ち着きを取り戻して重々しく言う。
「お父様!!」
リンが再び叫ぶ。
なぜ、一言マリアヴェーラに謝らないのか――
リンはそう、父親を問い詰めようとしたが。
「それでは、マリアヴェーラ様を魔法医の所へご案内致します」
素早くリンとガーランドの間に分け入ったバリアンスが、にこやかに言う。
「っ! 退きなさい!」
「申し訳ありませんが、それは出来兼ねます。ダリア、お連れしなさい」
「はい」
と、いつの間にかリンの後ろに回り込んでいたダリアが、バリアンスの指示に応えてリンの手からマリアヴェーラを素早く奪い取った。
「な……!?」
その鮮やかな手口に驚愕したリンが振り向くと、既にダリアはドアの前まで移動している。
「では、マリアヴェーラ様を魔法医の元へお連れ致します」
そして澄ました顔でそう言った。
「マリー!」
「かあさまあああ!」
マリアヴェーラは、心を傷付けられ、母親から引き剥がされ、大粒の涙を零して号泣している。
「ふざけるなあ!! 私のマリーを返せえっ!!!」
最愛の娘を泣かされ、奪われ。
リンは怒りのあまり、絶叫しつつ自分が憤死してしまうのではないかと思うほどであった。
「では、失礼致します」
そんなリンの様子を意にも介さず、ダリアが退室しようとドアを開け。
「助けて! かあさま!! おじさま!! カブちゃん!!」
そして、マリーの口からも絶望の絶叫が迸ったその時。
「ふっ!!」
開いたドアから何者かが飛び込んで来て。
「よくも俺のマリーを泣かせやがったな!!」
「うあっ!?」
驚くダリアの膝に足刀を叩き込み、崩れ落ちてゆくその手からマリアヴェーラを取り返した厳が、怒りのオーラを滲ませつつ雄叫びを上げた。
「あ……」
厳の腕に抱かれたマリアヴェーラは、一瞬何が起こったのか理解できなかった。
だが、その逞しく熱い腕の感触と、無精ひげに塗れた頼もしい顔を見て。
「マリーに呼ばれて、俺参上!! 待たせちまってごめんな、マリー」
「おじさま!」
マリーの朱い瞳から、先ほどまでの絶望と悲しみの冷たい涙ではなく、喜びと嬉しさの熱い涙が溢れ出した。
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