ルポ・31:その男、獰猛につき

 厳たちの逃走という情報を得て、接触方法を考え始めたリンだったが。


「まあ良い。彼らの身柄はハンナ魔導士に引き渡したのだから、逃走を許した責任は彼女のものだ。それよりもリナヴェーラよ、今夜は泊っていくのだろう? 明日の朝一番で、マリアヴェーラを迎えに行くがよい」


 その、父の言葉に我に返った。

 そして、泊るつもりも無く、またマリアヴェーラを連れて来るつもりも無い事を明言せねば、と覚悟を決める。


「……お父様、その件なのですが。私は実家に戻りませんし、マリアヴェーラをここに連れても来ません」


 リンの言葉を聞いたガーランドは、一瞬だけピクリ、と瞼を動かした。


「ほう……それは何故だ?」


 だが、激高することもなく、至って平穏な調子で誰何する。


「ハンナの提案を承諾した時は、そうするしかないという強迫観念に囚われていました。もちろん、今でもマリアヴェーラを救うにはハンナの提案が最も確実なのは重々承知しています。でも……」


 そこまで言ったリンは、瞳を閉じて思い出す。

 無精ひげにまみれた冴えない中年男と、男に付き従う機械生命体の娘が自分たちの命を救ってくれた事を。

 そして彼らがマリアヴェーラにくれた優しさと、その時の愛娘の屈託ない笑顔を。


「でも?」


 至って落ち着いた調子で、ガーランドがリンに先を促す。


「……でも、私たちはあの方達に命を救われました。マリーはあの方たちに優しさをもらい、幸福そうに笑いました。そんな方たちを裏切って命を長らえても、マリーが喜ぶとは思えない。きっと、一生心の棘となってしまう。でも、マリーの命を諦めるわけじゃない。私たちは他の方法を模索します」


 キッと父の瞳を正面から見据え、断言するリン。

 その瞳には後悔など微塵も無く、強い決意が見て取れた。


「……ふむ。お前がアランと駆け落ちしてから10年……シューベルト商会を起こし、マリアヴェーラを産み育てて来た年月は決して無駄ではなかったようだな」

「……え?」


 リンは、恐らく父が強く怒り叱責を飛ばすと予測していた。

 しかし、ガーランドはむしろ穏やかな調子で言いつつ、リンを見詰めた。


「この家を出る前は、いつも下を向き怯えていたお前が自分の本心を隠さずに、私に真っ向から意見を言える様になったのだ。これを成長と言わず何と言おうか」

「お父様……」


 ガーランドの言葉に、リンは驚愕する。かつて、リンを頭ごなしに叱責していた父親にそんな言葉を掛けられるとは夢にも思っていなかったからだ。

 そして、自分の考えを父に解ってもらえたのだ、という仄かな喜びに包まれた。


「だが、だからと言ってお前の言う通りにするわけにはいかん。お前は実家に戻らせるし、マリアヴェーラは高位魔法治療を受けさせる。そして、お前がその様に言う事を見越して、マリアヴェーラの迎えは既に出してある」

「……え?」


 しかし、父から続いて吐き出された言葉に、リンは戸惑う。というよりも、何を言われたのか一瞬理解出来なかった。


「……お父様、それはどう言う事なのですか?」


 リンの問いに、父親は微かに微笑みながら答える。


「言った通りの意味だ。お前の成長は喜ばしいが、お前たちが我がヴラド家に戻るのは確定しているし、マリアヴェーラには高位魔法治療を受けさせる。そのために、マリアヴェーラはもうこちらに向かっているはずだ」


 呆然とするリンに、ガーランドがそう言った時。

 ドアが再びノックされ、


「失礼致します。マリアヴェーラ様が御到着なさいました」


 と、ドアの外から声が掛かった。






 一方その頃、厳たちは――



 「お疲れさまでした。シューベルト家メルガドル別邸に到着致しました」


 外門を潜ってから1分ほど走ると、瀟洒な洋館が見えて来て。

 門前の車止めにセヴァスチャンが魔動車を滑り込ませると、控えていた数人のメイドのうち二人が左右のリア・ドアを開けて厳とカブを迎えた。


「ようこそいらっしゃいました」


 そして、齢の頃なら30歳前後と思われる落ち着いた雰囲気を漂わせた赤髪の女性が厳たちの前に立ち。


「私は当館メイド長のデドラと申します。ご案内させて頂きますので、こちらへどうぞ」


 にこやかな笑顔でそう言い、屋敷の中へと誘う。


「はあ、お願いします」


 厳たちがデドラの後に続き、屋敷の中へ足を踏み入れた時。


「なんだと!?」


 いつも冷静なセヴァスチャンが、メイドの一人から何やら耳打ちされて小さく叫んだ。


「ん?」

「なに?」


 その、ただ事ではない様子に厳とカブが振り返る。


「……お騒がせして申し訳ありません。このような玄関先で恐縮ですが、お伝えさせて頂きます。我々が到着する少し前、当館にヴラド侯爵家の使いが現れ……マリアヴェーラ様を連れ出して言ったそうです。使者の身元は確かで、ヴラド侯爵家の印が付いた大型魔動車で来て、侯爵直筆の証明書を提示されたので、断ることは出来なかったとのことです……」

「なんですって!?」

「ええ!?」


 セヴァスチャンの言葉に、厳とカブも驚愕した。


「それは、リンさんも承知の上なんですか?」

「いいえ、リン様がそのような事を命じる事は有り得ません。よしんば、マリアヴェーラ様をヴラド家にお連れするにしても、間違いなくお二方にお会いになられてからのはずです」

「じゃあ、いったいどうして……」


 セヴァスチャンから返って来た言葉に、厳とカブは困惑を深める。


「恐らくは、リン様の御父上……ガーランド・ヴォン・ヴラド侯爵の差配と思われます。実は、リン様はヴラド家に戻ることも、マリアヴェーラ様に高位魔法治療を施されることもしないと決意なされていたのです」

「はあ!?」

「なんで!?」


 重ねられるセヴァスチャンの言葉に、同じく重ねて驚く厳とカブ。


「それは……一時は、マリアヴェーラ様のために条件を飲むことを承知したリン様ですが……お二方を裏切るような事になり、非常に苦しんでおりました。そして、マリアヴェーラ様がお二方に会いたいと言われたことで、自分の間違いに気付いた、と仰っておりました」

「はぁ!? なんですかそれ!?」

「そんな事気にする必要無いのにね」


 厳は怒ったように声を上げ、カブは少し呆れたように肩を竦めた。


「ですので、私にお二方をここへご案内させ、リン様も今夜のうちにお帰りになられて、お二方にお詫びをなさる積りだったのですが……恐らく、ガーランド侯爵はリン様とマリアヴェーラ様をヴラド家に取り込み、マリアヴェーラ様に高位魔法治療を受けさせる積りなのでしょう。それはもちろんマリアヴェーラ様を孫として愛しているからだと思いますが……」


 そこまで言って、セヴァスチャンは黙った。

 この有能かつ忠実な執事であっても、この後どうすべきか図りかねているようである。


「……主、どうするの?」

「むう……」


 カブの問いに、厳は考え込む。

 そして数分ほど考え込んでいた厳は口を開き。


「……どっちにしても、マリーが治療を受けられるのであればそれに越したことはないし、その過程はどうでもいいが」


 難しい顔でそこまで言い、言葉を切る。


「いいが?」


 カブが、黙った厳に誰何する。


「……このままじゃなんかスッキリしないし、元々俺たちはマリーが直るかどうか、その結果まで見届ける積もりだっただろ?」

「そうだね。せめて、マリーが直る可能性が高いか低いかくらいは知りたいよね」


 そして、一人と一台は笑い合う。


「つまりだ。このままマリーとリンさんに会わずにこの街を出て行くってのは面白くないし、結果を知らずに行くのも有り得ない。もしマリーがハンナご自慢の高位魔法治療とやらでも直せない、となったら他の手を考える必要もあるしな」

「そうだね。そうなったらハルピュイアたちの所に戻って、相談してみるのも手だし」

「ああ。それに何より……」


 厳のにやりとした笑みが、危険な色に染まって行く。


「娘や孫娘なんか、自分の気分一つでもどうにでもなるとか考えてそうな爺さんに、一言言わんと気がすまなくなって来たからな」


 そう言って獰猛に笑う厳の迫力に、セヴァスチャンやデドラ、メイドたちが息を呑む。


(なんという気迫……この方は、どれほどの修羅場を潜って来ているのだろうか……?)


 セヴァスチャンは、厳の尋常ではない気配に驚愕する。

 厳から感じるのは、命を捨てる様なことを何度も選択して来た男特有の迫力であった。


「要するに、マリーに会えるかと思ってウキウキしてたら連れてかれて会えなかったんでムカついたから、文句言いに行くって事でしょ」


 だが、厳はのほほんとした様子のカブに突っ込まれ。


「な!? お前っ! それを言ったら戦争だろうがっ……!」


 本音を言い当てられて一気に情けない顔になり、あわあわとカブに食って掛かる厳を見たセヴァスチャンたちは盛大にズッコけたのだった。

 



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