ルポ・30:リンの決意
厳が、ハンナを酷い目に合わせてから脱出したのと同じ頃――
「久しぶりだな、リナヴェーラよ」
「……はい、お父様」
リンは、約十年ぶりに実家に帰り、父親であるガーランド・ヴォン・ヴラド侯爵と再会していた。
「十年前とそれほど変わらないな。少しやつれている様だが」
「……」
ヴラド侯爵は身長180センチほどの引き締まった肉体を持つ、壮年の男性である。
ファランクス王国の貴族の多くが美食と怠惰な生活ででっぷりと肥え太るのに対し、ヴラド侯爵は己を律する強い精神力をもって往年の体格と体力を保つ数少ない人物であった。
「ハンナ魔導士から話は聞いているな? お前の娘、そして私の孫であるマリアヴェーラの魔力暴走を抑えるためには、高位魔法を応用した治療を受けなければならん」
「……はい、ハンナから聞いております。そして、ハンナがその方法をいくつか発見した、とも」
リンの表情は固く、緊張している事が伺える。
リンは、この厳格な父親に対すると、自分がいつも叱られていた少女時代に戻ってしまったかのような錯覚に襲われるのだ。
だが、かつての畏れは無い。
リンには、夫アランと過ごした大切な想い出と、最愛の娘であるマリアヴェーラの存在がある。
そして、マリアヴェーラに温かい優しさを与えてくれた彼らの事を思えば、父を畏れてなどいられない。
「……まあ、そう緊張するな。私とて鬼でも悪魔でもない。お前が、ガリウスの所の小僧と駆け落ちして家を出た時には我を忘れるほど激怒してしまったが、今ではもう詮無い事だ。それより、マリアヴェーラの具合はどうなのだ? 今日は連れて来ておらぬようだが……」
だが、ガーランドはリンが見たこともない優し気な瞳でマリアヴェーラの事を口にした。
「マリー……マリアヴェーラは旅の疲れか少し熱を出しましたので、本日は休ませてきました」
そんな父の姿に、リンは驚きつつもマリアヴェーラの現状を説明した。
「そうか……無理をさせるのは良くないな。だが、なるべく早く連れて来るが良い。ハンナ魔導士の仮説とやらを実証し、マリアヴェーラの魔力暴走を早い段階で抑えるためにもな。これ以上、マリアヴェーラの肉体を我がブラド家の呪われた血に奪われるわけにはいかん」
天井を睨みつけつつ、ガーランドが吐き捨てるように言う。
ヴラド家において、2~3代に1人ほどの頻度で現れる『強き血の代償』……
魔力暴走の犠牲者の一人に、ガーランドの祖母がいた。
「我が祖母にしてお前の曾祖母であるリアンナが魔力暴走に陥ったのは40歳を超えてからだったが……マリアヴェーラはあまりにも早過ぎる。余程、お前とガリウスの所の小僧……アランだったか。お前たちの相性が良かったのだろう。皮肉なことだがな……」
ファランクス王国において、魔力の高さは強力な政治力に直結し、階位を高める重要な要素となる。
現在、王国貴族のパワー・バランスにおいてNo.3と目されているガーランドだが、やはり魔力の高さは相当なものであり、かつては隣国との戦争や魔物の討伐などでその力を如何なく発揮したものだ。
このような現状なので、魔力の高い貴族同士の婚姻により、より高い魔力を持つ子を成す事が重要で有るのだが……
「我がブラド家が公爵位ではなく侯爵位に甘んじているのも、この呪われた血によるものだ。だが、魔力を発現しなかったお前とアランの娘であるマリアヴェーラが、強力過ぎる魔力を発現するとは思いもよらなんだわ……」
そう、ガリウス伯爵家の跡取りであったアラン・ヴォン・ガリウスもまた、リンと同じく魔力を発現しなかったのだ。
そんな2人の子であるマリアヴェーラが強力な魔力を発現したのは、マイナス掛けるマイナスがプラスになるのと同じようなものなのかも知れない。
元々、アランとハンナは同格の伯爵家の子女である。
そして、二人は親同士により決められた許嫁であり、リンの幼馴染でもあった。
だが、ハンナが幼くして魔力を発現し、周囲の期待に応えメキメキと魔法を上達させていくのに対し、アランとリンの魔力は発現しなかった。
2人は周囲から憐みや嘲りの目で見られることに強く反発し、同じ心の痛みを共有した。
そして2人は愛し合うようになり、家を捨てて駆け落ちしたのである。
駆け落ちした2人に対し、ハンナの実家であるランドルフ伯爵家やアランの実家ガリウス伯爵家は連れ戻すべし、と主張したのだが。
ガーランドがそれを止め、『2人の好きにさせるが良い』と、一切関わることを禁止したのだ。
幸いにも、アランは頭がよく商才も有ったので商人として成功し、更に有能な人材を多数確保して商会の安定化に努めたので、アランの事故死後に商会を引き継いだリンも比較的楽に維持することが出来たのであった。
「とにかく、早くマリアヴェーラに適切な治療を施さねば手遅れになる。具合が悪くとも、明日にでもこの屋敷に連れて来るのだ。そして、お前とマリアヴェーラがヴラド侯爵家の正当な血を継ぐものとして……」
ガーランドがそこまで言い掛けた時。
ドアがノックされ、執事のバリアンスが許しも得ずに入室して来た。
「何事だ」
だが、ガーランドは叱責することもなく誰何した。
この有能な執事には、緊急時以外は来るな、と命じている。
それなのにやって来て、あまつさえ許しを得ずに入室するとは、かなりの緊急事態が発生したという事に間違いがないからだ。
「旦那様、お嬢様、お話し中申し訳御座いません。ただいま魔動通信にて、お嬢様が連れてこられた
「なんだと?」
ガーランドは驚き、リンに視線を投げる。
だが、リンはその視線を真正面から受け止める。
「どういうことだ、リナヴェーラ」
「私は存じません」
ガーランドの問いに、毅然と返答するリン。
もちろん心当たりは有るのだが、そんな事はおくびにも出さない。
これも、商人として長くやって来て身に着けた
(セヴァスチャンがうまく手引きしてくれたのかしら。でも、それにしては少し早過ぎる……それとも、あの方達の事だから自力で脱出したのかもしれないわね……)
あの時、リンはハンナの提案に迷い、マリアヴェーラの命を救えるのならば、と厳たちの身柄を引き渡すことに同意した。
だが、その後も迷いは続き、苦悩し続けたのだが……
「おじ様とカブちゃんはまだ来ないの?」
微熱に喘ぎつつも厳とカブを気遣うマリアヴェーラの姿を見て、己の判断を激しく後悔した。
そして、自分とマリアヴェーラは既に一度、厳たちに命を救われていることを思い出した。
もしこれでマリアヴェーラを治療する事が出来たとしても、一生後悔することになるのは間違いない。何より。マリアヴェーラがそれを知ったらどれほど悲しむだろうか。
(これで、良かったのよ)
今日実家に来たのは、自分とマリアヴェーラがヴラド侯爵家に戻るのを断るためだ。
この後、脱出した厳とカブになんとか接触して詫びる積もりでいる。その結果、例え殺されようとも後悔はしない。
彼らであれば、マリアヴェーラには悪くは当たらないだろう、という打算含みでは有るが。
「失礼致します。詳細報告が入りました」
と、ドアが再びノックされ、バリアンスの助手がドアの外で声を上げた。
「入りたまえ」
バリアンスの言葉に従い、まだ10代と思われる若い助手が入室して来る。
「詳細報告を読み上げたまえ」
そして、命令を受けて手にした紙を読み上げる。
「はい。監視していた兵士によりますと、修復技術者と従機械生命体は実力にてハンナ魔導士と兵士を圧倒し、二人を失神に追い込んだ後に幽閉。その後、警備の隙を突いて逃走した模様。城壁警備部からの補足に依れば、現時点では街の外に出たという事は無さそうだとのことです」
助手の報告を聞いたガーランドは、顎に手を当てて唸る。
「ふむ……ハンナ魔導士は常時発動式の自動守護結界を張っていたはずだが、無効化されたのか? さすが修復技術者、というべきか……」
リンは、そんな父を見ながら
(やはり、自力で脱出したのね。さすがだわ……でもそうなると、お二方と接触する方法を考えなければ)
まさか脱出後にセヴァスチャンと合流したとまでは予測出来ず、リンは厳たちと接触する方法を考え始めた。
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